ビョルン・ヨーハン・アンドレセン(Björn Johan Andrésen 1955年1月26日- )
スウェーデン ストックホルム出身の俳優、歌手。
1969年、ストックホルム郊外で撮影された青春映画『純愛日記 』に端役で出演したのが
スクリーンデビューである。
1970年、ヴィスコンティが『ベニスに死す』の映画化の為に、主人公の作曲家を虜にする
少年タジオ役を求めてヨーロッパ中を探していた。
当時まだ、友人とバンドを組んで歌っていたアンドレセンがヴィスコンティの目に止まり
数多くの候補者の中から選ばれたーーー
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ーーー少年の中性的な美しさは、短い期間にすぎない刹那的なものだ。
ビョルンの場合 2月16日にアップした動画 の時期からベニスに死す撮影中が
頂点だと思える。
ビョルンに限らずその時期の少年たちには
硬質 な美しさがある。
女性から受けるエロティックなものを感じさせないことと
成人への過渡期であることから、不確かな自信と不安を併せ持つ危うげな雰囲気が
表出され、しかも当人がそれを自覚していないというアンバランスーー
そして幼さが残る男性未満の容貌や、しなやかな体つきーーそういったものが相まって
ーーベニス~以降、美少年のイコン(アイコン)として取り上げられ続けたことによって
相当苦しんだ、と本人が後のインタビューで語っていたそうだが
いつまでもその 『美』 が持続しないことを考えれば、美しすぎるのも
(ヴィスコンティによって創り上げられた部分も含めて)
問題なのだろうが、それは本人の責任ではないーーー
この時期の少年たちは、精神的にも成熟の一歩手前だ。
マンの原作どおりなのかどうか(昔読んだのでほとんど忘れている)確かではないが
映画を見ていると、タッジオがグスタフを挑発するようなシーンを見かける。
ーーエレベーターを降りた後、しばらくの間グスタフの視線を捉えたままでいるシーンや
迷路のようなベニスの路地を、家庭教師に連れられて教会に向かう時
彼が自分を見失わないように、わざと立ち止まったりゆっくり歩いたりーー
これは、自分(グスタフ)に気があると思うしかなくなるーー!
もしくは、主人公の思い込み?
誘惑という単語も意味も本当のところわかっていない子どもが
興味半分で、大人をからかうかのような、ある種残酷とも思える行動は
ヴィスコンティの演出だったのかも知れない。
そんな未成熟な子供っぽい行動は、いい歳をしたおじさんだからこそより夢中になってしまう・・
若い時にこの映画を見たときは、そんなことまでは考えられず
ただただ美しいビョルンを追いかけたーー
しかし、歳をとった今再び見てみれば、そんな心理も含め
なんとグスタフに感情移入してしまうことかーー!
特に、心ならずもベニスを去ろうとしてーー伝染病のこともあるだろうが
叶わぬ恋にピリオドを打ちたいという気持ちもあっただろうーー
ここが大人の単純でないところだがーー荷物が間違って送られてしまった(自分のミスではない)
ため、荷物が手元に戻るまでベニスを離れられないという
タッジオの元へ帰るための 大義名分 を得てしまったというシーン。
ーーこれによって、思いもかけず再び堂々と追っかけられるようになったグスタフが
無邪気に喜ぶ姿が微笑ましい(D・ボガードの演技が素晴らしい!)ーー
若い時には、何の感情も揺さぶられることのなかったこのシーンで
図らずも涙をこぼしてしまった・・
ーーグスタフがあまりに純粋でーーーー可笑しくて哀しいのだ・・
ビョルンの現在は、年相応の容貌になり(当たり前のことを敢えて書くのも変だが
)
俳優、音楽家としての活動を続けている。
ベニス~以来、ずっと消息を知ることがなかったので、この件で調べてみて、健在だと知った時は
容貌なんかどうでもよく、ただただ生きていてくれたことだけで嬉しかったーー!
彼は、実父に捨てられ、実母は幼い頃家出した後自殺している。
さらに、自身の第一子を、乳幼児突然死症候群で失ったなど、大変な苦労をした
と知って尚更だった。
『ベニスに死す』 では飾り物のような出演だったかもしれないが
この映画によって
美少年 といえば ビョルン・アンドレセン
という認識を世界中に植えつけた。
彼の美貌が、以来 彼を超える少年が出現していない と言い切っても構わないほど
何十年経った今でも新たなファンを作り続け、今後も
美少年ナンバーワンの座を、一度たりとも明け渡すことはない
と思っているーー
そして、彼の存在と 『ベニスに死す』 が私にもたらした幸せに、今更ながらではあるが
感謝の気持ちを捧げたい・・・



