故郷へ⑧ 大日本帝国海軍 軍装 | 前世の記憶 ~Past Life Memories~

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予科練・・


この単語を無視しつつ視始めたら、見えてきたのが 白い詰襟 だった。

ために、ともかくこの白い詰襟の正体を探ることにした---


『白い詰襟』のキーワードで検索していくと


海軍・・・夏用軍装


の文字が躍った・・!


海軍・・?


軍服のキーワードで見ても、大日本帝国海軍の軍服は 詰襟 と書かれており

以下のようになっている。


海軍士官服制体系より

紺色ジャケット 常服 通常軍服 第一種軍装
白色ジャケット 夏服 第二種軍装


第一種軍装ダウン


第二種軍装ダウン


第二種軍装の概要

明治20年に「夏服」として制定された。当時は、常服と形状は全く同一(ホック

留め。階級は袖章で表示する。)で、ただ、地質が 白リンネル製 とされ、

また黒毛縁を白毛縁とし、黒蛇腹組を白蛇腹組とする差異しかない。


リンネル=リネン

※ウィキペディアより

リンネル(仏:liniere 英:linen)とは、亜麻の繊維を原料とした織物の総称。リネ

とも呼ぶ。

一般には薄地のさらりとした丈夫で吸湿性がある織物をさし、光沢がある。素地の

色は白か淡い黄色、「麦わら色」「象牙色」などと形容される。夏物の衣服のほか、

敷布・テーブルクロス・ハンカチ・レース地など広い用途を持つ。  日本ではリンネ

ル製品のことを (製品)と呼ぶ場合が多い。


この瞬間、なるほどと手を打ってしまった---!

 であれば、納得できる、と。


陸軍の軍服との違いは

・・・日本でも明治初期に、欧州から詰襟の洋服が導入され、ひろく軍人、官吏、

警察官、鉄道員、教員などの制服として採用された。だが、まず1938年(昭和

13年)に陸軍の軍服が折襟(将校は立折襟)のものに変更され、そ

の他はいずれも日本の敗戦をおもな契機として、海上自衛隊の夏服を除

き背広型に変更された


---方向は確実に 海軍 に向かっており、陸軍に関して、見えた映像からそれ

を裏付ける事物は皆無に等しい状況になりつつあった。

ブログの中止が頭を過ぎり始めた時、ついに、無視し続けていたあの単語に、

面から向き合おうと決心することになる・・・