
九州で競馬というと危ない人達がやるギャンブルで怪訝な顔をされそうですけど、私も昔はそう思っていました。
このブログの一言メッセージの中に「競馬」が入っているので、一度はふれておきたいと思います。
(このブログ見ている人、ほとんど競馬のことわからないと思います。すみません)
私の学校の裏が競馬場で、必然的にそちらの道に進んでいったように思います。
今はネットで馬券が買える時代なので、競馬場へはもう行きませんが、素晴らしい所なんですよ。
学校の休み時間に友達に誘われて行ったのが最初だったんですが、その広さと綺麗さに感動しました。
北九州のような、ごちゃごちゃした街の中に、こんな広大で美しい空間があったことに驚きました。
その時は平日でしたので、競馬をするために行った訳ではなく、散歩方々行っただけでした。
その後競馬への抵抗感がなくなり、パチンコ感覚で大レース(菊花賞)を買ったら、当たってしまいました。
でも、これは単なるビギナーズラックなんで調子に乗らず、しばらく勉強期間を置くことにしました。
半年間研究して再度始めたんですが、全くといいほど当たりません。
まさか、今もってやっていようとは、その当時は夢にも思いませんでした。
その年はハイセイコーの子、カツラノハイセイコがダービーを勝って、父の無念を晴らした年でした。
私にとっては、親孝行を何もしないまま、父が他界した無念の年でもありました。
親父が死んで、競馬なんかする場合ではなかったんですが、それを見越しての自宅通学でした。
この写真は、家に飾ってある1993年12月の有馬記念のパネルを写したものです。
手前の馬が勝馬で、名前はトウカイテイオーといいます。父親はシンボリルドルフ。
この馬は、皐月賞、ダービーという大レースを無敗のまま制した名馬でした。
一度骨折後、ジャパンカップも勝ち、断然の1番人気で臨んだ有馬記念は大敗してしまいました。
その後また骨折をして、年齢的なものもあり、この馬はもう終わったと誰もが思っていました。
それでも必死の調整を続け、ようやく出てきたのが、この93年の有馬記念だったんです。
ちょうど1年ぶりのレースです。1年もの間隔が空いて大レースを勝った馬は1頭もいません。
人々は、もうこの馬のことは忘れ、新しい若い馬(写真奥の馬)に人気が集まっていました。
そしてスタート、騎手がしっかりと手綱を抑えまま、いい感じで4コーナーを回ってきています。
さあ直線!先に抜け出した人気馬を一歩づつ捉え、鮮やかに交わしたところが写真のゴールでした。
アナウンサーが叫んでいます「トウカイテイオーだ!トウカイテイオーだ!トウカイテイオー奇跡の復活です!」
乗っていた騎手もインタビューで涙を流しながら、「彼を信じていました」。馬を彼と呼びました。
私も騎手と彼を信じて馬券を買っていました。
まさに感動の復活劇でした(巷では先日亡くなったオグリキャップのラストランの方が有名ですが)。
ちなみに、わたくし、昔からこの騎手のファンで、同じ名前を長男につけました。
家内からは、「本人に絶対に言ったらいけんよ」と言われてまして、ちゃんと守っています。
私は、この月に前の会社を社長と社の方向性を巡って喧嘩になり、課長職を棄て退職しました。
喧嘩してすぐに辞めたんで、それから何のあてもなく就職活動をすることになりました。
翌年の3月には今の会社に入ることになりましたが、全くゼロからの再スタートです。
就職活動中も転職後もずっと、「俺も必ず復活してみせる」と、この馬を心の支えに生きてきました。
その後、前職以上のポジションをいただくことになり、子供を遠くの大学に行かすこともできました。
しかし、今でもこの写真を見ては自身にいいきかせています。
役職や待遇とかそういったレベルのものではありません。仕事を含めて自分の全てのことに対してです。
「このままで終わってたまるか」と...夢を追い求めて。
このブログの一言メッセージの中に「競馬」が入っているので、一度はふれておきたいと思います。
(このブログ見ている人、ほとんど競馬のことわからないと思います。すみません)
私の学校の裏が競馬場で、必然的にそちらの道に進んでいったように思います。
今はネットで馬券が買える時代なので、競馬場へはもう行きませんが、素晴らしい所なんですよ。
学校の休み時間に友達に誘われて行ったのが最初だったんですが、その広さと綺麗さに感動しました。
北九州のような、ごちゃごちゃした街の中に、こんな広大で美しい空間があったことに驚きました。
その時は平日でしたので、競馬をするために行った訳ではなく、散歩方々行っただけでした。
その後競馬への抵抗感がなくなり、パチンコ感覚で大レース(菊花賞)を買ったら、当たってしまいました。
でも、これは単なるビギナーズラックなんで調子に乗らず、しばらく勉強期間を置くことにしました。
半年間研究して再度始めたんですが、全くといいほど当たりません。
まさか、今もってやっていようとは、その当時は夢にも思いませんでした。
その年はハイセイコーの子、カツラノハイセイコがダービーを勝って、父の無念を晴らした年でした。
私にとっては、親孝行を何もしないまま、父が他界した無念の年でもありました。
親父が死んで、競馬なんかする場合ではなかったんですが、それを見越しての自宅通学でした。
この写真は、家に飾ってある1993年12月の有馬記念のパネルを写したものです。
手前の馬が勝馬で、名前はトウカイテイオーといいます。父親はシンボリルドルフ。
この馬は、皐月賞、ダービーという大レースを無敗のまま制した名馬でした。
一度骨折後、ジャパンカップも勝ち、断然の1番人気で臨んだ有馬記念は大敗してしまいました。
その後また骨折をして、年齢的なものもあり、この馬はもう終わったと誰もが思っていました。
それでも必死の調整を続け、ようやく出てきたのが、この93年の有馬記念だったんです。
ちょうど1年ぶりのレースです。1年もの間隔が空いて大レースを勝った馬は1頭もいません。
人々は、もうこの馬のことは忘れ、新しい若い馬(写真奥の馬)に人気が集まっていました。
そしてスタート、騎手がしっかりと手綱を抑えまま、いい感じで4コーナーを回ってきています。
さあ直線!先に抜け出した人気馬を一歩づつ捉え、鮮やかに交わしたところが写真のゴールでした。
アナウンサーが叫んでいます「トウカイテイオーだ!トウカイテイオーだ!トウカイテイオー奇跡の復活です!」
乗っていた騎手もインタビューで涙を流しながら、「彼を信じていました」。馬を彼と呼びました。
私も騎手と彼を信じて馬券を買っていました。
まさに感動の復活劇でした(巷では先日亡くなったオグリキャップのラストランの方が有名ですが)。
ちなみに、わたくし、昔からこの騎手のファンで、同じ名前を長男につけました。
家内からは、「本人に絶対に言ったらいけんよ」と言われてまして、ちゃんと守っています。
私は、この月に前の会社を社長と社の方向性を巡って喧嘩になり、課長職を棄て退職しました。
喧嘩してすぐに辞めたんで、それから何のあてもなく就職活動をすることになりました。
翌年の3月には今の会社に入ることになりましたが、全くゼロからの再スタートです。
就職活動中も転職後もずっと、「俺も必ず復活してみせる」と、この馬を心の支えに生きてきました。
その後、前職以上のポジションをいただくことになり、子供を遠くの大学に行かすこともできました。
しかし、今でもこの写真を見ては自身にいいきかせています。
役職や待遇とかそういったレベルのものではありません。仕事を含めて自分の全てのことに対してです。
「このままで終わってたまるか」と...夢を追い求めて。