最後に、前回紹介した リンク ~
米国ラトガース大学の明治期留学生
から、大学の墓所にある日本人留学生の墓地に関して書かれた文章
を載せて 『鑑定依頼』 を終わろうと思う。
米国ラトガース大学の明治期留学生(上)より
前略
ここに詳記されているごとく、留学生日下部太郎とWilliam Griffinの関係を
改めてこの目で確かめ、明治初期の留学生たちの足跡を知りたかった。
そして、同大学の広大なキャンパスの近くのWillow Grove墓地に眠る
(主として肺結核のためと言われている)日本人留学生を訪ねてみた。
訪ねる同所はすぐに見つかったが、胸が痛むほどに荒れており、日差しの中、
一画にはホームレスがいて色々話しかけてくる。まるで墓守であるかのように---。
高さ2mほどの6本の角柱墓碑にはそれぞれ日本語で名前が掘られ、
基礎部には英語で名前、出身地、死亡場所、年月日と年齢が書いてある。
比較的新しい墓誌には次の文字が読める:
IN MEMORY
TARO KUSAKABE, FUKUI APR.13.1870
~福井出身 日下部太郎 1870年4月13日没
KIJIRO HASEGAWA, HYOGO NOV.18.1871
~兵庫出身 長谷川雉郎(23) 1871年11月18日没
KOSUKE MATSUKATA, KAGOSHIMA AUG.13.1872
~鹿児島出身 松方蘇介(22) 1872年8月13日没
JINZABURO OBATA, FUKUOKA JAN.20.1873
~福岡出身 小幡甚三郎(29) 1873年1月20日没
OTOJIRO IRIE, YAMAGUCHI MAR.20.1874
~山口出身 入江音次郎(19) 1874年3月20日没
SHINJIRO KAWASAKI, KAGOSHIMA MAR.24.1885
~鹿児島出身 カワサキ シンジロウ 1885年3月24日没
TATSUZO SAKATANI, OKAYAMA APR.14.1886
~岡山出身 サカタニ タツゾウ 1886年4月14日没
※日下部太郎について、没年が1830年とあったが、これは入力ミスと思えるので
訂正した。
上記のように、紹介されている6人のうち、3人までもが九州出身者であるーー
ラトガースに前世の男性が在籍していたのか、また、当地で生涯を終えたのか
無事日本に戻ってきたのかは別にしても、九州出身者の比率は比較的高い
ように思う。
