いつもALS48の活動をご覧いただきありがとうございます。
総合プロデューサーです。

当ブログも先日開設3周年を迎えました。
ちょうどそんな時にNHKのソーシャルグッドプロジェクトという、ALSに対する応援メッセージ動画を作成する企画を見つけたので、メンバー有志で作ってみましたので、ぜひぜひご覧ください。(7/19まで閲覧可能…みたいです。)


今後とも、ALS48をよろしくお願いいたします。
関東地方は梅雨の中休み…とまではいきませんがなんとなく晴れ間も見える月曜日。
本日のお当番、まめです。

昨日6月21日は2015年ALS国際グローバルデーでした。
去年のアイスバケツのおかげもあってか各メディアの注目度もいつもよりは高く、
日本国内全国各地でもいろいろなイベントが開催されました。

もちろん私たちALS48、今年もグローバルデー用アイコンの配布と、ピンバッチ・マグネットの作成、販売(絶賛在庫保管中)、タグでALSと共に過ごすハピネスな様子をつなげよう!という写真企画など、
例年以上に欲張って色々企画してみました。
当日特にアイコンはいつも以上にたくさんの方に使っていただけた印象でそれこそとてもハピネスな気持ちになりました。

認知度が上がってきて、どうしてもALSという病気の過酷な側面が前に出てしまっているような印象を受けないでもないのですが、
日々の暮らしを工夫して、療養環境…というか生活環境を自分好みにしていけば、わりと人が思うよりは嬉しいことも楽しいこともフツーの人と同じだけあるんだぞ、ということもお伝えしていきたいな、と個人的には思っています。

少し前に私たちのところへご相談の連絡をくださった方がおっしゃっていた言葉が、
今の私たちの活動の励みになっているので、ご紹介させてください。

「ここなら、軽い気持ちで相談できそう」

これからも、重たいALSの部分は他の皆さんにお任せして、軽い気持ちで遊びに来てもらえる存在でいたいな、と改めて感じた今年のグローバルデー。
全国の仲間たちとWebを通じてお祭り騒ぎできて大変楽しい1日でした。
来年は、みんなで会って、WAになって…踊っちゃう?

ではでは、まめでした
{69F780B1-CE10-4C35-BE12-40E5C8FC973E:01}


ALS48、チーム東北のふーです。

このたび、ALS48のFacebookページができました!ひゃっはー!
とはいえ、遠隔井戸端会議のようなALS48。
何からはじめてよいやらわかりませぬ。
そんなわけで、Facebookで似たようなALSの親を持つ子供たちの相談できるグループを作りました。
名づけて「ALS48の相談部屋」
何ができるかはわかりませんが、少しずつでも交流の持てる場所を作っていけたらいいなと思っています。
※このグループはALSの実親を持つ子供だけの部屋ですので、患者さんや関係者の方はごめんなさい。
 入りたい!というALSの子供さんはALS48のページにメッセージをいただければありがたいです!


さてさて、せっかくページもできたことなので、
「ALS×ほにゃらら」をテーマにblogを書いていこうかなと思います。



本日のテーマは「ALSxお仕事」


24時間介護が必要なALS。
呼吸器外れたら死ぬし、付きっきりでないと気が気でない。
呼吸器をつける前でも
「ふーじゃなきゃだめ!」「ふーにかわって!」
みたいな発言が多くなってくるんだよね。
頼られるのは嬉しい気持ちもあるけど、ちょっとほかの人でもできるようになってくれないと
私、外に出られない!働けないじゃない!


私はというと、留学して帰ってきたら母がALSだったので
最初から住所不定無職でしたwww
あら、介護要員にぴったり。体も丈夫で力もある。

だけど、自分、英語の仕事がしたくて頑張って貯金したお金をもってカナダへ行って
アルバイトしながら勉強してたのに帰ってきて介護して、お金もキャリアも水の泡。

オワタ・・・マイライフ・・・・


って思ってました。

しかも、こんな時、ALSの母は
「早く就職しろよ。このままニートになられると困るから生活費、月4万払ってね」
と、思っていたのであります。
それと「ふーでないと!ふーに変わって!」は頭の中で別問題だったようです。
働いてほしいとは思ってるけど、だんだん滑舌も悪くなって言葉が私以外通じなくなってしまって今この一瞬を解決するには娘しかダメなの!って言う状態。
呼吸器をつけるかどうか、先のことはまだ考えたくないから、ついでに娘の将来もぼんやり。
なのに「もうすぐ介護から解放させてあげるからね」
                  =「死ぬまでの今だけだから頑張ってくれ」



目先のことばっか!!!!喧嘩になって当たり前だああ!!!



喧嘩になれば常套句
「どうせ死ぬのになぜ優しくできないのか!」
だんだんに
「優しくしないと呼吸器つけないで死んでやる」みたいなことを言いだすようになります。

母は母で、受入れがたい大きなALSってやつに打ちひしがれて、やさしさを求めていて、
娘は娘で、受け入れがたい大きなALSに立ち向かうために、母に母でいてもらいたいのです。
できることなら、母より強くなんかなりたくはない。



それでも何とか踏んだり蹴ったりで(生活費の四万を取り返し)
介護を続けていた私。
自分がやることが当たり前になり
今度は私が「親を自分が介護するべきなのに人に任せている」感覚に。
人から「あなたが主介護者だもの」とか
「ふーちゃんはお母さんのそばに」とか
「娘さんだからうまくできるんですね」とか言われてるうちに自分の感覚がそっちに流れていっちゃいました。
これじゃあ喧嘩も無くならない。
私が介護だけしたって
「娘の人生を犠牲にするなら生きられない」といってるこの人は呼吸器をつけない。
母に、「仕事をしたい」と真剣に話すことにしました。
それに呼吸器をつけるにしろつけないにしろ、
仕事があることが私を救ってくれるだろうと思ったのです。
母はわかってくれました。

それを聞いていた訪問看護師さんが「ロバを売りに行く親子」の話をしてくれました。時間のある方は下をお読みくださいw
↓wikiによると
ろばを飼っていた父親と息子が、そのろばを売りに行くため、市場へ出かけた。2人でろばを引いて歩いていると、それを見た人が言う、「せっかくろばを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいないことだ」。なるほどと思い、父親は息子をろばに乗せる。
しばらく行くと別の人がこれを見て、「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいじゃないか」と言うので、なるほどと、今度は父親がろばにまたがり、息子が引いて歩いた。また別の者が見て、「自分だけ楽をして子供を歩かせるとは、悪い親だ。いっしょにろばに乗ればいいだろう」と言った。それはそうだと、2人でろばに乗って行く。
するとまた、「2人も乗るなんて、重くてろばがかわいそうだ。もっと楽にしてやればどうか」と言う者がいる。それではと、父親と息子は、こうすれば楽になるだろうと、ちょうど狩りの獲物を運ぶように、1本の棒にろばの両足をくくりつけて吊り上げ、2人で担いで歩く。
しかし、不自然な姿勢を嫌がったろばが暴れだした。不運にもそこは橋の上であった。暴れたろばは川に落ちて流されてしまい、結局親子は、苦労しただけで一文の利益も得られなかった


結局、人からどう見られるかにとらわれすぎていて
「24時間他人介護をやるなんて親不孝だと思われているかも」
「外で働くなんてひどい娘かも」
「やっぱり私でないと」
「今頃頑張ったって」
「どうせまた落とされるかも」

そういう中途半端な考えでは就職も介護もうまくできるわけがないのです。

そんなわけで、介護しながら就職活動。
中には
「介護しているから」という理由で雇ってもらえなかったこともありました。
何度も心折れずに頑張って、英語が使える秘書の仕事をゲットしました。
誰より喜んでくれたのは母でした。
タイミングよく、母も呼吸器をつけてくれて、在宅に戻り、
そのあとの就職でした。
面接の話や留学の話、母ともよく話していたから、ALS以外の将来に目を向けられるようになったのかもしれません。

もちろんヘルパーを入れていても夜はゼロだったので
夜介護しながら昼間働くなんてもう、毎日リポD。
そのあとだんだん少しずつ母もALSを受け入れてくれたのか
学生ボランティアを入れたり新聞投稿をしたり
精力的になっていきました。
おかげで仕事との両立もできるようになり、しばらくして独居し、必要な時だけ駆けつけられるようになりました。

少なくとも私たち親子には仕事がいい距離を保つ秘訣だったのかも。
就職先の同僚や上司たちも理解がある人達ばかりでした。
運がよかったんだとも思います。



就職して2年も経とうというある日。
ほとんど介護で休んだり早退することはなかったのですが
ヘルパーさんから電話をもらいました。

「お母さんがお風呂なのに白目剥いてる!早く帰ってきて!!」

「それは…寝てるんだと思うよ。」

「でも!ふーちゃん間に合わなかったら、私…」


そんな状況なのか?
しかしヘルパーさん不安がらせたら悪いなあと早退して駆け足で帰ると
よく寝てすっきりした顔でなんでこんな早く娘が帰ってるんだろうという母の顔がありました。



「もう、お母さんたら!白目で寝ないでよ!」
「そんなこと言われたって知らないわよ!!」
(文字盤)


結局、ドタバタしながらも「ALSxお仕事」
私たちには大事な親子の距離でした。



とっても長くなっちまいました。
今日はここまで。
読んでくれてありがとうございます。


ふーでしたミッキー・ミニー
最近は走ってまーす!
私自身じゃなくて、車で、です車
というのも、今、両親とも入院してます、別々の病院に。

お雛様のころでした。
ママのトイレ介助をしてたパパの肩がバチーンッ!!!
と音をたてた、そうです。
その時、私は実家から遠くはなれた自宅にいたので、電話で事を知りました。
2日前に実家から自宅に戻ってきた私、これは!今日また実家に行くべきか?明日?と、とりあえず詳しい状況がわかるまでにスーパーに走りました車
なぜなら、留守にするなら、自宅の家族のおなかを満たすものをなにか作り置きしなくちゃと思ったからです。
何を作ったかな?確か…絶対、一品はカレーのはず。
カレーありがとう。インドありがとうです。
結局パパは手術が必要、そしてほぼ完治までに半年かかるという診断、ママには初レスパイトを経験してもらうことになりそうだったので、翌日に私は実家に移動しました。
そしてその翌日には、ケアマネさんも、ママのレスパイト先を探してくださる方も来てくださり…
絶対にみつかりますよーみつけるんです!大丈夫です!
と、ニコニコしながらいろんな病院に電話をしてあたってくれます。その笑顔に救われます。
探すこと3時間、困ってるのだから受け入れます!そう言ってくれた病院がみつかりました!
なんていったって、翌日からの話ですから、ほんとに有難いことです。
翌日、受けいれてくれたドクターとお会いしました。
病気のことはご家族が一番よくわかってることでしょうから、毎日必ずしている事とか、ゴハンなどどうしてるのか、そうゆうお話を聞かせてください(^-^)と。
最初の入院以来、ずっと何年も自宅で過ごしてきたママにとっても、私達家族にとっても、緊張!って言葉がぴったりな状況のなか、ほっこりとした気持ちになったこと覚えてます。

そして二ヶ月経過。
ママは、おかげさまで安定しています、パパは手術後のリハビリにはげみ、私達娘はかわらず週末に通ってきてます。
そして、東西南北よくわからないままナビを頼りに少しずつ道を覚えて、ママの病院、パパの病院へと走っています車
まだもうしばらく走りそうです。
でも、もともとマイペースで歩くのが好きな家族なので、そのうち戻りまーす。
それまで安全運転で。
知らない道が、だんだん馴染みの道になる、せっかくだから景色の変化にも気づきたいなって思ってます(^ε^)♪

では、また!
チャピコでした


こんにちは!ふーでございますミッキー・ミニー

半年ブログを書かない間に、ワタクシ、ハートになりました!
10年、ALSの母と向き合って、介護をして、それから初めての育児。
普通だったら育児してから介護だったのかもしれないけれど、
20代で母の介護を始めたので、介護からの育児になったわけです。

介護はなんとかできたけど、育児なんかできるのかしら…
お母さんの介護が必ず育児の役に立つなんて言われたけど、ほんとかしら…。
どっちが大変かしら…。


等、余計な心配をたくさんしましたが、無事、3158gの赤子をぱっかーんピーチ赤ちゃんピーチ
今月で三か月になりました。


何に一番驚いたって、


なんて小さいんだ、おむつ!!!!!!




介護の場合、折りたたんでおしりの下に入れ込み、
反対側から端を受け取って広げなければいけませんでした。


       こんな感じ。これ↓



進行するにつれて膝を立てても支えてもらうことはできず、一人でやるのは至難の業。



       赤ちゃんの場合。これ↓



片手で両足が持てる!!!


だけど、大きいおむつには大きいなりにいいこともあって、
おケツ部分の汚れてない部分は陰洗するのにとても便利でした。
赤ちゃんのおむつは小さすぎて同じ感覚で手前に引っ張るとスポンと抜けてしまいます。




他にも夜の介護と夜泣き、コミュニケーションが取れないことの違い
情報がありすぎる育児となさすぎる介護、
首が座る赤ちゃんと首が座らなくなっていく母。
似ていること、違うこと、母から教わったこと、介護から教わったこと
思いついたら思いついただけ、またここに書いてみたいなあと思います。
あ~やっぱし母のコールでブログを邪魔されたように
今回は泣き声で邪魔されますw なので今回はおむつのお話。

介護でもたくさんの人に支えられて何とかなった私ですが
育児でもたくさんの人に支えられて何とかやれています。
最近「ダブルケア」って言う言葉もテレビで見るようになりました。
ALSの親を持つ娘さんの中にも、育児と介護がダブルパンチの人は少なからずいます。
もっともっとスポットが当たり、支援の手が増えますように。


ふーでしたやほー♪おしまい