上野駅に青春の頃の面影を探した夜
ブログネタ:今、初恋の人に会ってみたい? 参加中←地平第二~第三ホーム間にある石川啄木の碑東京都台東区上野七丁目一番地一号東日本旅客鉄道東北本線上野駅。昭和55(1980)年05月02日から平成02(1990)年夏まで足掛け十年を過ごした小生にとってまさに青春の場でございます昨日七月一日実家からからの帰りちょっと立ち寄りまして小生の青春を探してみました←中央改札上の壁画「自由」大鉄傘と呼ばれます中央広場広小路口から入りましてその正面が「A口」と呼ばれました中央改札口です←昭和57年夏、深夜02時の大鉄傘大鉄傘は殆ど変わりませんが照明が下がってむしろ息苦しくなりました←改札から見た中央広場実は上野駅の本屋つまり主駅舎は←昭和57年夏の正面玄関こと本屋こちらでして現在のメインとされている広小路口は←現在の広小路口・庶務室跡通用口に近いものでしたその入口を入りまして右手に旅行センター左手に赤帽事務室がございました←駅長室入口現在ではハードロックカフェの入口になっていますがここが「内勤」こと駅長室(事務室)この先に両替中央出札口がございました←本屋に残る国鉄の記憶正面玄関を出て左手つまり北側には←旅行者援護所鉄道弘済会直営の旅行者援護所がございまして気分が悪くなったり自己起因で怪我をしたお客様が無料で御利用頂けた施設がございましたこの辺分割民営化で「御客様を大切にする精神」が欠落した証明です中央改札口と言えば←中央改札名物の発車案内板発車列車の案内板(木製)が連なって下がった様が名物でしたこの案内板は東北本線=緑常磐線=青高崎・上越線=黄色信越本線=桃色と線区別に色が異なり発光ダイオードによる案内表示になるまで続けられておりました←現在の中央改札口このA口の東側には中央精算所とも呼ばれた改札助役室がございました←中央改札精算所こと改札助役室この改札助役室は直ぐ上のD口浅草改札口の事務室と直結しておりまして高架第五ホーム(9・10番線)南側の階段を下りた処にございました浅草口案内所と隣接しておりました反対には中央案内所がございましてそれも改札内(柵内)と改札外(柵外)両面がありました←昭和58年正月の小生。中央柵内案内所。現在の案内所兼中央改札カウンターはまさに中央案内所の位置と重なりますこの上には放送室がございまして列車の案内放送の他信号所モニター各定点モニターも設置されておりまして情報の中枢でもございました←放送室と「上野の声」山崎職員そんなコール(案内放送)に導かれて切符に鋏を入れてもらって←「自由」この壁画「自由」をくぐり改札を抜けますと地平ホームに並ぶ列車の尾灯が並んでおりました新幹線工事(昭和55~60年春頃)までは地平ホームの南端はほぼ並んでおりまして←地平第一も第二とほぼ並んでいました現在では地平第一ホーム(13番線)と地平第二ホーム(14・15番線)←地平第二ホームの特急1001列車あけぼのの間にわずか「荷物ホーム」が残っておりますが←地平第二ホーム停車中の急行603列車越前以前は地平第三ホーム(16・17番線)と地平第四ホーム(18・19番線)の間にもございました←地平第四ホーム「わたらせエクスプレス2」地平第四ホームは半分が通路と新幹線通路となり埋められてしまいましたがこの先にも地平第五ホーム(20番線)がございまして←地平第五ホーム停車中の急行203列車十和田3号そのホームの壁の後ろは道路現在の岩倉高校前から両大師橋に通じるものですが・・・つまり第五ホームは完全に痕跡も消えてしまったものでございました←浅草通路痕跡新幹線中央改札口(乗換改札)前の広場はもともと線路やホームかあった場所でして地平第四ホーム跡から視点ここから眺めますと浅草通路の痕跡がチラホラと・・・浅草通路跡浅草通路は一時入谷口と呼ばれ国鉄→JR直営鉄道模型店「ホイッスル」などもありまた大連絡橋と平坦になった場所に移設された改札を出て直ぐに直営喫茶店「オアシス」がありこちらは後に警視庁鉄道警察隊上野中隊として使われておりました←地平第四ホーム跡から西方上野に限らず新幹線工事でかなり様子が変わった駅は多く上野では中央改札や地平ホームが未だ面影を見つけられるのに対して高架ホームや大連絡橋はもう・・・・両大師橋から見た高架第六・地平第三ホームこの両大師橋からの眺めは今日も変わりませんが←昭和57年夏・深夜02時の大連絡橋大連絡橋は大きく変貌しましたもともと高架連絡橋と言う細い跨線通路がござまして国電ホームと高架・地平ホームの乗換利便性の向上の為に作られたものですが←現在の大連絡橋南側にあった高架連絡橋が拡大され今日ではそちらがメイン通路になってしまいました←公園臨時改札口。この大連絡橋の西端には遠足などで上野動物園に来た団体旅客専用の臨時改札があり今日でもそれは残りました←高架第三ホームから見た426列車と特急3001列車北陸地平ホームが東北本線・常磐線系統の特急や急行が出入りしていたのに対して高架ホームは主に崎越(高崎・信越・上越線)系統が使われ夜行でも東北系統のものは殆ど無くて←高架第四ホーム停車中の急行703列車天の川秋田行(羽越線経由)金沢行(上越線経由)が出入りしておりました←高架第四~五ホームただ高架第五ホームの10番線と高架第六ホーム(11・12番線)は常磐線専用として使われ特急「ひたち」系統も高架始発が多かった記憶がございます←高架第五ホームの急行ときわ中には通勤電車である常磐線快速電車(上野~取手・成田)ホームから発着したものもございましてまさに常磐線高架は「カオス」混沌でございましたその国電・高架ホームと地平ホームを結ぶ大連絡橋にも大連絡橋案内所がございました←大連絡橋案内所(初代)最初は11番線ホームの真上西に向いた状態でしたが次に11番線ホーム真上は変わらないものの地平第2ホームにつながる階段に面した北向きの位置に変更され新幹線開業後は高架エキナカに面した(ちょっと前までカレーハウス)東向きに・・・伊豆大島三原山が噴火した際には大型のモニターを御客様の方へ向けてずーっと臨時ニュースを流しておりました十五歳から二十六歳まで仕事の無い日にもいや規程違反なのは理解しておりましたがそれでも離れ難かったまさに初恋みたいなものでしょうか或は母であり父でありそんな思いの場に立って次々と記憶が消えて行くのは辛いものです初恋の人とは会わないのが華なのやも知れません