この一ヶ月間、いや一年間は、いったいなんだったんだ。

確か、このブログを前回更新したのは昨年(2010年)の7月だったな。
Y's cupという自動車の草レースに真夏の暑い中、観戦に行ったのを記事にしたのが最後だと思う。

それから約九ヶ月の月日が過ぎ、
いま、僕の勤務する老人病院の窓には、満開を少し過ぎたばかりのサクラが、花を散らせながら初夏の躍動へとエネルギーを充電している。

もう、このブログの更新、自分への日記帳を書く事は辞めようと思い昨年から放置していたんだけど、
この数ヶ月間、直近の数週間の出来事や社会変貌は、40歳を過ぎた僕の心境、心理状態に不可逆的変化をもたらすには十分過ぎるものであった。

震災、原発、放射性物質拡散。
これらの出来事は、僕の心理状態を蝕み、廃人寸前まで追い込んだ。
もう、ちっちゃな事がバカバカしく思えてならない。
まるで心臓外科の仕事に携わっていた頃の末期、人間として腐りきっていた頃の様だ。
どうでもいいことが、この街中に溢れて吹き溜まりの様に感じてならない。

昨年、入職して来た新人に教えた事、サイトカイン、フリーラジカル、酸塩基平衡、12誘導心電図、心内心電図、プレゼンテーション、何もかもが無意味に思えてならない。
病院、医療機関という狭い世界、狭い空間から飛び出してしまうと、こんな知識や技術なんて生きて行く上で全く必要無い。
毎日、毎日、そう感じる。

僕は、北関東の農村の出身で、いまも実家には年老いた母とその愛犬が寄り添って生活している。
実家には小さいながらも畑もあり、そこでは毎年、毎年、収穫という自然の恵みがあり、四季を感じ、ささやかに喜び、楽しみ生きていた。

しかし、これからは無い。
目に見えない、ラジエーションという悪魔が全てを奪い去った。
近隣で農業を生業にしている人は落胆の毎日であろう。葉ものが出荷自粛とのことだ。
その場凌ぎの暫定基準値を超えたらしい。

農薬や化学肥料を使用せず、釣って来た魚や生ゴミをコンポストの中に入れ、それを畑で耕し、育み、収穫を楽しんで来た、年老いた母と、その横で見守って来た愛犬の生き様は、いとも簡単に奪い取られた。

実家の建物が傾いたり、屋根瓦が落ちるなんて事は、労力やカネが解決してくれる。
だけど、汚された土地は解決できないし、取り返す事が出来ない。

この起きてしまった現実に対し、誰も責任を取ることは出来ないだろう。
今回、僕らの周囲に降り注いだ魔物は、半減期が数十年から数万年に至という。
人間の短い命では、とうてい勝てやしない。
そもそも時間軸が違うんだから。

人間は、地球上に太陽を作ろうとしているのか?
それともブラックホールを作ろうとしているのか?

それは神(自然)に対する冒涜以外の何者でもない。

少なくとも僕は、自分の人生の残された時間、生きられるであろう時間の中で責任を持って、生きたいと強く思う。
自分の生き方に盲目にならないで。



少し疲れているかもしれません…