前回、クリミア戦争で使用された銃の詳細を書き連ねた。
これについては、単に見えた映像について明らかにしたいといった理由に止まらないーー
銃器の進化が、戦場をいかに悲惨なものに変えてしまったか・・
銃器の構造をある程度知ることで、何故悲惨なものになったのかを理解することになる。
それを書かずに終わらせたくなかった。
前世の映像では、確かに悲惨な光景は見えなかった。
けれど、事実と照らし合わせていく過程で得た知識は、ただ『美しい青年の物語』として
だけ終わらせるわけにはいかなくなってしまったのだーー
ウィキペディアより、エンフィールド銃の項目に以下のような記述がある
エンフィールド銃を装備した部隊と従来のマスケット銃を装備した部隊が交戦した場合、
マスケット銃側は有効射程の100ヤード(マスケット銃の命中率は50%)まで接近するため
だけに、最大で900ヤードに渡る死のロードを友軍の屍を乗り越えつつひたすら進まねば
ならなかった。
マスケット銃が運用されていた当時の主力兵科である戦列歩兵の前進速度は60m/分
(イギリス式)であったため900ヤードの距離を進むためには13分以上かかるが、この間に
エンフィールド銃は30~40回の射撃が可能であるため仮に1,000人のマスケット銃兵を
相手にした場合でもエンフィールド銃装備の部隊は理論上25人の小部隊で無傷のまま
相手を全滅させてしまう事ができた。
中略
また、エンフィールド銃がもたらしたもうひとつの変化は、マスケット銃の球弾に比べて
複雑な形状の弾丸が高速で回転しつつ人体へ命中すると、弾体が極度に
変形しつつ人体内部へくい入ることで、マスケット銃よりも格段に酷い銃創
が作られる現象 だった。
運よく致命傷を負わずに済んだ兵士達も、汚れた動物性油脂にまみれた弾丸や不潔な
野戦病院の環境によって引き起こされる感染症で数日後に死亡してしまうため、当時の
医療水準では治療不可能な銃創と感染症のリスクを避けて、手足に被弾した場合であ
っても不充分な消毒など未発達な野戦外科手術で無造作に切断される事が日常化して
しまった。
セバストポリでの要塞戦による連合軍側の死者は12万8千名、ロシア側の死者
10万2千名、両軍合わせて、23万人の死者を出している。
青年期の男たち23万人の死・・・
そしてこの戦争が、史上まれに見る凄惨で愚かな戦いであったことが、ネットで見つけた
に書かれている。勝手にリンクを貼らせていただいた。


