ギリシアの天文学は、紀元前585年のタレスによる日食の予言、
宵の明星、明けの明星が一つの惑星であることを発見した同500年
のピュタゴラス、そしてアリスタルコス(紀元前280年)、エラストテネス
(同240年)、ヒッパルコス(同150年)による、天体の直径や、地球-月間
の距離の計算など、天文学の歴史に大きな足跡を残している。
ヘレニズム時代に入り、さらに進歩したギリシアの天文学--
丸いツールに描かれた絵とは、プトレマイオス朝エジプトで始まった
ホロスコープ占星術
--その天体図のようなものではなかったかと考える。
そしてその図には、『月』『太陽』そして『惑星』の絵図が描かれ、それを回して
下の2枚目の盤の絵もしくは文字や数字、と机上の計算値とを照合する・・
詳細は本当にわからないので、あやふやなものだが、レイラ本人が、宇宙の
ことで常に頭がいっぱいだったことを考えると、この時代に最先端だった
ギリシア天文学を幼い頃から叩き込まれ、それを単なる学問ではなく、それを
基に、より実用的な占いに活用した--国家もしくは政治家の命運を示す(占う)
役割を、レイラが担っていたのではないだろうか・・
ビジョンから、そしてその他情報から導き出される結果は、このようなものだと考える。
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続いて、謎に包まれた 『女神』 の正体について明かしていこうと思う。
彼女についても、情報が限られていて、更新時点では視えた情報を100%
信じてはいなかった--が、検証は、思いがけない結末へと導かれていく
ことになる・・
女神の正体を明かす前に、その前情報として欠かせない、プトレマイオス朝の
概略を載せようと思う。
プトレマイオス朝とは~Wikipediaより
プトレマイオス朝は、古代エジプトのマケドニア系王朝
(紀元前306年 - 紀元前30年)。アレクサンドロス3世の死後、
部下であったプトレマイオス(マケドニア出身のマケドニア人)が
創始した。首都はアレクサンドリアに置かれ、アレクサンドリアは
地中海屈指の大都市・ヘレニズム文化の中心として、以前と変わ
らぬ繁栄を続けた。
イェール大学古典学部教授 J. G. マニング
プトレマイオスより 一部抜粋要約
古代エジプト史において、最も長く続いた王朝。
約3世紀と、日本の徳川時代とほぼ同じくらい長い。これは注目すべ
き点で、プトレマイオス朝が政治的に永続的で安定した体制をとって
いたという事実は、過小評価されているが、プトレマイオス朝が長く
続いたということは、単なる偶然ではない。
