愛犬を失って思うこと | アメリカ メイン州からアロハ

アメリカ メイン州からアロハ

アメリカ、ハワイ州から、東海岸最北のメイン州に引っ越しました。
日本の方にはあまり馴染みのない、メイン州の出来事を私の経験を通してご紹介したいと思います。

よろしくお願いします。

今日のメイン州、朝から雪❄️です。


昨日まで、20度C近い気温の日がちらほらあり


春になったのかなあと喜んでいたら


今日は、白いものがふわふわ舞う、暗い空です。


ため息が出る。😩


夫が仕事に出かけた後、



暗い家の中で、アレクサが流すジャズブルー音符音符をバックグラウンドに


朝のお一人さまコーヒー☕️タイムをしております。





コーディのことは、犬というより


「小さなヒト」と感じていたくらい


面白い性格の大きな存在でした。


夫にとっても今までの人生で1番大切なワンチャンだったそうです。



(夫の靴下を履いてふざけるコーディ)



(アスパラをシガーよろしくくわえるコーディ)



何人かのお友達や家族にお悔やみの言葉やお花ををいただき




夫も私も、ずいぶんと元気づけられました。


ありがたいことです。


コーディのいなくなった最初は、


大きな穴が空いたような痛みで、苦しい気持ちでしたが


だんだんそれも「清々しい悲しみ」に代わり、


今は、すっかり前向きになれました。


ワンチャンや猫ちゃんは、生まれた時から、人間より寿命が短いのは決まっていること。


私たちの子供でいてくれる間、たっぷりの愛情を注いで


一緒に成長していく、かけがえのない存在


その子が、天に召されたら、


「色々経験できて、幸せな犬生(じんせい)だった」と喜んでくれるでしょう。


ひょっとしたら


「もっと、ダディとマミィと一緒に居たかったな」


と言ってくれているかも。







私も、夫も、二人が出会うずっと昔、それぞれに、ペットを飼っていたことがあります。


夫は20代で、ラブラドールリトリーバーを子犬の時から育て、


私も同じ頃、シャム猫の子猫を人生初めてのペットとして迎え入れました。


「ペットはいつか居なくなる」という概念は思いもよばず


いつも玄関先でひとりぼっちで待っていてくれる子をないがしろにしたまま


若い頃の私たち、仕事に行くだけではなく、





パーティや、デートや、お出かけやらで、


若い時のアルアルだと思います。キョロキョロ


ペットのことはおろそかにすることが多々ありました。


今思うとギルティー感満載です。滝汗



そして、寿命が来て亡くなると、


仕事を休みたくなるくらいペットロスの落ち込みを味わい


悲しみに打ちひしがれました。


えーんえーんえーん


今にして思えば、私の場合、その感情は



「初めてのペットを失ったから」とも言えますが、


「自分がペットに依存していたから」じゃないかなと思います。


ペットのことを想うより、


「ペットがいなくなった自分がかわいそうなのだから、落ち込んでいいのだ」


という気持ちが、気付かずとも、どこかにあったような気がします。


それから、いくつかのペットの死を迎えましたが


今回は、悲しいのすぐ後に、


「コーディが私の人生いてくれてよかった」という感謝の感情が湧いてきます。


そして、コーディが、あちらの世界で幸せに生きていけることを心から願います。


こういう前向きな気持ちになれたのも、



色々お見舞いのメッセージをくださるお友達や家族に


返信している間に、気持ちがすっきりしてきたからだと思います。


書くことって📝、セラピーになりますね。



我が家にペットがいないのは、結婚してから初めてのことです。


ブログでは挙げませんでしたが、猫のモモも、


7年以上潰瘍生腸炎を患った後


今年一月他界しました。






私たち夫婦にはニンゲンの子供はいませんが、


犬や猫を育てることで、私たちも育てられているのは確かだと思います。


真っすぐな愛情を教えてもらうのはもちろんのことですが、


病気になったときや、何が欲しくて泣いているのかわからない時、





悪戯をやめずにイライラさせられる時、


私たち人間は、オトナの目でどうしたらいいのか診てあげなければならないし、


一緒に日向ぼっこする幸せな時、


お散歩に出るときの嬉しさ、






ビーチでたっぷり遊んだ後の爆睡お昼寝、






美味しいものをちょっぴりお皿からあげる時の大喜び、





という小さな幸せが日々の生活にちりばめられていて、


コーディにもモモにもずいぶんと教えられました。





いつか、次の子をお迎えするのが楽しみです。