最初に検証しようと思ったのは、やはり、前世の少年が通う学校ーー
調べていくうちそれが、江戸時代に設立された
藩校
だろうと推測された。
藩校
江戸時代に、諸藩が藩士の子弟を教育するために設立した学校。
藩学(はんがく)ともいう。
内容や規模は多様だが、藩士の子弟は皆強制的に入学させ、
庶民の子弟は入学できなかった。後に、庶民に開放された藩校もある。
広義では医学校・洋学校・皇学校(国学校)・郷学校・女学校など、
藩が設立したあらゆる教育機関を含む。
全国的な傾向として、藩校では「文武兼備」を掲げ、7~8歳で入学して
第一に文を習い、後に武芸を学び、14~15歳から20歳くらいで卒業する。
教育内容は、四書五経の素読と習字を中心として、江戸後期には蘭学や、
武芸として剣術・槍術・柔術・射術・砲術・馬術などが加わった。
同ページに全国各地の藩校が紹介されている。
前世の舞台となった九州には、福岡藩を始めとする33藩、69校があったようだ。
中でも
熊本藩
に注目した。
※熊本藩の藩校には
時習館(1755年)→現熊本県立済々黌高等学校、熊本県立熊本高等学校
再春館(1756年)→医薬系で熊本大学医学部の前身、名称を借り受けて再春館製薬所
などがある。
何故なら、少年の通っていた藩校が、どの藩のものだったかはわからないものの、
熊本藩には、米国の大学で学ぶことを目的として渡航した人物達が存在した事実を
知ったからだーー
熊本藩の藩士であった横井時明の長男
横井左平太、大平(次男)
の兄弟がその二人だった。
つまり、前世を見ながら、この時代に
欧州ではなく、米国に留学した日本人が居たのか否か
の疑問の答えは、藩校を調べる過程ですでに、明らかになってしまったーー
しかも驚くべきことに、当時(幕末から明治にかけて)
何百という数の日本人留学生を受け入れた
という大学が存在したのだ・・

