中日新聞記事
『犠牲の灯り』
取材班:寺本政司、酒井和人、杉藤貴浩、帯田祥尚
原発が変貌させた故郷に戸惑い、悩む、滴(しずく)のような小さな声を福井・若狭から報告する。
(記事より)
紹介されていたのは、福井県に住む 81歳になる画家
渡辺 淳(わたなべ すなお)
ーー今回この記事をブログに載せようと思ったのは、原発に関して何かを訴えたかったからではない。
画家渡辺淳が、大きな自然に抱かれていたがために得られた幸福ーー
彼に何故、そのような幸福が訪れたのかーーについて書かれた部分に、とても深い感銘を受けたからだ。
自然と共生するーーという言葉を聞くことはあるが、画家の言葉に耳を傾ければ、
人は自然と共生するもの=自然と人は同格である ではなく、
自然の中で人は生かされも殺されもするーーそれは、人間が逆らったところで、到底変えられるものではない。
直接的な言葉は何ひとつ語られていないにも拘らず、自然を崇敬する気持ちが希薄な現代人への警鐘となるメッセージが見えてくる。
ーーそして大きな何かに包み込まれているーーというくだりには、泣きたくなるような、嬉しいような、不思議な感動を覚えた・・
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中日新聞(2013年5月27日付け)記事より抜粋
山の命 憂える絵筆
弟4部 「若狭の滴(しずく)」
1 黒いと暗い
「命あふれる山の色って黒いんや」
福井県おおい町、若狭の山里に住む画家、渡辺淳(81)は少々、奇妙なことを言う。
昨日や今日の思い付きではない。絵を描き始めた小学生のころから、かれこれ70年余り。何百回と故郷を描き続けてきて、たどり着いた境地だ。
幼少期、渡辺は極貧にあえぐ両親に里子に出された。腕のいい大工だった義父は戦争でフィリピンから戻った後、身体を壊し、寝たきりに。15歳になった年、一家の暮らしを支えるため、炭焼きを始めた。
自ら建てた山小屋に何日もこもり、カシやナラの木を切り出して、焼く。日が暮れれば、闇を照らすのはランプひとつ。
「おまえはゆうべも見かけたな。今まで何しとったんや」
灯火に集う蛾に語りかけながら、消し炭でくしゃくしゃの新聞紙にスケッチした。
炭焼きがすたれ、食っていけなくなる三十路(みそじ)手前までそんな日々が続いた。
素朴な画風で「野の詩人」と呼ばれ、今や中央画壇にも名の知れた画家になった。貧しさに耐え、成功をつかんだジャパニーズドリーム、とみえるが、渡辺にとっては違う。
「炭焼きやってたころが、いちばん幸せだったなぁ・・・・」
高度経済成長が始まり、人々がカネのため、モーレツ競争に明け暮れていたころ。
山中の夜、渡辺はしばしば
大きな何かに包み込まれているような感覚
を覚えたという。比べて、自らの何と小さいことか。
嫉妬や、功名心とは無縁に、だれに見せるでもない絵を不乱に描く。
そんな幸せ。
「浴びるように電気を使う生活では分からん」
木々や獣、虫達、それらを包み込む何か・・・。渡辺が向き合ってきた山は単なる緑ではとても表現しきれない。だから「黒い」。
「石ころや名も無い草にも心を寄せて描いている」。
そんなふうに渡辺を評し、その絵に魅せられた男がいる。2004年、85歳で亡くなった小説家、水上勉(みずかみつとむ)。同じおおい町(旧本郷村)出身で、代表作「飢餓海峡」などで知られる。・・・後略
(続きをお読みになりたい方は上記 犠牲の灯り の文字にweb版のリンクを貼っておりますのでそちらから御覧下さい)

