alpha(8X's NEST-仮宿ぐらし漂着編-

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トランプ・クリントンの討論会でクリントン候補が優勢と評価されながらも支持率ポイントには大きな変化がなかったそうで。

一方、富山市議会から始まった政務活動費の不正使用問題は他県にも飛び火しているそうで。

そもそもこの問題掘り起こしのきっかけとなった議員報酬の増額理由が、後継者不足だったそうで。

百貨店が連鎖閉店はネット販売との顧客の奪い合いが原因だとか。

 

消費活動からも見えるインターネットが穿った蟻穴。

個人主義の台頭と調和できていない民主制度の周回遅れ感をまざまざと感じませんか。

 

アメリカの世論は「わかっているけどトランプ候補を放り出せない」と感じていて、富山議会は議員制度が行き詰っているということを心配しながら自分で墓穴を掘り、百貨店は旧来型の販売方法ではだめだと分かって切り替えを図っている。

 

これまでの間接民主主義は失墜する。直接民主制へつなぐ新しい仕組みが必要なんだ。

イギリスのEU離脱に関する国民投票の結果が僅差で離脱を選択したことはご存じのとおり。


日本では自民党が経済問題の解決をニンジンにして憲法改正をもくろみ、アメリカ大統領選挙では内向的政策をわめくトランプ候補なんていう一昔前の冷静なアメリカ人だったら歯牙にもかけられないだろう候補が躍進しようとしている。


民主主義ってこのままにしておいて丈夫なのだろうか。というのが昨今の不安としてある。


大衆迎合主義、人民主義、ポピュリズム、呼び方はなんでもいい。とにかくこういう下卑た考え方というのは、どの勢力の中にも存在していて、それを煽って利を稼ごうというのを理性的にきちんと見抜かなければならない。


まず前提として我々が共通の価値観としている民主主義システムは過渡的な不便なシステムであるということ。現在の方法ではまだまだ工夫が必要だし、圧殺されている人たちも多い。


そこにきて新たな投票権を与えられた18歳~19歳の若者たちがどういう投票行動をするのかとても怖い。


生徒会役員投票ではないということをきちんと伝えられているのだろうか。


我々はこの不便な仕組みの中ではきちんと議会を操らなければならない。議会を操るということは、拮抗した勢力を整えて、ポピュリズムをあぶりだした政策を得るということに他ならない。


拮抗した勢力を整えるということは、場合によってはあえて敵対勢力にも票を投じる行動がその後の正義になることもある、ということなんだけど。

目にするインタビューではなんだか「信じる人に投票します」とか言っちゃってて、すごく心配。まだ議会制民主主義はその段階ではないのですよね。


我々がなぜ議会制民主主義に依存したかといえば、

①多数が一斉に議論する情報処理に耐えられないということと、

②距離や物理的な問題で全員が議場に集まれるわけではないということ、

③そして、経済活動をおろそかにしてまで議論し続けるわけにはいかないという、

やむを得ない事情があってのことにすぎないのです。


あれ。もう少しで解決できそうな課題ではないですか。


議会制民主主義に代わる新しいシステムの誕生を渇望してやみません。

組織がスケープゴートを探しはじめた時、それは負けの始まり。


責任感の醸成なんて組織が堅固に構築されていない限り無理だと思うんだけどね。

なぜかトラブルが起きるとあっさり個人責任追及に回っちゃう。

その個人を監督していた責任は?ちゃんと目をかけていたの?組織の相互支援システムとしての改善策は?

このあたりを顧みないから進化がない。

結局のところ個人のがんばりに帰結して、何もしない人は相変わらず何もしないですよね。

やれやれじゃないですか。


支援があるからその組織を信用して、裏切らないようにしようとか、迷惑をかけまいとする精神が生まれてくるのではないでしょうかね。

それが何か起きると個人追及では、だれも責任を逃れようとすることばかり考えていて、困難は回避するようになる。面白くない。

こんなことでは、なんだか近未来を感じられないんだ

情報リテラシーに間する教育が必要だと叫ばれてから20年になるはずだ。若干補正したとしても15年だろう。私が学生時代には耳にしていたからね。

で、果たして、情報リテラシー教育は間に合ったのか。卒業してからのおおむね15年の感想は「間に合ってない」だ。


そもそもPCの家電化に間に合わず、スマートフォンの普及に間に合わずと、情報リテラシー教育は15年間ずっと後手を踏んでいると思う。


メールによる送りつけウィルスによる情報流出や、ネット右翼の台頭、この前のトピックスにした情強/情弱の発想、社会秩序を平気で無視して私的制裁を加える人たち、自分の持論の前に「個人的には」をつけてコメントを残すことが増えているさまを考えると、情報リテラシーってそういうことを押さえていてナンボだったんじゃないんじゃないの?と思うことは枚挙に暇がない。



そんな環境下で、自分の好きなものが受け入れられるか、勝ち馬に乗れるか、コストパフォーマンスはどうかばかりにクローズアップされすぎて、本質的や大局的な部分がすっ飛んでしまっているようで恐怖を感じる。


それは18歳選挙権への影響だ。

まったくもって選挙権は年齢で制限するのはナンセンスだと思っている。意思があれば何歳からでも参政権があってしかるべきだろう。


しかし、いわば強制的に参政権が付与される現状においては、無意識層に対してはしっかりした参政権教育をしてもいいんじゃないかと思う。


昨今は、政治色はあまり表にしちゃいけない風があるようで、どうも歯切れ悪い感じがあるけれども、国民主権は「人気投票」ありきでやってるんじゃないってことをしっかり表明してやってほしい。

国民主権とは国民に政治統制の権利があることであって、その時々の人気投票でフラフラと操縦するということではないはずだ。

統制とはもっと大局を見て判断するべきで、たとえば政権与党が大勝しそうであるならば、たとえ100パーセント政権与党の政策に賛成であっても、自身へのブレーキを配慮して抵抗勢力へ投票するといった行動が必要になってくる。


面倒だ。不便だし、ふたを開けてみなければわからない。

そうなんです。この投票による議会制民主主義というものは、政治を議論のプロに任せることで一定の不便を飲むという不具合のあるシステムで、もはや時代遅れ。次のシステム待ちのレームダックの制度だからです。


しばらくは小手先の業を使って、局面を乗り越えてくいしかないでしょう。


ああ、分かってるかな。心配だ。




かわいそうに、情報弱者、情弱と呼ばれるのが最近の若者の指弾用語らしい。

昔だったら「オタク」とか、そのあたりに位置するコトバと言えるのかな。


ただ今や、情弱とよそ様を指弾しているタイプは当然、情報に深い造詣を持つ昔のオタクタイプ…ということになるのであれば、まさに栄枯盛衰ですなあと感傷にひたるところであるのだけど、どうも違うようだ。


どう違うのかというと、先日、Youtubeのコメント欄でちょっとした論争を目にしてしまったのだけど、サッカー日本代表の名前を知らないユーザーを情弱だとまくしたてている「情強」ユーザーがおりまして。

実に多弁でありながらも、内容と長さのバランスとちょっと不真面目さを入れるスパイスの良いコメントで、なるほどコイツは「情強」だと感じさせるものだった。

一方「情弱」さんは、言いたいことをツラツラ並べる長文で、言いたいことは分かるんだけど、まあ読みにくいかも知れない感じだった。

しかも情強さんは相手のサブスク動画から情弱さんを女性と見抜いたようだった。

ほうって置いたら相手のアカウントでログインしてしまうんではないかという情強さだ(ウソ)。


情強さんは言いました。


日本人でサッカー代表のAさんの名前を知らないのだとすれば、少数派だ。

少数派は黙って情報を得よ。情報を得てからあらためて発言せよ。


ってさあ、情強さんは、単なるメインストリームの人なんだよね。量産されている情報を得て多数派の席に落ち着いたつもりで相手を情弱だなんて指弾しているけど、果たしてどうかなあ。

片や情弱さんのチャンネルをのぞくとアニメ、お笑い、そしてクラシック音楽までサブスクリプトしている。おそらく、情強さんよりも方々に深い造詣を持っているんじゃないかなあ。

そして強弁している情強さんは…なんとフリートークに4年前から数月前までクレームコメントが10件ほどきてました。


メインストリームにおどらされる多数派と、そうではないサブカルチャーを支える少数派という構図は変わらないだなあ、という実感とともに、情報弱者という言葉が一人歩きした上に反対側へ回りこんでしまったことの皮肉に気がつく出来事でした。


おまけでさ。

コイツさあ、何にも動画あげてないの。サブスクとコメント用アカウント。使い分けこそ情強なの?違うでしょ、どうせコイツは自分のアップロード動画なんてろくに持ってないオーディエンス。自分で動画あげる人はよその動画のコメントで指弾なんてしませんて。

世の中ではオーディエンスこそが情報弱者なんだけどなあと僕は思うんですよね。