男性の祖父は、綿花を栽培ーーアジア地域で作らせ、それを先進国(英国?)へと輸出していた。
綿花がぎっしり詰まった大きな長方形の布製の(潰れないように?)箱が、ベルトコンベアーのようなものに載せられ、次々と運ばれていく光景が見えた。
その行程は、幾人もの現地労働者の手によってなされていた。
そして地名は
M
で始まるものだった。
調べてみたら、これは多分
インドの ムンバイ(Mumbai)=ボンベイ
かと思われる。
ーー見えたり、聴こえたりする地名は、現在の呼称であることがほとんどーー理由は不明ーー
以下~wiki
1661年、ポルトガルのカタリナ王女がイギリスのチャールズ2世と結婚する際、ボンベイは持参金としてイギリス側に委譲された。その植民地時代にはボンベイ管区の中枢として、城塞の中に公会堂・税関などさまざまなイギリス風の施設が建設された。1668年、英国王家はこれを10ポンドでイギリス東インド会社に貸し付け、対岸に良港があったことから1687年にはインドにおける拠点となり、島の間の埋め立てが進められて市街地として発展した
1850年代の鉄道と綿紡績工場の建設は、この地の産業を大きく発展させた。とくに1861年 - 1865年のアメリカ南北戦争では、アメリカからイギリスへの綿花輸出が停止したことから、ボンベイの綿織物業は飛躍的に拡大する。1869年のスエズ運河開通は、ボンベイ港の重要性をさらに高めた。
