何年も放置していたこのブログですが、ちょっと復活させてみることにしました。

といっても、平日はPCいじる時間がほとんどない生活なので、

週末にたま~に更新する程度でしょうが。


さて、久しぶりに何を書こうかな。

前はちょっと背伸びして心身問題なんぞについて書いたこともありましたが、

ここはやっぱり慣れ親しんだ本の話にしましょう。


私は、子供の頃から本好きでしたが、児童文学が特別に好きでした。

どう「特別」かというと、

児童文学には、大人向けの小説や哲学なんかよりもずっと明らかに、

ものごとの、宇宙の本質のようなものが書かれているに違いない!

と、自分が子供でありながら直観していたからです。


この直観やがて確信となり、年だけ取った今もほとんど変わっていません。

まさに三つ子の魂百まで。

中学生のころから親に「いいかげん大人向けの本も読め」とか

「人としての正しい生き方を考えろ」などの言葉と共に

買い与えられた本は、ちっとも面白くなくて読んだふりだけしていました。

それどころか、学生時代に河合隼雄先生の本に出会い、

先生の児童文学への深い愛と洞察のこもった数々のご本を拝読してからというもの、

なにゆえ児童文学がすぐれているのかについての理論武装もできてしまい、

私の児童文学びいきはますます確信犯と化したのでした。



はてさて、前置きが長くなりましたが、

最近、楽しくもなつかしい出会いがあったのです。


なんとなく、大型書店の児童書コーナーを眺めていた時のこと。

失礼ながら今まで見向きもしなかった「角川つばさ文庫」のコーナーに、

なにか引っかかるものを感じて、よく見たらびっくり!

『ドリトル先生アフリカ行き』『ドリトル先生航海記』のタイトルが

並んでいるではありませんか!


ドリトル先生といえば、岩波版の井伏鱒二訳が決定版として定着しています。

井伏さんのなんとも味わい深い日本語は、誰にも真似はできないでしょう。

角川版をこわごわ手に取ってみると、ラノベ風(?)のかわいらしいイラストの表紙。

訳者は河合祥一郎というかた。確かシェイクスピアの新訳を進めている先生だったかな?


訳文はこなれていて抵抗なく読めそうなので、買って帰って読んでみました。

井伏訳は、のんびりお散歩するようなテンポでお話が進んでいくのに対し、

新訳の訳文は、なめらかに加速する高性能な自動車のよう。

物語の面白さにつられ、どんどん読み進めてしまいます。

イラストのpattyさんは、これがデビュー作だそう。

岩波版の作者本人のと簡潔で味わい深いイラストとはだいぶ趣が異なりますが、

動物がかわいく描かれていて好感が持てます。


『ドリトル先生航海記』、『ドリトル先生の郵便局』と新訳で読み進めてみましたが、

こんなに面白いお話だったのか!と今更ながら感嘆するばかり。

特に「航海記」の盛り沢山な内容ときたら、

これ1冊あれば何か月か退屈しないんじゃないか、と思ったくらい。

角川つばさ文庫の公式サイトもなかなか楽しいですね。

ドリトル先生の次は『飛ぶ教室』を読もう!というお勧めには思わずにんまり。


ちょっと復活、などと言っておきながら、すっかり長くなってしまいました。

これだから長続きしないんだよな・・・

アヒルのダブダブに怒られそうなのでそろそろ退散します。

では今回はこれにて御免。

去年書き始めてみたものの長らく開店休業していたこのブログですが、

久々に復活させてみるとしますか。


奇しくも最近、長年消息不明だった人の近況を知ることができたのでその話題で。


高塚光(タカツカヒカル)氏、といっても覚えている人はあまりいないかもしれない。

もう20年以上前、「超能力サラリーマン」としてマスコミをにぎわしたお人だ。

短い間にテレビに何度も出演し、本も何冊も出し、氏をモデルに映画も製作され(本人役は三浦友和)、

その後マスコミから完全に姿を消した。


先日書店を物色していたところ、

高塚光著『誰でも簡単にできるセルフヒーリング入門』(飛鳥新社)という本が目にとまった。

この4月に発売されたばかりの新刊だ。

どうしておられるかずっと気になっていたこともあり、さっそく購入して読んでみた。


高塚氏の「超能力」とは、いわゆるヒーリング能力だ。


氏はもともと超能力とは縁もゆかりもない、広告代理店の営業マンだった。

危篤の母の元に駆けつけた時に突然その能力が発揮され、母は医学的に説明不能の回復をとげる。

能力はその後も持続し、やがて周囲の知るところとなり、全国から病人や怪我人が文字通り殺到する。

氏はやってくる人々(皇族から裏社会?のお偉方まで)を一切差別せず扱う一方で、

誰からも一切ヒーリングの対価(お金)を受け取らないというポリシーを貫き通す。

ボランティア活動(?)を続けているうち、会社を退職せざるを得なくなり、やがて自らマスコミから身を引かれた。


新刊を拝読すると、マスコミから姿を消していた間にもいろいろ大変な目に遭われたようだ。

今後は、今までのような完全なボランティア活動とは違う形で活動を再開されるらしい。


私と高塚氏は、性格も本業も全く異なり、一見共通点はない。

私も時々ヒーリングの真似事をしないでもないが、能力の量はもちろん質も、おそらくかなり違う。

しかし、何か通じるものがあるという気がしてならず、ずっと気になる存在だった。


・・・と思っていたら、最近、明らかな共通点が一つ発生していたことに気付いた。

本業とは別に、人様の健康増進のお役に立つ活動を無償で行っているところだ。

(もっとも高塚氏は今はサラリーマンではなくなっているようだが)


私は最近、休日を利用して無償で健康教室のようなものを始めた。

そのことを、同じ内容を職業として有償で行っている知人に話したところ、

「自分の時間を使ってまですることは、自分にはできない」という反応が帰ってきた。

なんとなく割り切れない(笑)気持ちでいたところ、ちょうどネットで見つけた文章にヒントがあった。


どなたかの文章だったか定かでないが、簡単に言うと、

「日本とヨーロッパでは、余暇に関する意識が違う」という趣旨だった。

すなわち、日本では余暇はプライベートなことをする時間だが、

ヨーロッパの余暇は、市民として地域社会など公の役に立つ活動をする時間である、と。


生活の糧としている職業は、社会貢献を建前とする業種ではあるものの、

私自身にとっては自分の生活のための個人的活動という感じが強い。


逆に、余暇に始めたボランティア活動のほうがはるかに、

地球の未来のため、そして自分の成長のためという積極的な意識で臨むことができている。

有償か無償かは、少なくとも顕在意識の上では自分のモチベーションに関係ない気がする。

(参加してくださる方にとってそのへんがどうなのかは、研究が必要か(笑))

まあしばらくは、今の形で活動を続けていく予定です。


うーん、久しぶりに書いてみたのはいいが、まとまりの悪い長文になってしまった・・・

自分や親族、友人知人が高塚氏のお世話になるような事態が訪れないことを希望しつつ、

氏の健勝と活躍、氏の能力が必要な人・場所に届くことを祈って筆を擱きます。

せっかくブログ始めてみたものの、忙しさ(明らかに言い訳 汗)と長文癖(書き始めると、その話題に予備知識のない読者にも最低限わかっていただける程度に解説しないと気がすまない)が災いして、更新が途切れがち…


そこで、今後はゲーテ大先生の「大作を狙うな」という有難い戒めを思い起こし、メモ帳代わりにちょこちょこ書いてみることにしよう。


で、今回は今朝たまたま見たテレビアニメの感想。


「ドラゴンボール」は、ファンではないがリアルタイムで読んだことは読んだ。

その後、現在に至るまで何度も映画が作られたり海外でも大人気だったり、という程度のことはなんとなく知っている。


後に自分が呼吸法やら武道やらを少しかじるようになって、ドラゴンボールに登場する「元気玉」(「地球のみんな、オラに元気をくれ~」と念じて、生き物たちから少しずつもらったパワーを集めて巨大な火球とし、相手にぶつける)はなかなか面白いアイディアだと改めて感心した。

実際、力のある武道家や療術家は同じようなことをやっているのではないだろうか?


最近、日曜の朝なんとなくテレビをつけると「ドラゴンボール」シリーズをやっていて、なんとなく見てしまう。

(たぶん再放送なのだろう。)

で、思ったのだが。

これ、良くない。

粗雑で安易なパワー信仰とでもいうのか、筋肉が多くて瞬発力のある者が勝つ、という単純な展開の繰り返し。

強さは「戦闘力〇〇」というたった一種類の数値で計測できることになっていて、戦闘力の大小によって勝負は戦う前から決まっている。

しかも戦士たちは全員、戦いの前に全身を緊張でがちがちに固めている。

ゆるんでいないことこの上ない。

これを見て育った世代が、教育やスポーツや武道の現役世代として子どもたちの指導に当たっているのだと思うと、あまり楽しい気分ではない。


一方、「気」という言葉が国民的にかなり認知されたのには、ドラゴンボールの力が大きいように思う。

これは率直に言ってありがたい。やはり人気マンガの力は大きい。

海外版では「気」はどう訳されているのか、ちょっと興味ありますね。