皆さんは、枯葉剤という存在を知っていますか?
枯葉剤と聞くと、私はベトナム戦争の悲劇を連想する知識しかありませんでした。
しかし、これからご紹介する記事を知ったとき
他人事ではなくなってしまいました。
「[枯れ葉剤]納得のいく実態解明を」
沖縄タイムスに、沖縄での枯葉剤使用に関する記事が載りました。
以下、沖縄タイムスの記事を転載します。転載記事は色を変えています。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-08-16_22151/
1960年代から70年代前半にかけ、米軍が ベトナム戦争で使用した猛毒の枯れ葉剤が、県内 の米軍施設で除草剤として使用されたり、貯蔵さ れていた可能性が高まった。69年には、北谷町ハンビー地区北側で、破損した枯れ葉剤のドラム缶数十個が埋められていた。
いずれも、沖縄に駐留していた退役軍人の証言によって明らかになった。当時は危険物との認識 はなく、管理はずさんだったという。このため土壌汚染や県民の健康被害の可能性も指摘されている。
日本政府は、当時の保管実態やその後の処分の 詳細など速やかな情報提供を米軍に求め、その内 容を県民に公表すべきだ。なぜなら、この問題は 過ぎ去った過去の出来事ではなく、今につながる 問題だからである。
枯れ葉剤には、発がん性や催奇形性が指摘され るダイオキシンが含まれる。米軍はベトナム戦争 中、南ベトナム解放民族戦線が潜む密林を破壊 し、食料補給を絶つ目的で、61年から71年ま で計約2万回、約8千万リットルを空中から散布 した。
散布地域では、がん患者や先天性異常児、流産、死産が多発した。戦後生まれの子や孫の世代 にも影響は及び、第4世代にまで被害が強く疑われるケースが報告されている。米国の帰還兵など にも被害が出た。
ダイオキシンは自然分解されにくく、土壌に長く残り、飲食などを通して人体内に入り蓄積され る。今もなお、世代を超えて人々を苦しめ、未来を脅かしている現実がある。
沖縄はベトナム戦争当時、米軍の補給・前線基 地となった。シャープ太平洋軍司令官は65年、 「沖縄なくしてベトナム戦争を続けることはできない」と明言している。今回の証言でも、米本国 などから沖縄に運ばれた枯れ葉剤の多くが、嘉手納基地や那覇軍港からベトナムへ輸送されたことが裏付けられた。
復帰前の沖縄に、枯れ葉剤が常備されていたことは公知の事実だったといえよう。とはいえ、埋 められたとする証言は初めてとみられる。政府の迅速な対応が求められるが、その動きは鈍い。
松本剛明外相は9日、外交ルートを通じ米側に 事実関係を照会していることを国会で明らかにし た。ただ、回答期限は設けていない。これでは 「沖縄で枯れ葉剤が使用された記録はない」と一貫して否定してきた米政府の態度を突き崩せるかは疑問だ。強い姿勢で交渉してほしい。
ベトナム戦争で使った枯れ葉剤については今年、韓国でもドラム缶を埋めていたとする元米兵 の証言が発端となり、住民の不安が広がった。
在韓米軍は化学物質などを埋めたことを認め、 韓国環境省は基地周辺の地下水調査に着手したほ か、韓米駐屯軍地位協定(SOFA)の改正を視野に入れ、対策を検討した。この差は、どこから来るのか。
県民の不安が払拭(ふっしょく)されなければ、今後返還される基地の跡利用計画への影響も 懸念される。早急に実態を解明するよう、日米両政府の誠意ある対応を求めたい。
恐ろしい記事です。
それでも毎日、どんどん開発が進んでいる北谷町。
国道58号線を通ると新しいお店や住宅が次々と建設されています。
県内、県外、また国籍を問わず多くの人が日々集まる場所です。
言葉にできません。
震災が起きてから特に感じることは
「知らなかった」では、片づけられない問題が
山のようにあるのではないかと思うこと。
また、住んでいる土地について色々と知ることは
最低限のマナーであり、大事な情報を自ら選別するためにも
重要なことだということを日々感じるようになりました。
どうか自分自身の身を可愛がるためではなく
未来のために多くの人が行動をうつす世界になりますように。
長い記事を読んで頂き、ありがとうございました。
この記事については、あまりに報道されていないので、
もしかしたらまだ耳にしたことがない方が
いるのではないかなと思い、ブログに書こうと思いました。
1人でも多くの方とシェアすることできれば幸いです。