
先日、競馬の話しで品格を落しましたので、本日は私が高校バレー部に入ってからの続編です。
面白い展開にはなりませんし、バレー的にはレベルの低い話しになりますけど、勘弁して下さいね。
とんでもない部に入ってしまった私は、いつ辞めると言うか、そのタイミングだけを図っていた。
同じ区内の1位校キャプテンH君と2位校キャプテンN君とは、行き帰り同じ電車である。
同じ中学の長身M君とともに同じボックス席に座る。話題はバレーのことばかり。
この高校のバレー部を復活させるには、俺達が頑張るしかない、と盛り上がっている。
私のクラスでも友達が出来、2人バレー部に入るという。
とても辞めるとは言えない。とりあえず頑張ってみるしかない。
とにかくこれで、3年生3人、1年生8人。一応試合に出れるメンバーだけは揃った。
早くも4月の下旬に九州大会予選があるという。すぐにチーム作りに入った。
チームの一番の課題はセッターがいないこと。1年生の中にもセッター経験者はいなかった。
全員の一通りの練習を見て、セッターは県大会ベスト8のY君に決定。
スパイクを打てない私は、セッターを目指すしかないと思っていたが、早くも目標を失った。
Y君はスパイクが打てなくなると嘆いていたが、セッターはコンビバレーの要である。
3年越しのセッターを一から育てていくわけであるから、極めて重要な選択であった。
他のレギュラーも、ライトH君、センターN君と決まった。
試合が近いため、練習時間の大半がチーム練習。私はその間ボール拾い。負担は少ない。
しかし、1年生は毎日、アップ、パス、対人の後に、5分ワンマンというのが課せられた。
とても手の届かない所へボールを投げられ、ワンマンレシーブを5分間やる。
時計できちんと5分測って時間がきたら、「ラスト」の声がかかる。
このラストからが長い。完璧なレシーブが出来ないと終わらない。とても苦しい嫌な練習だ。
毎日がたまらなく憂鬱になった。だが、段々とコツが分かってきた。
5分間は力を溜めておいて、ラストから全力でやる。ばれないように演技も必要だ。
これで大体、総時間6分以内には終われるようになった。皆もそうなっていった。
しかし、バカなやつが一人だけいた。セッターになったY君である。
毎回死んでいる。なんでこんな簡単なことがわからないのか、本当にバカだと心で笑った。
だが、その光景を毎日見続けていると次第に笑えなくなってきた。
いや自分が恥ずかしくなってきた。
ある日、清水の舞台から飛び降りるつもりで(例えが古い)、1球目から全力で走って飛んでみた。
全てのボールを力の限り追って思い切り飛んだ。ラストの声も聞こえないくらい夢中で飛んだ。
そして「次!」の声、終わった。立ち上がった。ボロボロになっているはずだった。
ところが何とも言えない爽快な満足感が私のこころ一杯に広がった。
何なんだこの感覚は、と思っている間に、明日はもっと頑張るぞという気持ちに既に変わっていた。
下手でもいい。レギュラーになれなくてもいい。バレーに正面から取り組もうと決心した瞬間でもあった。
余談。
それから10年以上も後のことであるが、H君の結婚式でY君と久しぶりに再会した。
隣の席になったY君から言われた。
「高校時代、Take4が必死でバレーやる姿見て、俺も負けられんと思って3年間頑張った」
私がY君に対して思っていたことを、相手は逆に思ってくれていた。
じ~んときた。
ところで、バカ呼ばわりしてしまったY君、彼の名誉のために付け加えておく。
Y君はバカどころか学力優秀で、卒業後九大から院、そしてSONYへとエリートコースを歩んでいく。
これで容姿さえ良ければ完璧だった。どれだけもてたことであったろうか。
天は二物を与えなかった(この場合は三物か)。
私がY君の顔を見てつけたあだ名は、「デバガメ」。
このあだ名がすっかり浸透してしまい、同級生には本名を知らない者もいた。
結婚式での話しを先にしておいてくれれば、こんなあだ名にはなってなかったように思うんですが。。。
続く。
面白い展開にはなりませんし、バレー的にはレベルの低い話しになりますけど、勘弁して下さいね。
とんでもない部に入ってしまった私は、いつ辞めると言うか、そのタイミングだけを図っていた。
同じ区内の1位校キャプテンH君と2位校キャプテンN君とは、行き帰り同じ電車である。
同じ中学の長身M君とともに同じボックス席に座る。話題はバレーのことばかり。
この高校のバレー部を復活させるには、俺達が頑張るしかない、と盛り上がっている。
私のクラスでも友達が出来、2人バレー部に入るという。
とても辞めるとは言えない。とりあえず頑張ってみるしかない。
とにかくこれで、3年生3人、1年生8人。一応試合に出れるメンバーだけは揃った。
早くも4月の下旬に九州大会予選があるという。すぐにチーム作りに入った。
チームの一番の課題はセッターがいないこと。1年生の中にもセッター経験者はいなかった。
全員の一通りの練習を見て、セッターは県大会ベスト8のY君に決定。
スパイクを打てない私は、セッターを目指すしかないと思っていたが、早くも目標を失った。
Y君はスパイクが打てなくなると嘆いていたが、セッターはコンビバレーの要である。
3年越しのセッターを一から育てていくわけであるから、極めて重要な選択であった。
他のレギュラーも、ライトH君、センターN君と決まった。
試合が近いため、練習時間の大半がチーム練習。私はその間ボール拾い。負担は少ない。
しかし、1年生は毎日、アップ、パス、対人の後に、5分ワンマンというのが課せられた。
とても手の届かない所へボールを投げられ、ワンマンレシーブを5分間やる。
時計できちんと5分測って時間がきたら、「ラスト」の声がかかる。
このラストからが長い。完璧なレシーブが出来ないと終わらない。とても苦しい嫌な練習だ。
毎日がたまらなく憂鬱になった。だが、段々とコツが分かってきた。
5分間は力を溜めておいて、ラストから全力でやる。ばれないように演技も必要だ。
これで大体、総時間6分以内には終われるようになった。皆もそうなっていった。
しかし、バカなやつが一人だけいた。セッターになったY君である。
毎回死んでいる。なんでこんな簡単なことがわからないのか、本当にバカだと心で笑った。
だが、その光景を毎日見続けていると次第に笑えなくなってきた。
いや自分が恥ずかしくなってきた。
ある日、清水の舞台から飛び降りるつもりで(例えが古い)、1球目から全力で走って飛んでみた。
全てのボールを力の限り追って思い切り飛んだ。ラストの声も聞こえないくらい夢中で飛んだ。
そして「次!」の声、終わった。立ち上がった。ボロボロになっているはずだった。
ところが何とも言えない爽快な満足感が私のこころ一杯に広がった。
何なんだこの感覚は、と思っている間に、明日はもっと頑張るぞという気持ちに既に変わっていた。
下手でもいい。レギュラーになれなくてもいい。バレーに正面から取り組もうと決心した瞬間でもあった。
余談。
それから10年以上も後のことであるが、H君の結婚式でY君と久しぶりに再会した。
隣の席になったY君から言われた。
「高校時代、Take4が必死でバレーやる姿見て、俺も負けられんと思って3年間頑張った」
私がY君に対して思っていたことを、相手は逆に思ってくれていた。
じ~んときた。
ところで、バカ呼ばわりしてしまったY君、彼の名誉のために付け加えておく。
Y君はバカどころか学力優秀で、卒業後九大から院、そしてSONYへとエリートコースを歩んでいく。
これで容姿さえ良ければ完璧だった。どれだけもてたことであったろうか。
天は二物を与えなかった(この場合は三物か)。
私がY君の顔を見てつけたあだ名は、「デバガメ」。
このあだ名がすっかり浸透してしまい、同級生には本名を知らない者もいた。
結婚式での話しを先にしておいてくれれば、こんなあだ名にはなってなかったように思うんですが。。。
続く。