ALS48、チーム東北のふーです。
このたび、ALS48の
Facebookページができました!ひゃっはー!
とはいえ、遠隔井戸端会議のようなALS48。
何からはじめてよいやらわかりませぬ。
そんなわけで、Facebookで似たようなALSの親を持つ子供たちの相談できるグループを作りました。
名づけて
「ALS48の相談部屋」何ができるかはわかりませんが、少しずつでも交流の持てる場所を作っていけたらいいなと思っています。
※このグループはALSの実親を持つ子供だけの部屋ですので、患者さんや関係者の方はごめんなさい。
入りたい!というALSの子供さんはALS48のページにメッセージをいただければありがたいです!
さてさて、せっかくページもできたことなので、
「ALS×ほにゃらら」をテーマにblogを書いていこうかなと思います。
本日のテーマは「ALSxお仕事」24時間介護が必要なALS。
呼吸器外れたら死ぬし、付きっきりでないと気が気でない。
呼吸器をつける前でも
「ふーじゃなきゃだめ!」「ふーにかわって!」みたいな発言が多くなってくるんだよね。
頼られるのは嬉しい気持ちもあるけど、ちょっとほかの人でもできるようになってくれないと
私、外に出られない!働けないじゃない!
私はというと、留学して帰ってきたら母がALSだったので
最初から
住所不定無職でしたwww
あら、介護要員にぴったり。体も丈夫で力もある。
だけど、自分、英語の仕事がしたくて頑張って貯金したお金をもってカナダへ行って
アルバイトしながら勉強してたのに帰ってきて介護して、お金もキャリアも水の泡。
オワタ・・・マイライフ・・・・
って思ってました。
しかも、こんな時、ALSの母は
「早く就職しろよ。このままニートになられると困るから生活費、月4万払ってね」
と、思っていたのであります。
それと
「ふーでないと!ふーに変わって!」は頭の中で別問題だったようです。
働いてほしいとは思ってるけど、だんだん滑舌も悪くなって言葉が私以外通じなくなってしまって今この一瞬を解決するには娘しかダメなの!って言う状態。
呼吸器をつけるかどうか、先のことはまだ考えたくないから、ついでに娘の将来もぼんやり。
なのに「
もうすぐ介護から解放させてあげるからね」
=「死ぬまでの今だけだから頑張ってくれ」目先のことばっか!!!!喧嘩になって当たり前だああ!!!
喧嘩になれば常套句
「どうせ死ぬのになぜ優しくできないのか!」だんだんに
「優しくしないと呼吸器つけないで死んでやる」みたいなことを言いだすようになります。
母は母で、受入れがたい大きなALSってやつに打ちひしがれて、やさしさを求めていて、
娘は娘で、受け入れがたい大きなALSに立ち向かうために、母に母でいてもらいたいのです。
できることなら、母より強くなんかなりたくはない。
それでも何とか踏んだり蹴ったりで(生活費の四万を取り返し)
介護を続けていた私。
自分がやることが当たり前になり
今度は私が
「親を自分が介護するべきなのに人に任せている」感覚に。
人から
「あなたが主介護者だもの」とか
「ふーちゃんはお母さんのそばに」とか
「娘さんだからうまくできるんですね」とか言われてるうちに自分の感覚がそっちに流れていっちゃいました。
これじゃあ喧嘩も無くならない。
私が介護だけしたって
「娘の人生を犠牲にするなら生きられない」といってるこの人は呼吸器をつけない。
母に、「仕事をしたい」と真剣に話すことにしました。
それに呼吸器をつけるにしろつけないにしろ、
仕事があることが私を救ってくれるだろうと思ったのです。
母はわかってくれました。
それを聞いていた訪問看護師さんが「ロバを売りに行く親子」の話をしてくれました。時間のある方は下をお読みくださいw
↓wikiによると
ろばを飼っていた父親と息子が、そのろばを売りに行くため、市場へ出かけた。2人でろばを引いて歩いていると、それを見た人が言う、「せっかくろばを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいないことだ」。なるほどと思い、父親は息子をろばに乗せる。
しばらく行くと別の人がこれを見て、「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいじゃないか」と言うので、なるほどと、今度は父親がろばにまたがり、息子が引いて歩いた。また別の者が見て、「自分だけ楽をして子供を歩かせるとは、悪い親だ。いっしょにろばに乗ればいいだろう」と言った。それはそうだと、2人でろばに乗って行く。
するとまた、「2人も乗るなんて、重くてろばがかわいそうだ。もっと楽にしてやればどうか」と言う者がいる。それではと、父親と息子は、こうすれば楽になるだろうと、ちょうど狩りの獲物を運ぶように、1本の棒にろばの両足をくくりつけて吊り上げ、2人で担いで歩く。
しかし、不自然な姿勢を嫌がったろばが暴れだした。不運にもそこは橋の上であった。暴れたろばは川に落ちて流されてしまい、結局親子は、苦労しただけで一文の利益も得られなかった
結局、人からどう見られるかにとらわれすぎていて
「24時間他人介護をやるなんて親不孝だと思われているかも」
「外で働くなんてひどい娘かも」
「やっぱり私でないと」
「今頃頑張ったって」
「どうせまた落とされるかも」
そういう中途半端な考えでは就職も介護もうまくできるわけがないのです。
そんなわけで、介護しながら就職活動。
中には
「介護しているから」という理由で雇ってもらえなかったこともありました。
何度も心折れずに頑張って、英語が使える秘書の仕事をゲットしました。
誰より喜んでくれたのは母でした。
タイミングよく、母も呼吸器をつけてくれて、在宅に戻り、
そのあとの就職でした。
面接の話や留学の話、母ともよく話していたから、ALS以外の将来に目を向けられるようになったのかもしれません。
もちろんヘルパーを入れていても夜はゼロだったので
夜介護しながら昼間働くなんてもう、毎日リポD。
そのあとだんだん少しずつ母もALSを受け入れてくれたのか
学生ボランティアを入れたり新聞投稿をしたり
精力的になっていきました。
おかげで仕事との両立もできるようになり、しばらくして独居し、必要な時だけ駆けつけられるようになりました。
少なくとも私たち親子には仕事がいい距離を保つ秘訣だったのかも。
就職先の同僚や上司たちも理解がある人達ばかりでした。
運がよかったんだとも思います。
就職して2年も経とうというある日。
ほとんど介護で休んだり早退することはなかったのですが
ヘルパーさんから電話をもらいました。
「お母さんがお風呂なのに白目剥いてる!早く帰ってきて!!」
「それは…寝てるんだと思うよ。」
「でも!ふーちゃん間に合わなかったら、私…」
そんな状況なのか?
しかしヘルパーさん不安がらせたら悪いなあと早退して駆け足で帰ると
よく寝てすっきりした顔でなんでこんな早く娘が帰ってるんだろうという母の顔がありました。
「もう、お母さんたら!白目で寝ないでよ!」
「そんなこと言われたって知らないわよ!!」(文字盤)
結局、ドタバタしながらも
「ALSxお仕事」、
私たちには大事な親子の距離でした。
とっても長くなっちまいました。
今日はここまで。
読んでくれてありがとうございます。
ふーでした
