起きた地震で考える「3つの領域」 | 宇宙の限りなき優しさの中で

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大好きな映画や音楽、日々の生活で感じたことを綴ります。

 
2日連続で大きな地震が起こりました。

私の住む地域でも大きく揺れました。


前の記事で紹介したバイロン・ケイティさんが著書で伝える
3つの領域」について、今回は考えてみます。


世界には、たった3種類の領域しかありません。
「私の領域」、「あなたの領域」、そして「神の領域」です。



ケイティさんが言うこの「3つの領域」を、今回起きた地震を例に、ケイティさんの言葉を交え、私なりに解釈してみます。



まずは、「神の領域」について。

今回のように起きてしまった地震について、「どうなるのか不安でしかたがない」という恐れの考えが湧いてきたら…


「神」という言葉は、「現実」を意味します。
現実こそが世界を支配しているという意味で、神なのです。
私やあなた、みんながコントロールできないもの、
それが「神の領域」です。

地震や洪水、戦争、死について危惧していれば、
「神の領域」に入っていることになります。

私が頭の中で、「神の領域」に干渉していると、
自分自身(私の領域)から離れてしまうことになります。



今回起きた地震は自然災害ですから、誰にもコントロールできないものなので、これは「神の領域」です。

起きてしまった地震について、いつまでも恐れや不安な考えを抱き続けたら、思考が「神の領域」にいることになります。

そうすると、「私の領域」には誰もいない状態となります。


自分の考えが「神の領域」に入っていると…

地震は怖いと不安を募らせ、その惨事を見て恐怖を抱きます。

そして、「この先どうしたらいいんだろう…」と、まだ起きてもいない未来について更に不安な考えを募らせていきます。


自分自身から離れず、「私の領域」にとどまると…

地震が起きて、「あー怖かった!」と不安を感情表現するだけにとどまり、今自分に何ができるかを考え行動します。

将来の不安に考えが行かず、今できることを考えます。

それは、人命救助であったり、復旧作業かもしれません。

これが、「私の領域」にいるということです。



次に、「あなたの領域」について。

地震後について、「政府はなぜこんな状況でも原発を止めないのか」という憤りの考えが湧いてきたら… (これは私の場合ですね)


誰かに対し「あなたはこうすべきである」と考えるとき、
私は「あなたの領域」に入り込んでいます。

誰かにとって最善のことを自分が知っていると考えるのは、
自分の領域(私の領域)を離れることになります。



誰かの行いや発言について、自分の考えを押しつけ批判しているのであれば、思考が「あなたの領域」にいることになります。

これもまた、「私の領域」には誰もいない状態となります。


自分の考えが「あなたの領域」に入っていると…

対応が悪いと怒りを募らせ、その行動を見て憤りを抱きます。

そして、「政府の判断や対応は間違っている」と、自分の主張が正義であるかのように傲慢な考えを募らせていきます。


自分自身から離れず、「私の領域」にとどまると…

政府の対応を見て、「原発を止めろよ!」と怒りを感情表現するだけにとどまり、今自分に何ができるかを考え行動します。

善悪の判断に考えが行かず、今できることを考えます。

それは、ボランティア支援であったり、寄付かもしれません。

これが、「私の領域」にいるということです。



以上、これはあくまで私なりの解釈なので、読む人それぞれが自身の解釈で判断していただけたらと思います。

2日目の更なる大きな地震は、地球から「それでも人類は原発を稼働する道を選ぶのか?」と問われている思いがしつつも、私は「私の領域」にとどまるという選択をします。