☆上杉謙信ゆかりの地・桜祭り高田城の夜桜を大満喫!!
難攻不落の春日山城・新発田城・松代城の面影をたどる!!

全国の城郭ファンの皆様 !! こんにちは アルプス・ハリーです。
4/11~12の休日、新潟県上越・中越地方のお城巡りと花見を兼ねた旅行に出かけました。今回同行を共にした愉快な仲間達はおなじみ、ミータ、宇治ちゃん、古河のじいちゃんです。 11日我が家を午前6時にスタート、目指す第一目的地は、戦国時代の中でも屈指の大激戦の舞台・川中島の戦いでも有名な海津城(松代城)です。

この城は、当時信玄の名参謀で軍師の山本勘介の築城だと言われています。見て感じたのは、武田信玄公はあまり城郭を持たない印象が強いですが、縄張りは千曲川の天然の流れを利用し、三方向を中堀で固め、その中に総石垣の曲輪で囲む平城で、自然の要害と山本勘介の才知あふれる巧みな築城術が生かされているように思いました。

その築城の目的は甲斐国の武田晴信(信玄)が信濃侵攻を開始し、北信豪族を庇護した越後国の長尾景虎(上杉謙信)との北信・川中島地域をめぐる川中島の戦いへと発展しました。千曲川河畔の海津城は川中島侵攻の軍略上の重要拠点城郭として築城され、武田家足軽大将の山本勘助に命じて築城されました。

中でも第四次川中島決戦では、有名な啄木鳥戦法を見破った謙信の八幡原での信玄との一騎打ちで前半は上杉軍が優勢でしたが、妻女山から駆け戻ってきた武田軍赤備え騎馬軍団の救援で後半は武田軍が徐々に盛り上げ、ほぼ互角の戦いでした。この合戦での双方の死傷者の数は、戦国合戦史上まれに見る5割以上もの兵の損失となったそうです。それだけ両軍とも勝つ為に必死で熾烈な戦いだったのでしょうね!!

但し、近年になり、八幡原で両軍が戦ったのは全くの偶然で濃霧が晴れるとライバル軍が目の前にいた為に、お互い戦う現状になったとも推定されています。ハリー的には、後世の人の語り伝えである、信玄と謙信の一騎打ちや車掛りの陣などの戦法・啄木鳥戦法を用いた山本勘助の伝説を信じたいですね!!


さて、次に向かったのは、上越・高田市・開府400年でもある高田城公園花見祭り会場です。その前に古河のじいちゃんの古くからの友人の方にご親切に案内して頂いて、思いもかけなかった春日山城散策に向かいました。

上杉謙信公の居城・春日山城は日本5大山城の一つで標高198mの山全体が砦ののような緻密な縄張り構造で連携され、北陸地方屈指の難攻不落の名城です。
とにかく、山の天然の地形を巧みに取り入れ、空堀や土塁による幾つにも九十九折に繋がる険しい土作りの天然の要塞で、山頂本丸にたどり着くのは非常に困難だと感じました。

山頂近くに謙信が毎日唱えた有名な毘沙門堂の復元はありましたが、映画などで想像した謙信がこもった洞窟ではなかったですね。残念ながら、当時の面影のある屋敷などは無く、麓に由緒ある春日神社がありました。山頂に向かう途中から眺める上越市の眺めは素晴らしかったですね。




さて、その後、予定していなかった見学コースで日本に初めてスキーを伝えたスキー発祥の地・金谷山向かいました。ここは約100年前の1911年(明治44)1月12日、日本ではじめてのスキー指導が上越市で行われました。指導したのは、当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人で少佐のレルヒ(42歳)でした。その指導を受けたのは、大日本帝国陸軍の長岡外史が師団長をつとめる第13師団歩兵第58連隊の将校たちでした。その当時の記念館やレルヒ少佐の銅像がありました。ここから眺める高田市と直江津港の景観は絶景でしたね。

そして、今回の旅行最大の目的地・高田城公園に向かいました。会場はすでに多くの花見客でものすごい人ごみと満開の桜に仰天しました。その規模と露天商の華やかで賑やかな様子・城郭を包む桜並木・水堀と天守閣の見事な背景美・湖面を移す夜桜のたたづまい等どれをとっても美しく華麗でやはり日本三大夜桜に指定されているなと感じましたね。数年前、弘前城の夜桜を見ましたが、それにひけをとらないくらいの規模でした。





高田城については、前回のブログで紹介しましたが、徳川家康の六男・松平忠輝公の居城である高田城の城下町が開かれた1614(慶長19)年からちょうど400年に当たります。築城は、忠輝公の妻五郎(いろ)八(は)姫の父・伊達政宗が指揮し、江戸幕府をあげての大工事でした。大坂の陣を控えた緊張のさ中、わずか4か月で石高60万石(一説に75万石)を誇る大城郭が完成したといわれています。



次の日は、新発田城を散策しました。この城も平城で、水堀で囲まれ、総石垣の塀に守られています。新発田城(しばたじょう)は、現在の新潟県新発田市(越後国
蒲原郡)にある城郭。別名、菖蒲城(あやめじょう)。新発田藩の藩庁が置かれていた。新潟県内では唯一、江戸時代当時の城郭建築が現存する城跡です。
近くを流れる新発田川の流れを利用した平城であった。石垣には石同士の接合部分を隙間なく加工して積み上げる工法である切り込みハギが用いられています。
天守はなく、本丸の北西隅に3重櫓を上げて「三階櫓」と呼んでいた。三階櫓は新発田城における実質的な天守です。



2日間、4つのお城巡りはハリーにとって、貴重な散策の思い出となりました。どの城にも、その城の目的や役割があり、支配していた大名・城主の歴史、地形や構造の組み合わせに特色があり面白く感じました。そして、それぞれの城郭と地域の人々とのつながりや地域性、現在までの維持管理の重要性が欠かせないなと思います。



お城を散策すると歴史がますます面白くなります。歴史って素晴らしいですね!!
