蜂子皇子 | ¡Viva ワイン!

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ワインを飲みながら、気になったことを書いていきたいと思います。

決して歴女ではないのですが、いつの時代に興味があるかといえば古代史。聖徳太子の時代から大化の改新の後くらいまで。藤原の世になってからはあまり興味がありませんでしたが、最近になって京都のお寺も良いなと思えるようになりました。

奈良の境内がだだっ広い大きなお寺が好きで、20代の頃は年に2回は奈良に行っていましたね。飛鳥の辺り(山の辺の道)を自転車を借りて走ったっけ…。

自分の本棚を見ると、『聖徳太子(全4巻)』(梅原猛著)や『古代は輝いていた(全3巻)』古田武彦著のハードカバーがあったりします。『日出処の天子』山岸涼子著もあったのだけれど、多分誰かに貸してしまってそのままだと思います。

天皇が大王(おおきみ)と呼ばれていた時代、おおらかで人間味に溢れている気がするんですよね。

系図は家系図作成本舗さんのホームページからお借りしました。推古天皇とか聖徳太子とかメジャーな名前が載っているでしょ?

この第32代の崇俊天皇ですが、家臣の蘇我馬子が放った刺客に殺されて亡くなります(日本書紀による)。家臣に殺された天皇(この時代は大王)は崇俊帝だけだと思うのですよね~。しかーし、大王を暗殺したにもかかわらず馬子は政治の実権を握って蝦夷、入鹿と時代は続くのですよ。入鹿は大化の改新で殺害されて蘇我の時代は終わりを告げます。天智天皇が即位しますが、大化の改新を成功させたのは中臣鎌足の功績があってこそ。中臣は藤原と名を変え、「この世をば我が世と思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の道長に続くのですね~。

って脱線しちゃいましたが、私、崇俊天皇の子どものことは全く頭になくて、今回AXさんに教えていただいたのですが、蜂子皇子が北へ逃れ出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)の開祖となったのだそうです。

飛鳥時代の山形は外国みたいなものでしょうね~。

この蜂子皇子、90歳まで生きたそうですよ。羽黒山の蜂子神社には御尊像があるのですが、明治時代の廃仏毀釈の影響で公開されなかったのですが、震災の復興を祈り9月30日まで御開扉となるそうです。