本『ナザレのイエスは神の子か?』を読み終えて | 宇宙の限りなき優しさの中で

宇宙の限りなき優しさの中で

大好きな映画や音楽、日々の生活で感じたことを綴ります。

 
前に紹介した、まだ日本での公開が未定の新作映画で、米国一流紙のベテラン記者が、イエスが実在し神の子だったのかを調査した記録本の映画化作品『THE CASE FOR CHRIST』。



映画『THE CASE FOR CHRIST』英語版予告編



この映画の原作である記録本『ナザレのイエスは神の子か?』を
日曜に通う教会にお借りして読んでみました。


ナザレのイエスは神の子か?
 リー・ストロベル著『ナザレのイエスは神の子か?』
「キリスト」を調べたジャーナリストの記録



今回は、この本の中から、私が新約聖書を読んでイエスが地上に生を受けた意味について同じように感じたことが書かれてあったので、その部分を紹介します。

まずは、著者がインタビューしたカーソン博士の言葉から。


私が言いたいのは、人間の心を変え、神を愛するようにするのが
イエスのメッセージの目的だったという点です。

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして
神を愛し、隣人を自分のように愛することができるように、
人々が変えられていくこと。




次に、博士の話を聞いての著者の言葉。


かつて私は筋金入りの人種差別主義者の男を知っていた。

彼は他の人種に対して絶対的な優越意識を持ち、
彼らを見下していた。

アフリカ系アメリカ人に対するそうした意識や態度を
隠そうともせず、露骨な冗談やきつい言葉で凝りかたまった
怒りをぶちまけていた。

彼とどんなに話をしても、
その不愉快な考え方を変えるのは不可能であった。


しかしその後、彼がクリスチャンになった。

そして驚いたことに、神が彼を変えていくにつれ、
彼の態度、考え、そして価値観も変わっていったのだ。

すべての人間が神の形に似せられて造られている事実を
聖書から学んだ彼は、もはやどんな人物に対しても
悪意を持つことはできないということに気づいたのである。

そして現在の彼は、すべての人に対して理解と深い思いやりが
にじみ出る人物となっている。


法律は彼を変えることはできなかった。

理性も、感情的な訴えも、彼を変えることはできなかった。

この人物は、神が彼を内側からも外側からも、
そのすべてを決定的に、完璧に、そして永遠に変えたのだと
証言するに違いない。


徹底的に他人を嫌う人を人道主義者に、
冷酷な人間を思いやりに満ちたボランティア精神あふれる人に、
強欲の塊を無欲な奉仕者に、
そして奴隷制やその他の権力を利用して他人を搾取する人々を、
寛容な心を持った人物に変える……。

これが福音のなせるわざだ。

そして、私が目の当たりにした知人の変化も、この一例である。




この本を読み終えて感じたこと…

「愛する」ということは動詞であり、法則ではない。

いま巷にはたくさんの法則が存在するが、それらを学ぶより、
ただ「愛する」ことを、きっと神は望んでいる。

その神と共にある愛を言葉にして人々に伝えたのが、
人として生まれたナザレのイエスという人物であった。


聖書にある彼の物語は今も多くの人に読み継がれ、
毎日世界のどこかで福音のなせるわざが起きていることだろう。

そのことにイエスという存在の大きな意味があると感じてる。

ある意味、復活を遂げたイエスは、彼の伝記(福音)と出会って
変わりゆく人たちの心の中で今も生きているのだと思う。