四川の地震のニュースを震える思いで観てから神戸へ。
あの阪神淡路大震災の約半年後、わたしは神戸に行く機会があった。車で移動しながら観た街中は、あちこちに「震災の爪痕」というやつが残っていて、それでもたった半年でここまで復興できるなんて・・・と驚いたのもよく憶えてる。ポートアイランドは液状化現象でたいへんだったところだけど、そこのホテルに1泊するのさえ、ちょっと怖かった。
今回、まさにそのホテル周辺に行ったのだけどもちろん風景はずいぶんと変わっていて、震災の痕跡は探しても見つからなかった。ただのひとつも。近くには大きなマンションがたくさん建っていたし、誰もが普通に暮らしているどこにでもある街に見えた。もちろん震災の影響がたくさんあって「フツーに暮らしてるわけじゃない」っていう人もたくさんいることは想像する必要すらないことだけど、一見しただけではそれがわからないほどになっていた。
正直なことを言えば、「よくこんなところに住めるなー」と思ってしまった。わたしには無理かなって。まぁむしろ一度大きな地殻変動を起こしたところだったら、いまわたしが住んでいるところより安全なのかもしれないけどね。
「忘れることができる」から、ヒトは案外平和な気持ちで生きていけるのかもね。と、この頃よく考える。過去にあった辛いことを全部忘れればいいということでは決してないけれど、頑張って消化して忘れてしまう方がいいこともある。
家族や大切な人を失ったとき絶望だけにとりつかれたようになっても、いつしかそれが薄れていくから生きていけるように。捨て去るのではなく、どこかにきちんと置いてくる・・・っていう感じかな。
過去のものとして置いてくるまでには時間が必要だし、整理するための苦しみもある。でもそうやって置いてきて忘れるのは悪いことじゃないなって改めて思ったりして。
忘却と祈りと希望と幸福についての考察。