バイル煮込みルンゼ定食

山岳同人青鬼所属 「我々は鬼のように飢えている」



レッドポイントグレード 外岩5.12b インドア5.12a

オンサイトグレード 外岩5.11c インドア5.11d

ボルダー 外岩1級 インドア3級

  • 28Apr
    • ギスギスした世界

      緊急事態宣言下ギスギスした世界が続いている。県外ナンバーの車は嫌悪され、都会から帰省する者は非難される。八ヶ岳では単独行者の遭難が起きた。登山も自粛を求められている中で発生した遭難なので、非難が殺到している。批判する者の気持ちはよくわかる。けど批判が殺到しているのはネットの中。SNSの中。汚い言葉が排泄されている。気持ちはわかるんだけど僕らはみんな、登りたいんじゃないのか。本当はものすごく登りに行きたいんじゃないのか。登りたいけど我慢している。その我慢は尊いけど、1000人いたら1000人が我慢できる訳じゃない。こぼれ落ちる人に石のような言葉を投げるのは正しいか。石のような言葉は当たれば血が流れることを知っているのか。僕らみな同類なのだ。登りに行きたいのだ。遭難したかった訳じゃない。救助を呼びたかった訳じゃない。自粛は強制じゃない。触法した訳じゃない。抑えきれないくらい熱い想いがあって、登りに行きたかったのなら、同類。遭難はしくじりだけど、多くの人に迷惑を掛けたけど怒涛のような批判を反芻し体と心の傷が癒えたらいつかまた山においでよ。

  • 12Apr
    • 新型コロナウィルス禍備忘録

      新型コロナウィルス・COVID-19禍ただの備忘録ですが、後年に向けて残しておこうと思います。2019年末、中国武漢市で正体不明の新型コロナウィルスが確認された。年を明けて1月、日本にもそのニュースが伝わる。1月中旬、日本で初の患者確認。その後、武漢市が完全封鎖。クルーズ船ダイアモンドプリンセス号内で感染流行。少しずつ日本国内でも感染者が増えてくる。1月18日は両親の一周忌だった。この時は全く危機感はなし。1月26日は実家の処分最終日。新型コロナウィルス関係のニュースが多くなり、国内での危機感も少しずつ高まっていた。2月1日は湯河原へクライミングへ行った。車内では新型コロナウィルスの話題とジョーク。このころ、マスク不足が深刻化していく。どこのドラッグストアでも品切れとなっていた。1月8日は新潟でスキー、インバウンドの外国人が少なくなっていると感じた。その後もスキーなどへ出かけるが、混雑した空間を避けることや、手洗い・手指消毒をできるだけするなど、気を付けるようになった。2月25日、ついに長野県内で初の感染者が確認。2月29日は岩根山荘でアイスコンペ開催予定だったが、前日に中止が発表される。多くのイベント等が開催中止・延期となってゆく。3月11日、WHOがパンデミックを宣言。このころ、イタリアなど欧州での感染蔓延が深刻化していった。3月13日、東京へ所要で出かける。いつもならカプセルホテル利用だが、ビジネスホテルに切り替えた。アルコール消毒液を持参し、事あるごとに手指消毒。3月24日、2020東京オリンピックがついに開催延期を決定。3月下旬には長野県でも「なるべく県外へ出ないよう」呼び掛けられる。3月26日、母の一周忌のため墓参に行く。当日朝まで行くか行かないか迷った。ほぼどこにも立ち寄らない弾丸墓参。3月29日、志村けんさんが新型コロナウィルスにより死去。国中に悲しみと動揺が広がる。4月8日、東京など大都市圏に緊急事態宣言発令。外出自粛が呼びかけられ、町から多くの人が消えた。まるで戦争中のような事態。世界はどうなってしまうのだろう。

  • 30Jan
    • 実家の片付けという実務の画像

      実家の片付けという実務

      とまれ、実家の片付けは貴重な経験だった。ので、備忘録を残す。いつか誰かの参考になれば幸い。片付けるとは捨てること。〈服〉一部をご近所の方にお分けし、後は全て捨てた。〈着物〉全て処分。売れば値段が付いたものもあったかも知れないが、そこは考えずに。〈バッグ等〉新品はリサイクルショップへ。他は全て捨てた。〈貴金属〉鑑定に持ち込むヒマがなかったので全て保管。一部は形見分けで親族へ。〈本〉状態にもよるが大体はブックオフへ。値段が付かないものも引き取ってくれるので有難い。〈DVD〉全てブックオフへ。自分が見たいものがあればMP4化してPCに取り込んだのだが。〈CD〉一部をMP4で保存したが大半は捨てた。〈カセット〉全て捨てた。USBメモリに保存する方法もあったが。〈ビデオテープ〉DVDに焼いてからMP4で保存する方法がある。今回は全て捨てたが。〈食品〉冷蔵庫の生モノは母の死の直後に処分した。保存の効くもののみ選別して処分。〈楽器〉ギターが出てきた。いつか買取店に持ち込もうと思い保管。〈カメラ〉35ミリフィルムのコンパクトカメラ、無価値と思われ処分。〈8ミリカメラ〉年代物の8ミリカメラが出てきたが、ネットで調べたら価値は1,000円程度。よって処分。〈写真〉最も大変だったのが大量の写真。選別して一部をデジタル保存。プリントは一部を親類に渡し、後は全て処分。〈化粧品〉未使用の物のみ妻や親類に分けた。他は処分業者に任せた。〈雛人形〉リサイクルショップでは引き取ってくれない。ネットで買取店を見つけたが、問い合わせたら「作家による」そうで。吉徳の雛人形は対象外でした。〈その他の未使用品〉ひとまとめにしてリサイクルショップへ。実家とリサイクルショップを何往復したことやら。〈仏壇〉遺影と位牌だけ保管し、他は全て処分。お焚き上げ?したい人はすればいい。おりんは金製かも知れないので保管。〈有価物〉切手、葉書、コイン、テレホンカード、商品券などが様々な場所から出るわ出るわ。もちろん全て保管。〈電化製品〉一部を残し、多くは処分。〈B-CASカード〉知らなかったけど売れるらしい。とりあえず保管。〈靴〉引き取ってくれる靴屋があるのは知っていたが、全て処分。〈食器〉処分業者さんによると使える食器はベトナムなど海外に送られるのだとか。それはそれで良し。〈車〉友人が手配して処分してくれた。感謝。〈処分業者について〉5社から見積もりを取り、最安の業者と契約。それでも処分量が大量のため計70万円かかった。見積もりはピンキリなので上手に駆け引きしたほうがいい。3日に分けて来て頂いた。仕事ぶりは満足。1日目と2日目で45万円3日目で25万円〈リサイクルショップについて〉トレ○○○ファ○○リーは買い取りが幅広く重宝した。多くは二足三文だったけどそれでもいい。ウィンウィン。写真が一番大変でした。

  • 28Jan
    • 実家の片付けという刹那の画像

      実家の片付けという刹那

      もともと我が家系は八王子にあった。自身も八王子で育った。祖父母がこの世を去った後、父の兄弟間で遺産相続に関する諍いが起きた。その後八王子の家と土地は手放され、父は府中市に土地を得て八王子を離れた。父は以前、八王子が嫌いだと言っていたことがある。けど僕は八王子が好きだったし、故郷を嫌いだと言う父の気持ちは理解できぬものだった。父は府中に立派な家を建てたが、僕は八王子に戻りたかったので、府中の家には3年しか住まず、八王子にアパートを借りて一人暮らしを始めた。僕は知っている。父が府中に家を建てたのは、競馬好きが昂じた由縁だと。3年しか住まず離れた府中に、実家としての愛着は希薄だった。僕は次第に、実家に顔を出す機会が減っていった。実家と距離を置くようになり、もともと根底にあった父との確執も少しずつ大きくなった。兄は僕がいた部屋も使うようになり、ますます僕の実家での居場所は少なくなっていった。それだけではなかった。母は片付けられない(捨てられない)人だった。実家は年々、物で溢れていった。兄もだらしない人だったので、家の中は年々酷い状況になっていった。父は晩年、肺気腫のため階段も上がれなくなった。自慢の自宅の二階がどれだけ酷いことになっていたかたぶん知らなかっただろう。兄が事故死した後に、処分業者に来てもらって家の中を片付けることを提案したが、父は全く取り合いもしなかった。二階の惨状を知らないのだな、と即座に理解できた。父が死んだ後、葬儀やら相続やら色々あったが、僕は実家に寝泊まりすることができず、立川のカプセルホテルから実家に通った。想像できますか?6LDKという広さの実家に僕一人が寝られるスペースすら無かったのだ。スペースがあるとしたら唯一、廊下くらいだった。カプセルホテルから通うしか無かった。そして母が急逝した。寝泊まりすることすら困難だった実家を、僕が長野県から遠路、片付けることになる。母が死んで先ずしたことは、冷蔵庫の中の腐敗物の処分と、自分が寝られるスペースをどうにか作ることだった。実家の片付け自分が通った日数は何日だろう?処分業者さんに来てもらった日数は3日。2トントラック8往復、単純計算で16トン?業者さんに払った費用は70万円。うんざりするほどの物、物、物!頑張ったよ。頑張ったぶん最後は張り詰めたものが切れてしまった。慟哭そして落涙。父と母と兄にとって、28年暮らした実家。さぞ色々な思い入れもあったことだろうね。それを、3年しか住まなかった僕が処分する刹那。寝泊まりすることすらままならなかった実家を片付ける虚無。自分に課せられた運命なのだなと知る。実家の片付けは、自分の運命との対峙と精算だった。さようなら実家。

  • 23Nov
    • 実家の画像

      実家

      ざっくり言う。兄が交通事故で死に父が肺疾患で死にそして母が急性心筋梗塞で死んだ。娘はカナダにいて親権は僕にない。 残ったものは、誰も住まない家。そして墓。代々続いた池田の家系もこれで終わり。だけど僕にはいま愛する妻がいてそして信州での暮らしがある。東京の家も土地も処分する。いつか墓じまいもしよう。振り返ればなかなか大変な人生だった。この先は、今までの大変だった人生を精算し、最愛の妻と二人、心安らかに過ごそう。きっとここからが楽しい。

  • 07Aug
    • 剱岳早月尾根の画像

      剱岳早月尾根

      剱岳早月尾根ワンディ単独馬場島4時発→早月小屋8時→剱岳11時半→馬場島18時水2.5リットル消費馬場島はヤブ蚊が酷い。

  • 24Jun
    • 気仙沼の画像

      気仙沼

      母の追悼ミサをして頂きました。ハレルヤ気仙沼ハレルヤ母の故郷

  • 04Jun
    • 母の逝去について⑤

      母の死に纏わる悲しみについて悲しみの正体を考えてみた。死は全ての人に訪れるものであって、特別なことではない。忌むべきものでなく、時に笑顔で送り出すべきもの。ならばこの悲しみは何か言うまでもない母を孤独死させてしまったことの悲しみその罪過忸怩たるもの元気だったから油断していた。自責の念それに母の人生はまだこれからだと思っていた。昨年に父が死に母は父の看病から解き放たれた。これからは故郷の気仙沼にも自由に行ける。第2の人生を楽しめばいい。弱ってきたら自分が面倒を見るつもりだった。老後の親孝行くらい厭わないつもりだった。何も果たせなかった。挙げ句が孤独死だ。ごめんよごめんなさい。孤独死させてしまうってこんなに悲しいものなのか

    • 母の逝去について④

      昼前だったと思う。葬祭会社の方が来た。今後の段取りについて、遺体に痛みがあるため(腐敗を防ぐため)火葬は早いほうがいいと。けど火葬場や諸々の都合により、火葬式は5日後となった。死亡の事実まもなく、事務的なことをこなさなければならない違和感を、仕方のないこととして受け止めるしかなかった。その後、自治会長さんや近所の方にご挨拶に行ったり、親しかったであろう方々に逝去の事実を電話で伝えたり。そして冷蔵庫の中身の処分。残されたナマ物が異臭を放っていた。寝室の死臭より冷蔵庫のほうが強烈だった。ひとりになると感情が抑制効かなくなる。込み上げる思いがきつかった。喪服を取りに行かなきゃいけない。明日の夜には佐久へ帰ろう。

  • 03Jun
    • 母の逝去について③

      警察署を後にしたのは0時を回っていた。明日朝に検死が入るので、翌朝再び警察署へ行くことになっていた。府中駅近くのコインパーキングに車を入れ、車中泊することにした。寝袋なら積んでいる。母の遺体が発見されたばかりの家に行くことに、覚悟がまだ固まっていなかった。起床後、再び警察署へ。担当刑事からの説明鍵は二重ロックされていたし、チェーンロックもしてあった。そのため事件性はなし。ちなみに鍵は鍵屋に依頼して解錠し、チェーンは切断したとのこと。寝室の扉は閉じられていた。寝室前にはスリッパが揃えて置かれてあった。パジャマ姿ベッドの上で息を引き取っていた。電気毛布がオンになっていたため、背部の損傷が大きい。続いて、検死を終えた医師からの説明を聞く。死亡日と死因の推定。死後1週間程度。死因は急性心筋梗塞と思われる。状況からすると、苦しまずに亡くなったと思われると。生前契約していた葬儀会社が、母の遺体を引き取り、遺体安置施設へ行ってくれた。自分は警察署を後にして、実家へ向かった。実家鍵を開ける。死臭は僅かにしか感じなかった。寝室の扉を開ける。多少の死臭。それでも想像していた程ではなかった。ベッドには痕跡。再び慟哭。母を孤独死させてしまった。何ということだ。嗚呼

  • 02Jun
    • 母の逝去について②

      警察からの電話を受けたのは、清里あたりだったと思う。清里から佐久への道のりのことは覚えていない。佐久の自宅に戻り、東京へ向い、警察署に着くのは23時過ぎだろうと思った。自宅へ戻り、妻の助言通りシャワーだけは浴びて、それから東京へ向かった。府中警察署へ着いたのは23時半頃だったと思う。面談室で写真を見せられた。「お母様で間違いないですか?」「はい」遺体安置室で、冷たくなった母と会った。慟哭こらえていたものが溢れ出した。

    • 母の逝去について①

      その日、僕は妻と二人で、八ヶ岳の氷瀑登攀だった。下山中に携帯が鳴った。実家の自治会の会長さんからだった。「回覧板が取り込まれていない」異変の発生独り暮らしの母の家で、回覧板が取り込まれていないとは、つまりそういうことだった。そのときの僕の心情は、うまく言葉に言い表せない。異変が発生している事実を正常性バイアスでうち消そうとしていたのだろう。“旅行にでも行っているのだろう”咄嗟にそう思った。実際、母は「暖かくなったら気仙沼(故郷)に行ってくる」そう言っていた。親戚関係に電話してみる。いずれも「来てない」「聞いてない」という答えだった。他の可能性を考えてみる。けれどそのどれもが可能性の薄いものだった。新聞配達店に電話をしてみた。ここで絶望に落とされた。「〇〇日頃から新聞が取り込まれていない」「取り込まれず溜まっていたから回収していた」迷いの果て、警察に架電「母が家の中で倒れているかもしれない」自分はいま長野県であることを伝え、駆け付けるには時間がかかるから、鍵を壊してでも中に入って安否を確認して欲しい。そう伝えた。頭の中ぐるぐる警察からの折り返しを待つ時間は、とても長く感じた。警察からの折り返し電話を受けた。「家の中で亡くなってました」愕然まさかまさかそんな

  • 11Oct
    • 台湾 DAYS5(10/8)の画像

      台湾 DAYS5(10/8)

      台北5日目今日は帰国日、のんびり起きてホテルで朝食を済ませ、MRTで台北桃園国際空港へ。行きと同じくキャセイパシフィック航空。13時発成田17:20着控えめに言って最高の5日間でした。りーさんくみさんれんせー君そして妻お世話になりました、この旅が楽しかったのは皆のおかげですョ。ありがとう。また行きましょう!!!おまけ高速を鶴ヶ島で途中下車し、焼き肉店「和味」で夕食。いいお肉で旅を〆。

    • 台湾 DAYS4(10/7)の画像

      台湾 DAYS4(10/7)

      台北4日目りーくみ家族は一足先に帰国、僕と相方はもう一日滞在し市内観光(というか食べ歩き)まずはホテル近くのファーマーズマーケット「希望廣場」を散策。その後MRTで台北車站へ行き、ポケモンGOしつつ新光三越へ。相方はお目当ての食材を見つけ満足。三越から近くの城中市場へ行き散策、この市場は衣類が多い。何も買わず。城中市場から二二八和平公園を抜け、台北なんとか院駅からMRTに乗って中山車站へ。ここでもポケモンGOしつつ散策。台北中山はさながら南青山のような街で、有名ブランドのアンテナショップも多い。お昼ご飯はお目当ての「青葉台湾料理店」へ。豚角煮とフカヒレとカニおこわを堪能。昼食後は山道具屋「登山友」を再訪、ハンガー五個とマイロン四個購入、ジャスト1,000元。安いよね。さて、行き当たりばったりノープラン旅の僕ら。行っても行かなくてもどちらでもいいや、と思っていた故宮博物院へ行ってみることにした。せっかく台湾に来ているのだから、ね。登山友からタクシーを拾って故宮博物院へ。意外と市内から離れていてタクシー代350元かかった。故宮博物院、中華文明の歴史に疎い僕でも、展示されている秘宝の数々は目を見張るものばかりで、度々圧倒された。特に象牙多層球は驚嘆ものだった。故宮博物院は行ってみて大正解でした。(写真は有名な肉形石)帰路はバスで士林車站、MRTに乗り換えて再び中山車站へ。足が棒状態だったのでマッサージを受けることが苦手な僕も足裏マッサージへ行くことにした。初の台湾足裏マッサージは痛すぎず丁寧な施術、足スッキリ。さて台湾最後の晩餐は火鍋「天香回味」へ。とても美味だったが冷房が寒すぎた。お昼の青葉も冷房強めだった。台湾の飲食店はカーディガンなどを忘れず持参したほうが良いね。コンビニでワインを買いホテルへ戻る。ワインは日本のほうが圧倒的に安い。飲んだくれながら台湾最後の夜は更けていった。

  • 10Oct
    • 台湾 DAYS3(10/6)の画像

      台湾 DAYS3(10/6)

      台北3日目本日は龍洞攀岩へ。AM7時過ぎにホテルを出発。MRTで台北車站へ行き、台北車站バスターミナルからバスで基隆へ。基隆へは電車でも行けるが今回はバスをチョイス。基隆にはコンビニもスーパーもある。基隆からはタクシーを使った。龍洞攀岩に着いたのは9:30近く。まずは「BACK DOOR」へ。途中フィックスも張られたアプローチを降りて行く。釣りや観光の人も多くいた。子連れのりーくみ家族にはちょっと辛いアプローチだった、このエリアは一時間程度の滞在と決める。さて岩場へ着きトポとルートの同定をするが、さっぱり一致しない。どうやら地下1樓と思っていた所は地下2樓だったようだ。ようやくルートが同定でき、さあ10aから登ろう、と思って準備したところ、よく見ると一本目のハンガーにドクロマークが!どうやらこの10a「CowboyArete」から右側は大規模な崩壊があった模様。取り付きには大岩がゴロゴロしている。仕方ないのでちょっと左の10dを触ってみるも、10dなのに出だしからいきなりのボルダームーブ、あっさり諦めて一時間と決めた滞在を早々に切り上げて移動することに。遊歩道を歩いて「Scool Gate」エリアへ。遠いかと思っていたが15~20分程度歩いたら着いた。近い。Scool Gate Cragでは「OH!」5.8と「「Stepover」5.10bを皆で登った。2本だけだったけど、僕は満足だった。台湾で初のクライミングを無事終えることができた。岩場の様子もアプローチも分かった。とてもいい岩場だったし出会ったクライマーも皆親切だった。また来たいと思えたことが何よりの収穫だった。帰路、くみさんがアイフォンを紛失していたことに気付く。行きのタクシーの車内で無くしたかもしれない。アイフォンを探すため残念ながらりーくみ夫妻とはここで別行動となった。一緒に探しに行こうか迷ったが全員ではかえって動き難いだろうから、僕と相方は当初の予定通り九份へ行くことにした。申し訳ない気持ち。バス停でバスを待っていたらタクシーが来たので利用、僕と相方は瑞芳車站で下してもらい、そこから金瓜石行きのバスで九份へ。60mロープの入ったザックを背負って九份を散策。九份は中国人観光客と韓国人観光客と日本人観光客で大混雑。けど夕闇に映える赤いランタンの街は夢の舞台のようだった。行って良かった。「戯夢人生茶飯館」で夕食。豚角煮とモツ揚げと海老焼売と炒飯、そして台湾ビール。食べすぎたけど大満足だった。再びバスで瑞芳車站へ、そこから台湾鐡道で台北まで一時間程度。ホテルに着いたのは23時過ぎ。シャワーを浴びたら早々にダウン。疲れたけど大充実の一日だった。

    • 台湾 DAYS2(10/5)の画像

      台湾 DAYS2(10/5)

      台北2日目ホテルでも朝食は頂けるが、せっかくなので台湾の朝食「豆漿」を食べようということで、ホテルから至近距離の「阜杭豆漿」へ。ガイドブックに欠いてある通り朝から行列。初めて食べる豆漿の味は・・・でした。朝食後は台北市外へ行きマッサージ店へ向かう、が、自分はマッサージは苦手なので遠慮した結果、この旅唯一の単独行動時間となった。ポケモンGOを起動しつつ、割と近くにあった国立台湾博物館へ。国立台湾博物館は、故宮博物院が中国4000年の歴史的所蔵物を展示しているのとは違い、台湾の原住民である高砂族のことや、日本による台湾統治時代の児玉源太郎や後藤新平の功績、また森互之助による精緻な現地調査についての展示が主であり、興味深く拝観させて頂いた。ほどなくしてマッサージ後の3人と合流し、登山用品店の「登山友」に向かうが、営業開始が11時過ぎらしいので、マンゴーかき氷を求めて昨日も行った問屋街近くの店へ。マンゴーかき氷美味でした。その後改めて「登山友」へ。ウェア一着と龍洞攀岩のトポを購入。「登山友」は安い物もあるが登攀具などの価格は概ね日本と同等。但し台湾ブランドのClimbXは安く、クライミングシューズはだいたい日本円でどれも一万円以内のものばかり。迷ったが今回は見送り。登山友を出て、タクシーで東門駅近くの小籠包の店「鼎泰豊」へ行く。が、かなりの行列なので「鼎泰豊」を断念。徒歩で「杭州小籠湯包」へ移動。これがとても良い店で、どの小籠包も美味だった。大満足。「杭州小籠湯包」が中正紀念堂の近くだったので、せっかくだから中正紀念堂を見学することに。蔣介石の座像はともかく、衛兵の交代式が見られたことは興味深かった。他国の軍人の規律を見られる機会などそうそう見られるものではない。中正紀念堂の次はタクシーで東門近くにあるデカトロン(Decathlon)へ。日本でいうスポーツデポのような店舗。但しメンバーシップ限定のお店。ここで相方が果敢にも会員登録に挑戦する。日本の電話番号の登録ができなかったりアプリのダウンロードができなかったりと苦戦するが、最後は会員登録画面のQRコードを店員に見せることで無事解決。コンパクトザックなどの買い物を無事済ませることができた。デカトロンの後は再びタクシー利用、迪化街へ向かう。迪化街は布や乾物の豊富な市場。相方はここで乾燥白キクラゲと乾燥タピオカを購入。乾燥白キクラゲはあちこちの店で見かけたので、台湾ではポピュラーな食材なのだと思う。さて買い物を済ませてタクシーで一旦ホテルへ帰着ほどなくしてMRTで劍澤駅へ行き、士林観光夜市へ。子連れのりーくみ家族は早めにホテルへ戻る。僕ら二人はもう少し夜市を回ってからホテルへ戻った。台湾二日目の夜は更けていく。

    • 台湾 DAYS1(10/4)の画像

      台湾 DAYS1(10/4)

      3連休+有給で台湾旅行へ行くことに。10/3の仕事後、19時ちょっと前に佐久を出発、22時ちょい過ぎに成田ビューホテルにチェックイン。上階のフレンチで食事。ちょっと酔っぱらって就寝。10/4、成田空港で、この旅を共にするりーくみ家族と合流。(但し航空便と宿は別)10時フライトのキャセイパシフィック航空で出発。実際は少し遅れて10時半頃離陸。13時過ぎに台北桃園国際空港に到着。空港で5日間分のプリペイドSIM(亜太電信)を購入、250元。通信は安定しててストレスなく使え、とても便利だった。加えて日本のSUICAに相当する「悠遊卡」を購入。駅では日本語対応の券売機でチャージが可能。空港からMRTで台北車站へ。快速に乗ると早い。台北の地下街には商店やフードコートがある。それらを横目に問屋街近くの露店で水餃子を頂く。台北初の飲食。安くて美味。飲食後、MRTで宿泊地の善導寺駅に移動し、HOTEL COZZY 台北忠考館にチェックイン。りーくみ家族は別のHOTEL。HOTEL COZZY 台北忠考館は清潔感・対応・サービスなど満点と言っていいHOTEL。四つ星だけのことはある。https://hotelcozzi.com/ja/%E5%8F%B0%E5%8C%97%E5%BF%A0%E5%AD%9D%E8%88%98/りーくみ家族と再合流し、タクシーで寧夏観光夜市へ。夜市はビールの販売が無いと聞いていいたので、ホテル横のコンビニで台湾ビールを購入してから出掛けた。台北の夜市を満喫。ホテルへ戻り就寝、台北初日を無事終えた。

  • 23Aug
    • 8/22 台風9号の画像

      8/22 台風9号

      2016/8/22 台風9号たまたま東大和へ帰った際に台風の直撃に遭う。写真は冠水した新青梅街道、武蔵村山付近。高速道路も閉鎖されたため瑞穂町のネットカフェに避難。夕方には復旧した。

  • 12Aug
  • 01Aug