今日という一日は。 | alongside me

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自由に呼吸させて。好きなように生きたいの。でもひとりにしないで。

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「今日という一日は、昨日、誰かが痛切に“生きたい”と願った一日だ」


とあるところで見かけた言葉で(ただし正確には覚えてないので主旨)、思い出すたびにズキュンと胸を打ち抜かれる。「今日という一日」の価値をこんな形で表現されるとは・・・。

昼ごろまで寝て怠惰にダラダラと時間をやりすごす日なんて数え切れないくらいある。だけど、この言葉を思い出すと「精一杯の生き方」をしないことは罪のようにも感じてしまうほど、大切な時間を思い知らされる。

「明日、生きていたい」「明日も生きていてほしい」と願いながら、それが叶わぬ夢となった人がどれほどいるだろう。何にかえても「明日」という日が欲しいと思った人がいた、その「明日」を生きている自分が、いま何をしているんだろう。
そう思うと、「生かされている」ことへの感謝と「使命」ということを考える。精一杯生きなくちゃ!と自然と身が引き締まる。何ができるか、何かできる自分なのかわからないけど、それでもガンバルことが今日を生きているものに課せられた義務じゃないかと思う。