宮城県大崎市の学習塾、進学塾「あるふあゼミナールのブログ」 -3ページ目

連休です。高速は30キロ渋滞と・・・

家を出て高速に乗ろうとしたら・・・事故のため30キロ・・

渋滞との標示。あわててUターンして一般道にもどったが

ここも混んでいる。間道を辿りながらいつもの倍近い時間が

かかってしまった。連休である。


道すがら、農家の人が総出で田植えをしているのを

眺めながら・・・総出とはいっても若い人が少ないなあ・・・と

思ってしまった。まず子供達がいない。

昔は田植えは子供たちまで文字通り総出で手伝ったもの

だった。農繁休業といわれる田植え休みがあった位である。

(休みが増えたと喜んでいたのだが、それは夏休み分だった)


田植えは農作業の中で一番楽しい事の一つだった。

田楽などが生まれる所以だろう・・つらい作業の中でも田植えは

希望に満ちている。小学生の高学年ともなると立派な労働力で

役割がちゃんと割り充てられていたものだ。一人前のつもりで

懸命に働いたものである。本当に役に立っていたかどうかは

別としても、この手伝いを通して学校では習えない沢山の事を

学んだものだった。

例えば親戚中から集まった植え手の人たちが手早く苗を

植えながら、おしゃべりをしている中で親戚中の、時には

部落中の、あの人、この人の苦労話などが知れるのであった。


もちろん仕事の段取りや要領についても教えられる事が

多かった。飽きてしまいそうな子供たちに、上手に褒めたり

声をかけたりしながら、いわゆる、仕事を教えていくのは

たいていはその家の主婦であったように思う。


家事労働を分担する中に、教育的な機能が含まれていた

のである。

女の子はお料理などその家の味を知らず知らずの内に

身につけていくのであった。


田植えの風景にあまり子ども達の姿が見えないという事は

そうして教育の機会が失われているという事にならない

だろうか・・・。


田んぼが主たるわが家でも、畑には野菜などを殆んど

自給自足する位の量が季節ごとに栽培されてもいた。

〔分家のわが家の分まで見込まれていた。〕さらに、

販売用に茗荷畑があって、これらの管理は主として

引退したおじいさん、おばあさん達の領域でもあった。

野菜を販売したり、庭先養鶏の卵などの売り上げは

お年よりのお小遣いになっていたのである。

誰もが役割をそれぞれに持ちながら、家族の絆が

育まれていたといえよう・・・。


しかし、今は農家でさえも野菜をスーパーから購入して

来るし、自家製の漬物を作るところも少なくなっている。

買ってきた方がはやい・・というのだが、それと共に

子供たちへの教育力も低下してしまったのだ。


塾でも必ず、田植えを手伝ったかどうかを連休明けには

一人一人たずねる事にしている。手伝ったという人は

大いに褒め称えるのだ。学習は学校や塾の机の上に

だけあるのではない。広い意味では、生活体験その物の

中に生活と一体のものとして存在しているのだから・・・


休日とした塾で一人思う事ども・・・・

生徒の声が聞こえない塾は森閑として何も

ない。

今更のように、受講してくれる生徒が在っての

塾なのだ。


しかも、塾に通う目的は第一義的に、成績の向上

にある。

成績を伸ばすことが学習塾に課せられた課題なのだが

塾に来れば、それだけで成績が上がるわけではない。

生徒の一人一人がヤル気になって、学習内容を

自分のものにする事が大切なのだ。


若い講師の人と最初に話す時、私は決まって

「教えること以上に大切なのは、生徒一人一人を

観ることです。観ることから始めてください」という。

「生徒をよく観れば、何を教えるべきかが解かります。」


「ハイ・・・・」とみんな答えるのだが、一人一人の

理解度は人によって大きく異なる。


塾の講師が生徒を観るのは、姿かたちやキャラなどでは

もちろん、ない。

教科の得点や成績などでもない。

(もちろんそうした事が基本ベースにあるのは当然なのだ。)


私がいう生徒を観るというのは、それぞれの生徒の

各教科における認識の仕方とでも 言った方が良い

だろうか。


各教科には基本となる部分があって、その上にいろいろな分野が

発展しているのであって、その基本部分の認識が出来て

いなければ、思考力もついていかないどころか学習内容を

記憶することも出来ない。

いわば相似の原点とも言うべきところを観ることである。

それを、基本原理に忠実、だから伸びる・・・

とまとめているのだが、はたして皆がどの程度

理解しているだろうか。その理解度も人によって違って

いるかもしれない。


教育は底知れず 難しく、楽しい営為である。


高一になった卒業生が相次いで訪ねてくれた。

高校生活が楽しい・・・と報告に来てくれたのである。





五月連休に入ります。

5月連休に入ります。

とは言うものの私個人は連休を先にいただいて

秋田に帰ってきました。

秋田県能代市の出身なのですが

専業農家のいわゆる本家がいろいろあって

当主が一人暮らしをしているのです.

足腰が弱って、気弱な状況なので、何かの

励ましになればということで、妻と思い立った

のでした。

例年、連休は金沢の孫詣でとしてきたのですが

今年は上の孫も中学生となり、ジジババ相手でも

なかろうと、方向転換をすることに。


何年ぶりかで訪ねる生まれ故郷は懐かしくは

あるものの、同じようなたたずまいに見えながら

話を聞くと変転激しく、あるは大家滅びて小家と

なる・・・といった、方丈記の世界のような感が

あります。いろいろな故人の消息にもふれ、

万感胸に迫るものがありました。


少子高齢化が進んで、高校の統廃合が急ピッチで

進んでいます。

能代市内に普通高校二校と農・工・商の三校と

合わせて五つの高校があったのですが、いよいよ

三校態勢になるのだそうです。バスケットで全国に

名を馳せた能代工業は能代商業と合併、農業高校と

昔の女子高であった能代北が統合ということで

かなり大胆な統廃合が進められています。

同じような統廃合が秋田県各地で進んでいるようで

のんびりしている宮城県とは比較にならないほど

でした。それだけ秋田県の人口減と経済的な低下が

激しいという事なのでしょう。


同じように、生まれ育った村落の変化も厳しいものが

あるのでした。小規模農家はその存続が問われ始めて

いるという現実を目の当たりにすることとなりました。

部落のお墓の数まで減ってしまっている事には、昔日の

感を禁じ得ませんでした。東日本大震災で絆という言葉が

とりあげられていますが、社会的なフエルブンド〔紐帯〕が

東北の農村部でさえ崩壊に直面しているのです。

日本社会の変化を今更のように感じてしまいました。


これが大都市圏になると一層進行していることを

帰ってきて、NHKの番組をみながらしみじみと

考えさせられてしまいました。旧来の日本社会の

共同体が崩壊しつつあり、しかもそれに変わる

新しい社会のありようが未だに定まらない中で

私たちは呻吟しているのです。

大きな社会の変わり目に今あるということなのです。


働く人にとっても、日本的な終身雇用を求める声が

大きくなっているといいますが、その紐帯もまた、

労働自由化という美名の下に、労働人口の半数までが

不定期雇用者であると言われるように、私たちは

自ら破壊してしまったのです。


これまでと根本から違った生き方を考え直す時に

直面しているといえるかもしれません。


そんなことを考えながら、わが塾は明日より一週間の

連休に入ります。再開は5月6日からと致しました。