宇宙の限りなき優しさの中で -22ページ目

宇宙の限りなき優しさの中で

大好きな映画や音楽、日々の生活で感じたことを綴ります。

今回は、ラマナ・マハルシの弟子でパパジやプンジャジとも呼ばれるH・W・L・プーンジャと出会い「覚醒」を得たガンガジさんが世界各地で行った対話から心に響いた言葉をご紹介します。




ある日の朝、今回の対話の質問者がテレビを観ていたら、スピリチュアルの時間という番組でガンガジを放映していた。

だが、アニマルプラネットのほうが面白そうだとチャンネルを変えた質問者は、次の日もガンガジが映っていたと語る。

その番組の中で男性が「毎日、毎日、真剣に瞑想をしているにもかかわらず、ちっとも幸せではありません」と話したのに対し、ガンガジは「じゃあ瞑想をやめたらいかがですか?」と答えた。

質問者はそれを観てガンガジのことが気に入り、ネットで彼女のことを調べ、その話を熱心に聞き「なるほど、わかった!」という体験もしたが、そのうち再び気分が落ち込んでゆく。

その後、ガンガジの集会に初めて参加した質問者は、会場で彼女を見た時に、自分は何にもわかってなかったことに気づく。

何かを見落としていると感じた質問者は「ガンガジは、何もしなくていいと言ったけれど、それは、ただ何もしないで過ごせという意味じゃない。いったいなんだろう?」と自問した。

そこで、「せっかくいただいた、“今ここ” という大切なギフトをないがしろにすることはできない」と注意を払い始めた。

そして、“意識的でいる” ということを発見し、平安を得る。

のちの集会の対話で、この質問者は新薬の副作用で視力のほとんどを失い身体的な苦痛もあるが「でも、私は平安です」と話す。


では、その対話でのガンガジさんの言葉を。



私が、「何もするな」と皆様に申し上げてきているのは、真実です。本当に言葉通りです。

私たちは “自分が何かをする” ことで、与えられたギフトに養分を与え、次々に子芋を増やしていくのだと思い込みがちですが、そうではありません。それは “尊重” ではありません。

やるべきことがあるとすれば、そう、もし何かをなさりたいのなら、発見なさった “真実” に常に意識的に注意を向けていることです。あなたがおっしゃったとおりです。
尊重する。愛する。とは本当はそのような意味です。

もしそれが重荷になっているようなら、何かが違います。
きっと、“あなた” が何かを “やっている” でしょう。
あなたが何かをやっている。
尊重 “して” いる。
ヴィジランスを “やって” いる。
愛 “して” いる。
あれやこれやを “やって” いる。
それは、本当の尊重ではありません。

真に尊重するとは、あなたがおっしゃったように、「わからない!」と、ただ心を開くことです。それが、ヴィジランスです。
完全に初心のままに、完全にわからないまま、心を開いている。「私は何も知らない」 と。


※ ヴィジランス:常に意識を最大に広げた状態でいること。

私たちの存在の深奥に在る “真実” を尊重しなければ、地球も、人々も、多様性も、平安も、尊重することなどできません。
“真実” を尊重せずにあなたが何かをすると、善人として行動しながら害をまき散らすことになります。歴史が証明しています。

一瞬、止まり、真実を尊重する。
心底、“今ここに在る” “それ” に心を開く。
意識的に注意を向けている。
ただそれだけです。




※今回の対話の全文は、翻訳されているサイト「ガンガジとの対話」の「やるべきことがあるとすれば」の記事をご覧ください。

ちなみに、私も今回の質問者と同じく、ガンガジさんの「じゃあ瞑想をやめたらいかがですか?」がとても気に入ってます。

あと、ガンガジさんの著書『ポケットの中のダイヤモンド』が我が家にあったので、この機会に読み返してみようと思います。




「私は何も知らない」 と、完全に心を開いている。

それは、絶望の中で苦からの解放に目覚めた『ザ・ワーク』の著者であるバイロン・ケイティさんや、臨死体験者で『喜びから人生を生きる!』の著者であるアニータ・ムアジャーニさんも語っていた「無知の知」と共通しています。

内なる心が平安であること、大事ですね。


今回の曲は、カントリーシンガーのシャナイア・トゥエインの楽曲で『フォーエヴァー・アンド・フォー・オールウェイズ』。


Forever And For Always / Shania Twain