「しあわせってなんだっけ?」と問うてみる。 | alongside me

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自由に呼吸させて。好きなように生きたいの。でもひとりにしないで。

ブログネタ:幸せってなんですか? 参加中


むーん。

なんだか考えてしまうよねー。しあわせってなんだろうって。


「美人でお金持ちで才能もあって・・・」と見られるヒトでも死ぬほど苦しんでいることもある。そりゃ贅沢だよと言われても、本人の苦しみは癒えないのよね。


わたしは子どものころ、父親の仕事がうまくいかなくなって借金もいっぱいあって。一家心中なんてニュースで「Aさんには数百万の借金があり・・・」とか言ってると、「それじゃ、うちは何回 心中したらいいかわかんないね!」って笑ってた。


自分が強い人間だとも思わないし、死ぬことで苦しみから逃れようとしたヒトを弱いヤツだとも思わない。たぶんその差はほんのちょっぴりだし、少しの条件の違いで変わるものだと思うから。

・・・自殺はダメだよ とは思うけどね。



三木清の「人生論ノート」に“幸福について”っていうのがあって、これはいつ読んでもズキューンとくる名文。

難しいことばっかりいっぱい書いてある本なのだけど、ここを読むと目の前がすーっと晴れたようなキモチになるの。そうだ、わたしはこうなりたいんだって。



幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもつて彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが倒れてもなお幸福である。

 機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのづから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。 (三木清 「人生論ノート」より)




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ここでいう「人格」っていうのは、肉体であり精神であり、行動であり存在である、いうなれば“その人そのもの”すべてを指しています。自分自身のなかから湧き上がるような「幸福感」、それが自然と表に表れて他のヒトまで幸福にする。

あぁ。そんなふうになりたい。



たぶん遠く難しいことではないんだと思うのよ。だって小さな子どもなんて しょっちゅうそんなふうだもの。何が楽しいんだろーねーとオトナが首を傾げたって、それは幸せな疑問をもらってるだけだもの。

お金があるとかないとか、認められるとかられないとか、そんなことは逆にとても小さなことなのかもね。





鳥が歌うようにしあわせがこぼれでるような

そんなヒトになりたいね。






※「人生論ノート」は著作権が切れているのでそのまま引用しています。古い仮名遣いなどは直しています。