連休です。高速は30キロ渋滞と・・・ | 宮城県大崎市の学習塾、進学塾「あるふあゼミナールのブログ」

連休です。高速は30キロ渋滞と・・・

家を出て高速に乗ろうとしたら・・・事故のため30キロ・・

渋滞との標示。あわててUターンして一般道にもどったが

ここも混んでいる。間道を辿りながらいつもの倍近い時間が

かかってしまった。連休である。


道すがら、農家の人が総出で田植えをしているのを

眺めながら・・・総出とはいっても若い人が少ないなあ・・・と

思ってしまった。まず子供達がいない。

昔は田植えは子供たちまで文字通り総出で手伝ったもの

だった。農繁休業といわれる田植え休みがあった位である。

(休みが増えたと喜んでいたのだが、それは夏休み分だった)


田植えは農作業の中で一番楽しい事の一つだった。

田楽などが生まれる所以だろう・・つらい作業の中でも田植えは

希望に満ちている。小学生の高学年ともなると立派な労働力で

役割がちゃんと割り充てられていたものだ。一人前のつもりで

懸命に働いたものである。本当に役に立っていたかどうかは

別としても、この手伝いを通して学校では習えない沢山の事を

学んだものだった。

例えば親戚中から集まった植え手の人たちが手早く苗を

植えながら、おしゃべりをしている中で親戚中の、時には

部落中の、あの人、この人の苦労話などが知れるのであった。


もちろん仕事の段取りや要領についても教えられる事が

多かった。飽きてしまいそうな子供たちに、上手に褒めたり

声をかけたりしながら、いわゆる、仕事を教えていくのは

たいていはその家の主婦であったように思う。


家事労働を分担する中に、教育的な機能が含まれていた

のである。

女の子はお料理などその家の味を知らず知らずの内に

身につけていくのであった。


田植えの風景にあまり子ども達の姿が見えないという事は

そうして教育の機会が失われているという事にならない

だろうか・・・。


田んぼが主たるわが家でも、畑には野菜などを殆んど

自給自足する位の量が季節ごとに栽培されてもいた。

〔分家のわが家の分まで見込まれていた。〕さらに、

販売用に茗荷畑があって、これらの管理は主として

引退したおじいさん、おばあさん達の領域でもあった。

野菜を販売したり、庭先養鶏の卵などの売り上げは

お年よりのお小遣いになっていたのである。

誰もが役割をそれぞれに持ちながら、家族の絆が

育まれていたといえよう・・・。


しかし、今は農家でさえも野菜をスーパーから購入して

来るし、自家製の漬物を作るところも少なくなっている。

買ってきた方がはやい・・というのだが、それと共に

子供たちへの教育力も低下してしまったのだ。


塾でも必ず、田植えを手伝ったかどうかを連休明けには

一人一人たずねる事にしている。手伝ったという人は

大いに褒め称えるのだ。学習は学校や塾の机の上に

だけあるのではない。広い意味では、生活体験その物の

中に生活と一体のものとして存在しているのだから・・・