稲作を始めた日本人は新殻を臼(うす)に入れ、復活の唄を歌いながら杵で搗き、この白米を、新しくおこした火を使い、新たに汲んだ水によって炊きあげた。こうしてつくった神饌を八百万(やおよろず)の神々に供え、人々もまたこれを神と共食し、活力のよみがえりを期待した。
戦前の日本では「数え年」を年齢としたため、正月になると皆が一つ歳(とし)をとり「あらたまの年たちかえる」という改まった感慨にひたることが出来た。
元旦、一番鶏と共に起き出た年男は、めでたい「唱い言」をとなえながら生命の水を汲み上げ、シメをつけた手桶に杓子で汲み入れる。この若水(初水)と呼ばれる水を、まず歳神(としがみ)に供え、家族全員がこれで口をすすぐことによって、生命を新たにすることができると考えた。こうした行事は、水稲耕作の複合文化として、いまも東アジア一帯に広く分布している。
これと似たような庶民生活に密着した行事として、元旦に里芋を食べる習俗がある。里芋は子芋が多いため多産と豊穰の象徴とされる。里芋の皮をむいて食べることは、脱皮再生、若返ることを意味し、これによって人の生命も更新、活性化されると考えた。
このような行事や習俗のもとに迎える新年である。自然に「めでたい」という気持ちになっていったのだが、その心をどのようにして今後に生かしていくかは、大きな課題といえよう。