「復活」した赤ちゃんが死亡 | 同じ空の下で ~ To you who do not yet look ~

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まだ見ぬあなたへ。僕らは、同じ空の下にいながらも、それぞれの感じ方で生きている。
「偶然は必然」というように、僕らを直接結びつけるものはなくても、意図しない形で、思いもよらない所で、あなたと私がきっかけひとつで繋がったことに感謝☆


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(以下、Record China より)


2013年11月23日、安徽網は、

話題となった「火葬寸前でよみがえった赤ちゃん」が死亡したと報じた。


20日、安徽省で赤ちゃんが火葬される寸前に泣きだし救出される事件があった。

赤ちゃんには先天的な障害があり両親も治療を放棄、医師も死亡と診断していた。

病院側は謝罪し担当医に停職処分を科している。


救出された赤ちゃんは再び治療を受けたが、22日に死亡が確認された。

病院側は北京から招いた著名な小児科専門医が

適切な治療だったと認めているとの声明を発表している。

しかし最初に死亡診断を受けた19日の夜、赤ちゃんは一晩病室に放置されていた。

同日の最低気温は3度、か弱い赤ちゃんに

大きな負担を与えたことは間違いないと記事は指摘している。



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「復活の赤ちゃん」が死亡した。

最初に「復活」を聞いた時に、虚しさを覚えた。


両親は治療を放棄、医師による死亡診断が出されていた子が、

復活したとして、その後に辿る運命はどうなったのだろうか。


延命治療を望まないケースは往々にしてあると思う。

それでも、死亡したはずの我が子が、実は生きていたと知って、

感情をかき乱されないでいられるはずはない。


病院側の落ち度を庇うつもりはないが、

両親との間で、放置することを決め込んでいた可能性はないか?

この家族の経済状況はわからないが、

いずれ亡くなる我が子を早く処分するために、

死亡を着せた可能性はないのだろうか?


中国では、医師に対する暴力が度々発生するなど、

プレッシャーやストレスが相当あると聞く。

また、人身売買や臓器売買の話も頻繁に聞く。


中国でも、地方では、土着信仰が根強いと聞くから、

治療をめぐるトラブルだとか、非科学的な行為などもあるだろう。


誰にでも必ず訪れる「死」に際しても、

中国都市部では、土葬のための敷地がないそうだ。

土に還ってこそ安らかになるという「入土為安」に基づき、

火葬を拒む人民のために、「火葬偽装ビジネス」なるものが横行しているとも聞く。


「人の生死を食い物にする」構図として、

実にけしからんと思っていたのだが、

どうやらそれだけではない事情があるようだ。


「一人っ子政策」が軟化の兆しを見せているが、

これまでの中国政府による政策が社会の歪みとなって、

闇を大きくしてしまっているのではないだろうか。


想像の域を脱しないが、治療が困難な我が子がいるうちは、

一人っ子政策によって次の子は望めないからと、

見殺しにされた命だったのではないだろうか。


「見殺しに」と言ったが、制度が、社会が奪った命かもしれない。

中国のそうした事情に通じている訳ではないので、

正直、何が正解なのか答えをもっていない。


自分がその両親の立場だったら、目の前の命に対して、

最後まで治療を望んだと言い切れる自信がない。


貧困の中にあったら、裁かれる側になっていたかもしれないし、

そうした両親の苦痛を軽減するために、やってはいけないとわかっていながら、

過ちに手を染める医師になっていたかもしれない。


自分が少しずつ確実に年をとって感じることは、

自分に迫りくる様々な「リミット」に対する不安。


本来は、こうした記事を読んで、正論めいたことを綴りたいところだが、

闇の部分や人間の弱さを思うと、はっきり言い切れない自分がいる。


自分の心が、何かに立ち向かう気力に満ちていないのだろう。

この記事に触れて、久しぶりにへこんだ。