「義」に生きる | 同じ空の下で ~ To you who do not yet look ~

同じ空の下で ~ To you who do not yet look ~

まだ見ぬあなたへ。僕らは、同じ空の下にいながらも、それぞれの感じ方で生きている。
「偶然は必然」というように、僕らを直接結びつけるものはなくても、意図しない形で、思いもよらない所で、あなたと私がきっかけひとつで繋がったことに感謝☆




(以下、読売新聞ニュースより)


欧米のジャーナリストらを相次いで人質に取り、
殺害してきたイスラム過激派の矛先が、ついに日本に向けられた。


日本人とみられる男性2人が「イスラム国」とされる過激派に拘束され、

日本政府に20日、身代金が要求された。

日本側に通告された「猶予」は72時間。

家族や関係者らは無事を祈りながら、情報収集に追われた。


ナイフを手にした黒ずくめの男の両脇でひざまずく男性2人。
「イスラム国」が公開したとみられるインターネット上の映像では、

湯川遥菜(はるな)さん(42)とジャーナリストの後藤健二さん(47)とされる2人は、

男が身代金を要求する間、終始無言だった。
一人はしきりにまばたきを繰り返し、もう一人は不安そうな表情を浮かべていた。


後藤さんが代表を務める映像通信会社「インデペンデント・プレス」(東京都港区)の

ホームページによると、後藤さんは仙台市出身。

1996年に同社を設立し、テレビのニュース番組で

シリア内戦やソマリアの海賊対策などをリポートしていた。
アフリカ・シエラレオネの少年兵やルワンダの大虐殺を生き延びた家族に関する著書もある。


日本政府関係者によると、後藤さんが、

拘束されている知人の湯川さんを助けるため、中東に向かったのは昨年秋。
自身のツイッターやネットに投稿された動画などから足取りをたどると、
昨年10月2日にトルコからシリアに入り、翌3日、同国北部で市民の声などを動画で伝えていた。



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やはりそうだったか。


公開された動画に映るふたりを見て思ったことは、

湯川氏は、虚ろな目をして所在なさげな表情を浮かべているのに対して、

後藤氏は、真っ直ぐに視線を送るその瞳の奥に、信念があるように感じた。


先の記事を綴った時は、ふたりの関係を知らなかったが、

後藤氏は、経験のない湯川氏に対して、

シリアには入らない方がいいと、忠告していたそうだ。


「あの時、もっと強く言っておけば」と、

自分を責める気持ちが働いたのではないだろうか。


たとえ自分が拘束される目に遭っても、救出に向かわなければと、

心が動いたのではないだろうか。



「義」だ!まさに「義」だ!



後藤氏は仙台出身であるから、

幕末の会津藩に同情する心が代々受け継がれ、

そんな熱い血が、体中をめぐっていたのかもしれない。


美談に仕立てようと思っているのではない。

しかし、こうしたニュースが報じられると、

決まって聞こえるのは、「自業自得」の声だ。

それは本当に正しいのだろうか?


「自業自得」とは、「殺せ」と言っているようなもので、

特にネットでは、自分の素性を知られない形で無責任に放言される。


その言葉は、相手の体を傷つけるものではないが、

相手の心を傷つけ殺してしまうもの。


イスラム国は、武力や暴力で相手を殺してしまうが、

この日本にだって、言葉で相手を殺してしまう連中がたくさんいる。

心で相手を殺すことが、武力や暴力に劣ると言えるだろうか。


SNS世代にも耳馴染みのよい言葉を使えば、

「負けるとわかっていても戦わなければならない」時があるように、

「死ぬとわかっていても最期まで見捨てる訳にはいかない」時がある。

大病の父母を見捨てることができないように、

自分がアドバイスを送った相手が、行った先でトラブルに巻き込まれたら、

何ができるかは別として、何とかしたいと思うものではないのか?


事件をかいつまんで、「自業自得」なんて、とても口にできるものではない。

後藤氏は、紛争地域でのジャーナリストとしての実績があって、

湯川氏にアドバイスを送っている「責任」を感じている。


「彼が拘束されているのを知って、知らないふりはできなかった。

たとえ自分が巻き込まれても、「義を見てせざるは勇なきなり」を貫くべきだと思ったから」

後藤氏は、そのような信念に突き動かされたに違いない。


今一度、問う。「自業自得」でひとが救えるのか?

「触らぬ神に祟りなし」でひとが救えるのか?


「義を見てせざるは勇なきなり」


政府は、日本の主張をしっかり伝えるだけでなく、

後藤氏が何に突き動かされてそこにいるのかを、

それ以上にしっかり伝えることができれば、

ジハーディーともジハーディストとも呼ばれる聖戦戦士たちの心に、

しっかり響くのではないだろうか。


「経済第一」「経済優先」という言葉をよく口にする安倍政権。

「経済」の元々の起こりは、「世を經(おさ)め民を済(すく)う」という「経世済民」にある。


「利をもって利となさず、義をもって利となす」


この言葉を拘束されているふたりに向けて送ることで、

ふたりの心を済うことができるし、そうした言葉が直接的に、

あるいは同じイスラム諸国のメディアから間接的に聖戦戦士たちの耳に届けられれば、

血を流すことなく、また莫大な身代金を支払うことなく、

ふたりの解放を実現できるのではないだろうか。


イスラム国であっても、心や魂のレベルで共感できるものに訴えれば、

それこそ安倍首相が演説したように、欧米諸国では果たし得ない役割、

即ち、対立の構図や積年の怨念を取り払うための一助を担えるのではないだろうか。


事と次第によっては、日本人に限らない拘束された外国人たちをも、

解放することさえ叶うのではないだろうか。


オバマ大統領が、イスラム国の殲滅を宣言したが、

日本は、日本の考え方を懇切丁寧に伝え続けることが肝要だ。







(参照)


日本人殺害予告のイスラム国、日本政府を非難 - 2015年1月20日過去記事より

http://ameblo.jp/aloha-spirits-yoshi/entry-11979539521.html