私たちは人とのコミュニケーションの中でちょっとした摩擦が生じることがあります
日本では、黙って(言わないで)我慢することが多いのですね
でも、聖書的には、例えば預言者など、言って我慢するというところがあります
言わないで我慢、よく使う格言「雄弁は銀、沈黙は金です」。こちらが悪いと思っていないのに相手に謝り、その場を丸く収める。そして相手との関係はそれで終わらせる。現状は全く動きません。
一方、言ったことへの我慢は、ある時は自分が泥を被るようなこともあるでしょう。キリスト教的な言葉で表すなら「十字架を負う」のです。
罪の赦しがあるならば、その摩擦によって、自分と相手との関係が変わることはないのです。
神様は私たちを愛して私たちの罪を贖って下さいました。私たちは赦されている側なんです。
「しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。」ローマ人への手紙5章20節
私たちの我慢のしどころ試されてます。