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①11820S→11840C -2.0tick
②11840L→11870C +3.0tick
③11870S→11895C -2.5tick
④11895L→11930C +3.5tick
今日の収支 +2.0tick
年間収支 +2.0tick
②11840L→11870C +3.0tick
③11870S→11895C -2.5tick
④11895L→11930C +3.5tick
今日の収支 +2.0tick
年間収支 +2.0tick
昨日ネット上のニュースにこんなのがあった。
「菅首相は、普通の人の能力以下の人」テレビの情報番組で、島田晴雄・千葉商科大学長がこう酷評した。
by J-cast news
僕の家にはテレビが無いのでリアルタイムで見た訳では無けど、後からテキスト起こしなどを読んでみると、この大学教授が原発再稼働問題でやや感情的になり発言したようだ。
はたして我が国の総理大臣って、ホントに一般人より一般的な能力が低いのだろうか?
家事や炊事、洗濯などの普通の人なら毎日行う事などは一般人以下かもしれない。
けど、
総理大臣以前の身分は衆議院議員である。
国会は立法府である。
そのような職場環境で何十年もメシを食って来た総理大臣は、一般人より法案や法律についての見識を持っているであろう。
少なくとも現総理の菅直人氏は、小泉チルドレンや小沢チルドレンと称されタナボタで当選した輩よりは、国政や外交の経験、知識は数多く持っているだろう。
てことは、国会議員の大半は一般人以下の能力ってことか?
そんな事は無いだろう。
もう、こんな子ども騙しの発言を多様しマスコミが煽って、我が国の長(おさ)の任期を短くするのはヤメた方がいいと思う。
この発言をした大学学長が運営する「千葉商科大学」の偏差値をチェックしてみた。
平均で44だった。
偏差値50が全受験生の平均点だったよね?
自分が学長を努める大学の知的水準が、全受験生の平均値以下なのによくも偉そうな事が言えるもんだ
。
まず自分ところの学生を一般的な水準まで持って行くのが仕事だろ?
大学学長なら。
今の日本で、ホントにこんな大学に通う意味があるのか?
公認会計士や税理士に本気でなりたいなら、大原やTACなんかの専門学校に行った方が早いと思う。
大学全入時代
今年も専門学校が最終学歴の僕より基礎教養(基礎生物)が少ないと思われる某医療系大学卒の新人が入職して来た。
僕が中学生や高校生だった頃に覚えた体循環(注1)や消化器系の流れ(注2)を全く知らない。
もうこんなヤツに何を教えても無理だし、僕の人生も潤わない。
だから今年からは事務的な人間関係の構築を目指し、業務内容も事務的なルーチンワーク指導のみとした。
名も無き大学への進学を考えている親御さんに言いたい。
「そんな無駄金使うなら、子どもをニセコにでもバイトに出して英語を覚えさせなさい」所詮、この国は経済的に沈み行くのだから…
ニセコでオージー相手に接客をすると自然に喋れるようになるらしい。
(注1)左心室-大動脈-動脈-毛細血管-静脈-大静脈-右心房-右心室-肺動脈-肺-肺静脈-左心房-左心室
(注2)口-食道-胃-十二指腸-小腸-大腸-直腸-肛門
「菅首相は、普通の人の能力以下の人」テレビの情報番組で、島田晴雄・千葉商科大学長がこう酷評した。
by J-cast news
僕の家にはテレビが無いのでリアルタイムで見た訳では無けど、後からテキスト起こしなどを読んでみると、この大学教授が原発再稼働問題でやや感情的になり発言したようだ。
はたして我が国の総理大臣って、ホントに一般人より一般的な能力が低いのだろうか?
家事や炊事、洗濯などの普通の人なら毎日行う事などは一般人以下かもしれない。
けど、
総理大臣以前の身分は衆議院議員である。
国会は立法府である。
そのような職場環境で何十年もメシを食って来た総理大臣は、一般人より法案や法律についての見識を持っているであろう。
少なくとも現総理の菅直人氏は、小泉チルドレンや小沢チルドレンと称されタナボタで当選した輩よりは、国政や外交の経験、知識は数多く持っているだろう。
てことは、国会議員の大半は一般人以下の能力ってことか?
そんな事は無いだろう。
もう、こんな子ども騙しの発言を多様しマスコミが煽って、我が国の長(おさ)の任期を短くするのはヤメた方がいいと思う。
この発言をした大学学長が運営する「千葉商科大学」の偏差値をチェックしてみた。
平均で44だった。
偏差値50が全受験生の平均点だったよね?
自分が学長を努める大学の知的水準が、全受験生の平均値以下なのによくも偉そうな事が言えるもんだ
。
まず自分ところの学生を一般的な水準まで持って行くのが仕事だろ?
大学学長なら。
今の日本で、ホントにこんな大学に通う意味があるのか?
公認会計士や税理士に本気でなりたいなら、大原やTACなんかの専門学校に行った方が早いと思う。
大学全入時代
今年も専門学校が最終学歴の僕より基礎教養(基礎生物)が少ないと思われる某医療系大学卒の新人が入職して来た。
僕が中学生や高校生だった頃に覚えた体循環(注1)や消化器系の流れ(注2)を全く知らない。
もうこんなヤツに何を教えても無理だし、僕の人生も潤わない。
だから今年からは事務的な人間関係の構築を目指し、業務内容も事務的なルーチンワーク指導のみとした。
名も無き大学への進学を考えている親御さんに言いたい。
「そんな無駄金使うなら、子どもをニセコにでもバイトに出して英語を覚えさせなさい」所詮、この国は経済的に沈み行くのだから…
ニセコでオージー相手に接客をすると自然に喋れるようになるらしい。
(注1)左心室-大動脈-動脈-毛細血管-静脈-大静脈-右心房-右心室-肺動脈-肺-肺静脈-左心房-左心室
(注2)口-食道-胃-十二指腸-小腸-大腸-直腸-肛門
3月に発生した、大震災、津波、原発事故などを目の当りにし、震災前のメンタリティーやライフスタイルを取り戻せず鬱積した毎日を過ごしてた。
最近になり、ようやく心と体のバランスが回復し、独り旅でもと考え5月下旬、4連休を取得し西へと向かった。
5月上旬のゴールデンウィークは勤務する老人病院で怠慢な仕事をしていたので、その代休消化が主なる目的である。
なんの予定も立てず、気の向くまま愛車で東京から西に走った。
久々の東名高速下りは平日の日中ということもあり順調に流れ、梅雨入り前の快晴と重なり僕の心理状態を高揚させた。
「そういえば、ここ数ヶ月はホントにへこんでたなぁ…」
ため息とともに、この言葉が自然に出た。
この震災、原発事故以降の数ヶ月はホントに気持ちが疲弊しモチベーションが萎えていたので、久々の高揚感が心地よく感じられた。
肝心の旅に話を戻すと、
泊る宿やスケジュールを全く決めず出発したので、
初日の寝床を決めるため東名浜名湖SAで、ネットを使い検索することにした。

近頃のSAはFree Spotがあり気軽にネットにアクセス出来る。便利になったものだ。
東京を10時に出発しこの時は13時頃、夕食時間までに間に合いそうな所を中心に探した。
グーグル検索で新城観光ホテルという、ビジネスプランがある温泉旅館(ホントは沸かし湯らしいけど…)を発見した。
中年オッサンの独り旅でもビジネスライクなら怪しまれず歓迎されるかな?という羞恥心もあり、電話をしてみると「空室があり当日予約でもビジネスプランなら食事も付く」との内容。
「17時までにチェックインします!」と即答をし、豊橋近郊にある新城市を目指し愛車を走らせた。
5月20日、新城観光ホテル到着。
豊川(ゆたかがわ)という豊橋付近をを流れる川の上流部にあり、工業地帯の近郊にしては自然も多く感じられた。
特に気に入った所は「なんにも無さ感」。
非常にいい。
中年オッサンの独り旅、虚しさを増幅してくれそうな虚無感が気に入った。
次回もこの辺に独りで来る事があったら、ぜひともチョイスしたい宿である。


夕食の料理は親戚の法事なんかに出て来そうな、天ぷらあり、刺身あり、煮物あり、みたいな一般的な感じだったけどビールのつまみにはバツグンの相性。

上げ膳据え膳の醍醐味もあるしね。
翌日は早朝から豊川の遊歩道や吊り橋、公園などを簡単に散策し、旅館内にあるウッドデッキで朝食を摂った。
この日も特に予定などは決めて無かったけど、朝食時のシックスセンスで奈良県を目指す事に決めた。

普通の関東人なら京都や奈良は修学旅行で経験済みなんだろうけど、僕の通っていた高校は「東北スキー場軟禁修学旅行」だったので奈良県は初体験。
学会で大阪、神戸には行った事はあるけれど。
そんな感じの2日目の始まりであったが肝心の宿泊先が決まらないと、どこにどう行っていいのか分からないので初めに宿の手配をすることにした。
新城市内のwimax圏内で車を停車し、ヤフー旅行サイトで検索をした。
目に留まったリストの中に健康センターとホテルが融合した様な施設を発見。
その名もズバリ「奈良健康ランド」!
ここはプラザホテルも併設しているらしい。
まぁ、健康センターであればホテルが満室でも仮眠室はあるはず。
寝床には困らないだろうという安直な発想である。
5月21日、目的地は奈良県天理市、奈良健康センター。
昔、人工心肺の研修に行った某大学病院に「天理よろず病院」から、同年代の技士が同時期に研修に来ていたのを思い出した。
「確か天理教の総本山だよな?」程度の予備知識しか無いままであったが、現地を目指し名神高速を西に向かった。
名神高速では、本来なら名古屋辺りで「新名神道路」の方に行かなくてはいけないのに、道を間違えてしまい「旧名神道路?」の方に進んでしまった。
どういう訳か?飛騨高山の辺りを通過したが、なんとか京都まで辿り着けた。
京都からは「ここは一般道なのか?有料道なのか?」と、判断に困惑する様な道路を南下した。
暫くすると奈良県に入ったけど、どこにも法隆寺や前方後円墳などは見当たらない…
ごくごく普通の地方都市、田舎の幹線道路沿いの光景が延々と続いた。
iPhoneのつたないナビゲーションだけが頼りだったが、なんとか奈良健康センターに到着した。
その場所はパチンコ屋と健康センターが溶融したような空間で、僕が抱いていた奈良県、邪馬台国みたいなイメージとは懸け離れ、俗世界そのもものファシリティーだった…
健康センター内に入り受付のお姉さんに「予約していないのですが、ホテルに宿泊出来ますか?」と尋ねると、「ツインのお部屋でしたら、ご用意出来ます」との返事。
独り旅なのでホントはシングルが良かったけど仕方ない。多少割高になるけど…
早速、宿泊の手続きをさせてもらうことに。
時間は14時前、チェックインは15時から。
夕食までもだいぶ時間がある。
せっかく奈良まで来たのだから、仏閣や寺院、古墳などを廻ろうと思い、カウンターのお姉さんに近隣の観光スポットを聞いてみると「駅前に天理教の教会があり出入りは自由」との事務的な回答。
僕の天理教に対するイメージは、「天理高校が甲子園」、「高田馬場駅前で布教活動をしている人がいる」みたいな感じ。可もなく不可もなくみたいかな?
健康センターの送迎バスで天理駅前まで行き、そこから商店街をすり抜けるように歩き続けると、
目の前に「ものすごく大きな神殿が出現した!」

天理教教会本部と書いてある。目の前で見るとホントにでかい。
更に周囲を見渡すと似た様な雰囲気の建築物が沢山あり、天理市のホームページに書いてある「宗教との融合都市」みたいな内容が妙に納得出来た。
僕自身は天理教の信徒ではないので施設に入場する前に警備室みたいな所に立ち寄り、見学の可否を確認することにした。
警備室に居た職員風の女性に事情(僕は信徒ではないけれど見学していいですか?)を説明すると、
「見学は自由だし、良ければ神殿内を案内してくれる」との返事が帰って来た。
僕はご好意をありがたく受け、案内をしてもらうことにした。
案内では、天理教の始まりや神殿に祭られている神様の名称、参拝方法などが説明された。
なんでも天理教の教えでは、天理市自体が人類の紀元地であり、天理市を訪れる行為を「おぢばかえり」と呼ぶらしい。
商店街に掲げてある「おかえりなさい」と書いてある看板の謎も解けたし、意味も分かった。
どうやら天理教の信徒の方にとって、天理市に行くことは「実家に帰る」みたいな行為なのだろう。
また、この日は天理高校の宗教科?の生徒さんが多数参拝に来ていて、大勢の若者が声を揃え祈る姿に僕は圧倒された。
最後に、神殿内や天理教の説明をして下さった女性に対しお礼を申し、感謝の気持ちを少しばかりの浄財という形で表現しその場を後にした。
再び奈良健康センターの送迎バスに乗り、ホテルに戻りチェックインをした。

独り旅には勿体ない、落ち着いた感じの部屋である。
障子ガラスを開けた時に眼下に広がるパチンコ屋のネオンと、この部屋の静寂感との乖離、ミスマッチがまたいい…
この奈良プラザホテルの魅力は、なんといっても大浴場だろう。それも天然温泉の。
健康センターだけあって、お風呂の設備はかなり充実している。
サウナあり、岩盤浴あり、露天風呂あり、壷湯あり、と。
約2時間掛けて、全ての風呂を制覇した後は夕食である。
館内にはフードコートやラーメン屋など食事処が充実しており、独り旅のオッサンは目移りするばかりだ。
そんな中で僕が選んだのは鉄板焼の店。
でも焼肉は食べません。独り焼肉は寂しいから…
この店を選んだ理由は鉄板焼がメインながら和膳などもあり、落ち着いてサケが飲めそうな感じがしたから。
フードコートとかだと家族連れが多いから、なんとなくサケを飲んでいても気を遣っちゃう。

和膳だと昨日の夕食で食べた天ぷらや刺身などが被っちゃうけど、この手の和食は大好物なので何日続いても飽きないかな。
夕食の後は”温泉と部屋ザケ”のプログラムを何回か繰り返し、午前零時を過ぎた辺りで眠りに就いた。
温泉の長時間入浴による体熱感と飲酒による倦怠感が、僕の体と心を包み込んで行くのが実感出来た。
この日も充実した一日であった。
5月22日、目的地は天龍村。
この独り旅二日間の教訓で、当日手配が出来る宿が少ない事を実感した僕は、前日の夜、とある宿を予約しておいた。
だいぶ酔っぱらっていたけど、絶対リザベーション出来ているはずである。
そう信じ、長野県天龍村にある「ふれあいステーション龍泉閣」なる所を目指し、愛車の舵を東に切った。
前夜、部屋ザケを煽りながらネットで、天龍村についての事前学習も少しだけした。
なんでも長野県で一番過疎化が進んでおり、高齢者人口も50%を超えているらしい。
いわゆる限界集落ってやつだ。
天龍村に向かう前にお土産でも探そうと、ホテルを出発したあと愛車で天理市街に向かった。
駅前アーケードをトボトボ歩きながら天理教の法被やら、本場名物の奈良漬けなどを見ていたら突然の豪雨。
暫くその場から出られなくなってしまい、一時間ほど雨宿り。時間は既に昼12時を過ぎた。
少し小腹が空いたので、車で走っていて見つけた「森田商店」なる食堂に入った。
天理名物のスタミナラーメンを頂くことに。
ニンニクが凄く効いていて旨かった。
老夫婦が営むこの食堂。なんか昭和の懐かしさがあり、子どもの頃、死んだオヤジと食べに行った近所の食堂もこんな感じだったな…なんて思ったりもした。
スタミナラーメンで体が暖まったところで、再び天龍村を目指し出発した。
天理市から四日市辺りを通り、今度は間違えず「新名神道路」に入れた。名古屋を抜け中央道に入り、ひたすら飯田ICを目指した。
中央道を降りると「イニシャルD」に出て来そうな峠道が続く。
僕は「藤原拓海」になったつもりで峠を攻めた。
愛車に装着されているレカロシートは、僕を優しくそして強く包み込んでくれた。
いつまでも峠道が続く訳でも無く、1時間半程走ると天龍村に入ってしまった。
天竜川を塞き止めて作られたであろう平岡ダムを横目で眺めながら運転を続け、今宵の宿である「ふれあいステーション龍泉閣」を探した。
iPhoneナビの表示では、JR飯田線の平岡駅がゴールになっている。
狭い集落の狭い道路を完走し、なんとか平岡駅に到着した。
その瞬間なぜゴールが駅だったのか理解出来た。「ふれあいステーション」という名称の通り、駅舎が温泉施設と宿泊施設になっているのである。
更に驚いた事にチェックインを済ませた部屋のカーテンを開けると、眼下に平岡駅のホームがあり乗客達が普通に電車を待っていたりする。
これは「鉄ちゃん(鉄道ヲタ)」には堪らない環境だろう。

早速、温泉にでも浸かってビールでもと思ったが「限界集落の夕暮れ」を肌で感じようと考え、愛用のデジイチ(デジタル一眼レフカメラ)片手に村内を歩いてみた。
暫くすると、ちょっとした距離を歩くだけでも息切れがする…
休日、愛犬と一緒に5kmから10km歩いている僕にとって、この程度の歩行距離で息切れするのは意外な事実だった。
息を切らし歩いて来た道のりを振り返り眺めて見ると、平坦な地形は殆ど無く上り坂や下り坂の連続。
アップダウンの激しい地形が知らず知らずのうちに、普通の歩行行為を負荷運動に変えていたのだろう。
アスリートには最高のトレーニング環境だろう。
トボトボとデジイチを首からぶら下げて更に歩いていると、数人の村人から「ブッポウソウですか?」と聞かれた。
「ブッポウソウって…何だろう?」と思いながら、適当に相づちを打ち挨拶を交わした。
天竜川に掛かる橋まで辿り着き、掲げてある看板に目を移すとブッポウソウについての記載があった。

そうなんだ。ブッポウソウ(仏法僧)とは渡り鳥だったのです。
村の人達はデジイチ片手に歩く僕をバードウォッチャーだと思い、ブッポウソウについて話し掛けてくれていた訳です。
丁度この頃、シベリア辺りから飛来するらしい。
残念な事にブッポウソウとの遭遇は無かったが、適度な運動による疲労感を感じたので宿に戻り温泉に浸かった。
温泉施設は建物の最上階にあり、大きな窓から見下ろすと天竜川の流れが一望出来た。
あまり大きくはない浴場であるが、天龍村から見える空の小ささと妙にマッチングしている。
風呂の後は晩飯である。
この3泊4日の独り旅、最後の夕食になってしまった、
食事は宴会場に用意してあるらしい。
時間は19時。夕食を楽しみにしている宿泊客で賑わっているはずだ。
メニューや風呂上がりの一杯などを想像しながら足を運ぶと、50代と思われる女性スタッフが独りで食事の支度をしてくれていた。
やや広めの宴会場に他の客はおらず、僕の食事だけが一膳ぽつんと用意してある。
がらんとした宴会場…
僕は一抹の不安を感じ、女性スタッフに「今日の食事は僕独りなんですか?」と訪ねてみた。
すると返事は「今日泊ってるのは、お客さん独りだけですよ」だった…
「ふれあいステーション龍泉閣」の宿泊客は、僕独りだけだったのです。
これが独り旅の醍醐味なのだろうか?いくら独り好きの僕でも気持ちが萎えちゃう。
そんな僕の気持ちを察したのか女性スタッフは気さくに声を掛けてくれ、烏龍ハイと冷奴をサービスしてくれた。
ご好意がありがたい。
料理は海が無い長野県らしく山菜やマス、牛肉などが並び、サクラ肉も40年の人生で初めて食した。
生肉があまり得意でなかった僕は今までこの手の食材を敬遠して来たが、ニンニクを沢山絡たサクラを口にするとマグロの大トロみたいな食感でたいへん美味であった。

夕食を堪能し、ほろ酔い加減で部屋に戻ると、部屋の窓には闇夜に包まれた平岡駅が映っている。
1時間に数本だけ訪れる車両からは、何人かの高校生や会社員が降車する。
このホームを利用し家路を急ぐ高校生の多くが、人生の岐路に立った時この限界集落を離れるのだろう。
この繰り返しで村が疲弊し、冷えて行くんだ。
日本という国家が抱える、過疎、人口減、高齢化、避けては通れない問題を、独り部屋ザケを煽りながら想い、いつのまにか眠りに就いた。

5月23日、目的地は現実社会、東京。
早朝、僕は乗車中の電車が警笛を鳴らし、ドアが開閉する光景を夢の中で見た。
夢の中から少しずつ覚醒状態に近づくにつれ、自分の置かれている場所や環境が少しずつ理解出来た。
「そうだオレは平岡駅に泊っているんだ」と。
宿泊している部屋の向こう側では、始発を待つ車両が運行前点検を受けているようだ。
その音が就寝中の僕の耳に入り大脳の中で再構成され、夢としてチープな映像が覚醒間際に上映されたのだろう。
昨夜の深ザケが少しだけ残っている感じがしたが、天龍村を囲む山々の樹木が放散した、出来たての酸素は最高の解毒剤になった。
「さあ、朝メシでも食べて東京に帰るか!」
朝食は1階にあるレストランに用意されていた。
地域の定番と思われる、赤味噌の「熱いみそ汁」を胃の中に流し込んだ。
現実逃避をする様に東京から出発した独り旅も終わろうとしている。この寂しさを同時に噛み締めながら朝食を頂いた。

「そうだ、帰りは中央道で直接帰らず、上信越道を通って関越に乗りゆっくり大泉まで帰ろう」
東京という現実の日常から少しだけ逃避する小さな器の自分がそこにいた。
最近になり、ようやく心と体のバランスが回復し、独り旅でもと考え5月下旬、4連休を取得し西へと向かった。
5月上旬のゴールデンウィークは勤務する老人病院で怠慢な仕事をしていたので、その代休消化が主なる目的である。
なんの予定も立てず、気の向くまま愛車で東京から西に走った。
久々の東名高速下りは平日の日中ということもあり順調に流れ、梅雨入り前の快晴と重なり僕の心理状態を高揚させた。
「そういえば、ここ数ヶ月はホントにへこんでたなぁ…」
ため息とともに、この言葉が自然に出た。
この震災、原発事故以降の数ヶ月はホントに気持ちが疲弊しモチベーションが萎えていたので、久々の高揚感が心地よく感じられた。
肝心の旅に話を戻すと、
泊る宿やスケジュールを全く決めず出発したので、
初日の寝床を決めるため東名浜名湖SAで、ネットを使い検索することにした。

近頃のSAはFree Spotがあり気軽にネットにアクセス出来る。便利になったものだ。
東京を10時に出発しこの時は13時頃、夕食時間までに間に合いそうな所を中心に探した。
グーグル検索で新城観光ホテルという、ビジネスプランがある温泉旅館(ホントは沸かし湯らしいけど…)を発見した。
中年オッサンの独り旅でもビジネスライクなら怪しまれず歓迎されるかな?という羞恥心もあり、電話をしてみると「空室があり当日予約でもビジネスプランなら食事も付く」との内容。
「17時までにチェックインします!」と即答をし、豊橋近郊にある新城市を目指し愛車を走らせた。
5月20日、新城観光ホテル到着。
豊川(ゆたかがわ)という豊橋付近をを流れる川の上流部にあり、工業地帯の近郊にしては自然も多く感じられた。
特に気に入った所は「なんにも無さ感」。
非常にいい。
中年オッサンの独り旅、虚しさを増幅してくれそうな虚無感が気に入った。
次回もこの辺に独りで来る事があったら、ぜひともチョイスしたい宿である。


夕食の料理は親戚の法事なんかに出て来そうな、天ぷらあり、刺身あり、煮物あり、みたいな一般的な感じだったけどビールのつまみにはバツグンの相性。

上げ膳据え膳の醍醐味もあるしね。
翌日は早朝から豊川の遊歩道や吊り橋、公園などを簡単に散策し、旅館内にあるウッドデッキで朝食を摂った。
この日も特に予定などは決めて無かったけど、朝食時のシックスセンスで奈良県を目指す事に決めた。

普通の関東人なら京都や奈良は修学旅行で経験済みなんだろうけど、僕の通っていた高校は「東北スキー場軟禁修学旅行」だったので奈良県は初体験。
学会で大阪、神戸には行った事はあるけれど。
そんな感じの2日目の始まりであったが肝心の宿泊先が決まらないと、どこにどう行っていいのか分からないので初めに宿の手配をすることにした。
新城市内のwimax圏内で車を停車し、ヤフー旅行サイトで検索をした。
目に留まったリストの中に健康センターとホテルが融合した様な施設を発見。
その名もズバリ「奈良健康ランド」!
ここはプラザホテルも併設しているらしい。
まぁ、健康センターであればホテルが満室でも仮眠室はあるはず。
寝床には困らないだろうという安直な発想である。
5月21日、目的地は奈良県天理市、奈良健康センター。
昔、人工心肺の研修に行った某大学病院に「天理よろず病院」から、同年代の技士が同時期に研修に来ていたのを思い出した。
「確か天理教の総本山だよな?」程度の予備知識しか無いままであったが、現地を目指し名神高速を西に向かった。
名神高速では、本来なら名古屋辺りで「新名神道路」の方に行かなくてはいけないのに、道を間違えてしまい「旧名神道路?」の方に進んでしまった。
どういう訳か?飛騨高山の辺りを通過したが、なんとか京都まで辿り着けた。
京都からは「ここは一般道なのか?有料道なのか?」と、判断に困惑する様な道路を南下した。
暫くすると奈良県に入ったけど、どこにも法隆寺や前方後円墳などは見当たらない…
ごくごく普通の地方都市、田舎の幹線道路沿いの光景が延々と続いた。
iPhoneのつたないナビゲーションだけが頼りだったが、なんとか奈良健康センターに到着した。
その場所はパチンコ屋と健康センターが溶融したような空間で、僕が抱いていた奈良県、邪馬台国みたいなイメージとは懸け離れ、俗世界そのもものファシリティーだった…
健康センター内に入り受付のお姉さんに「予約していないのですが、ホテルに宿泊出来ますか?」と尋ねると、「ツインのお部屋でしたら、ご用意出来ます」との返事。
独り旅なのでホントはシングルが良かったけど仕方ない。多少割高になるけど…
早速、宿泊の手続きをさせてもらうことに。
時間は14時前、チェックインは15時から。
夕食までもだいぶ時間がある。
せっかく奈良まで来たのだから、仏閣や寺院、古墳などを廻ろうと思い、カウンターのお姉さんに近隣の観光スポットを聞いてみると「駅前に天理教の教会があり出入りは自由」との事務的な回答。
僕の天理教に対するイメージは、「天理高校が甲子園」、「高田馬場駅前で布教活動をしている人がいる」みたいな感じ。可もなく不可もなくみたいかな?
健康センターの送迎バスで天理駅前まで行き、そこから商店街をすり抜けるように歩き続けると、
目の前に「ものすごく大きな神殿が出現した!」

天理教教会本部と書いてある。目の前で見るとホントにでかい。
更に周囲を見渡すと似た様な雰囲気の建築物が沢山あり、天理市のホームページに書いてある「宗教との融合都市」みたいな内容が妙に納得出来た。
僕自身は天理教の信徒ではないので施設に入場する前に警備室みたいな所に立ち寄り、見学の可否を確認することにした。
警備室に居た職員風の女性に事情(僕は信徒ではないけれど見学していいですか?)を説明すると、
「見学は自由だし、良ければ神殿内を案内してくれる」との返事が帰って来た。
僕はご好意をありがたく受け、案内をしてもらうことにした。
案内では、天理教の始まりや神殿に祭られている神様の名称、参拝方法などが説明された。
なんでも天理教の教えでは、天理市自体が人類の紀元地であり、天理市を訪れる行為を「おぢばかえり」と呼ぶらしい。
商店街に掲げてある「おかえりなさい」と書いてある看板の謎も解けたし、意味も分かった。
どうやら天理教の信徒の方にとって、天理市に行くことは「実家に帰る」みたいな行為なのだろう。
また、この日は天理高校の宗教科?の生徒さんが多数参拝に来ていて、大勢の若者が声を揃え祈る姿に僕は圧倒された。
最後に、神殿内や天理教の説明をして下さった女性に対しお礼を申し、感謝の気持ちを少しばかりの浄財という形で表現しその場を後にした。
再び奈良健康センターの送迎バスに乗り、ホテルに戻りチェックインをした。

独り旅には勿体ない、落ち着いた感じの部屋である。
障子ガラスを開けた時に眼下に広がるパチンコ屋のネオンと、この部屋の静寂感との乖離、ミスマッチがまたいい…
この奈良プラザホテルの魅力は、なんといっても大浴場だろう。それも天然温泉の。
健康センターだけあって、お風呂の設備はかなり充実している。
サウナあり、岩盤浴あり、露天風呂あり、壷湯あり、と。
約2時間掛けて、全ての風呂を制覇した後は夕食である。
館内にはフードコートやラーメン屋など食事処が充実しており、独り旅のオッサンは目移りするばかりだ。
そんな中で僕が選んだのは鉄板焼の店。
でも焼肉は食べません。独り焼肉は寂しいから…
この店を選んだ理由は鉄板焼がメインながら和膳などもあり、落ち着いてサケが飲めそうな感じがしたから。
フードコートとかだと家族連れが多いから、なんとなくサケを飲んでいても気を遣っちゃう。

和膳だと昨日の夕食で食べた天ぷらや刺身などが被っちゃうけど、この手の和食は大好物なので何日続いても飽きないかな。
夕食の後は”温泉と部屋ザケ”のプログラムを何回か繰り返し、午前零時を過ぎた辺りで眠りに就いた。
温泉の長時間入浴による体熱感と飲酒による倦怠感が、僕の体と心を包み込んで行くのが実感出来た。
この日も充実した一日であった。
5月22日、目的地は天龍村。
この独り旅二日間の教訓で、当日手配が出来る宿が少ない事を実感した僕は、前日の夜、とある宿を予約しておいた。
だいぶ酔っぱらっていたけど、絶対リザベーション出来ているはずである。
そう信じ、長野県天龍村にある「ふれあいステーション龍泉閣」なる所を目指し、愛車の舵を東に切った。
前夜、部屋ザケを煽りながらネットで、天龍村についての事前学習も少しだけした。
なんでも長野県で一番過疎化が進んでおり、高齢者人口も50%を超えているらしい。
いわゆる限界集落ってやつだ。
天龍村に向かう前にお土産でも探そうと、ホテルを出発したあと愛車で天理市街に向かった。
駅前アーケードをトボトボ歩きながら天理教の法被やら、本場名物の奈良漬けなどを見ていたら突然の豪雨。
暫くその場から出られなくなってしまい、一時間ほど雨宿り。時間は既に昼12時を過ぎた。
少し小腹が空いたので、車で走っていて見つけた「森田商店」なる食堂に入った。
天理名物のスタミナラーメンを頂くことに。
ニンニクが凄く効いていて旨かった。
老夫婦が営むこの食堂。なんか昭和の懐かしさがあり、子どもの頃、死んだオヤジと食べに行った近所の食堂もこんな感じだったな…なんて思ったりもした。
スタミナラーメンで体が暖まったところで、再び天龍村を目指し出発した。
天理市から四日市辺りを通り、今度は間違えず「新名神道路」に入れた。名古屋を抜け中央道に入り、ひたすら飯田ICを目指した。
中央道を降りると「イニシャルD」に出て来そうな峠道が続く。
僕は「藤原拓海」になったつもりで峠を攻めた。
愛車に装着されているレカロシートは、僕を優しくそして強く包み込んでくれた。
いつまでも峠道が続く訳でも無く、1時間半程走ると天龍村に入ってしまった。
天竜川を塞き止めて作られたであろう平岡ダムを横目で眺めながら運転を続け、今宵の宿である「ふれあいステーション龍泉閣」を探した。
iPhoneナビの表示では、JR飯田線の平岡駅がゴールになっている。
狭い集落の狭い道路を完走し、なんとか平岡駅に到着した。
その瞬間なぜゴールが駅だったのか理解出来た。「ふれあいステーション」という名称の通り、駅舎が温泉施設と宿泊施設になっているのである。
更に驚いた事にチェックインを済ませた部屋のカーテンを開けると、眼下に平岡駅のホームがあり乗客達が普通に電車を待っていたりする。
これは「鉄ちゃん(鉄道ヲタ)」には堪らない環境だろう。

早速、温泉にでも浸かってビールでもと思ったが「限界集落の夕暮れ」を肌で感じようと考え、愛用のデジイチ(デジタル一眼レフカメラ)片手に村内を歩いてみた。
暫くすると、ちょっとした距離を歩くだけでも息切れがする…
休日、愛犬と一緒に5kmから10km歩いている僕にとって、この程度の歩行距離で息切れするのは意外な事実だった。
息を切らし歩いて来た道のりを振り返り眺めて見ると、平坦な地形は殆ど無く上り坂や下り坂の連続。
アップダウンの激しい地形が知らず知らずのうちに、普通の歩行行為を負荷運動に変えていたのだろう。
アスリートには最高のトレーニング環境だろう。
トボトボとデジイチを首からぶら下げて更に歩いていると、数人の村人から「ブッポウソウですか?」と聞かれた。
「ブッポウソウって…何だろう?」と思いながら、適当に相づちを打ち挨拶を交わした。
天竜川に掛かる橋まで辿り着き、掲げてある看板に目を移すとブッポウソウについての記載があった。

そうなんだ。ブッポウソウ(仏法僧)とは渡り鳥だったのです。
村の人達はデジイチ片手に歩く僕をバードウォッチャーだと思い、ブッポウソウについて話し掛けてくれていた訳です。
丁度この頃、シベリア辺りから飛来するらしい。
残念な事にブッポウソウとの遭遇は無かったが、適度な運動による疲労感を感じたので宿に戻り温泉に浸かった。
温泉施設は建物の最上階にあり、大きな窓から見下ろすと天竜川の流れが一望出来た。
あまり大きくはない浴場であるが、天龍村から見える空の小ささと妙にマッチングしている。
風呂の後は晩飯である。
この3泊4日の独り旅、最後の夕食になってしまった、
食事は宴会場に用意してあるらしい。
時間は19時。夕食を楽しみにしている宿泊客で賑わっているはずだ。
メニューや風呂上がりの一杯などを想像しながら足を運ぶと、50代と思われる女性スタッフが独りで食事の支度をしてくれていた。
やや広めの宴会場に他の客はおらず、僕の食事だけが一膳ぽつんと用意してある。
がらんとした宴会場…
僕は一抹の不安を感じ、女性スタッフに「今日の食事は僕独りなんですか?」と訪ねてみた。
すると返事は「今日泊ってるのは、お客さん独りだけですよ」だった…
「ふれあいステーション龍泉閣」の宿泊客は、僕独りだけだったのです。
これが独り旅の醍醐味なのだろうか?いくら独り好きの僕でも気持ちが萎えちゃう。
そんな僕の気持ちを察したのか女性スタッフは気さくに声を掛けてくれ、烏龍ハイと冷奴をサービスしてくれた。
ご好意がありがたい。
料理は海が無い長野県らしく山菜やマス、牛肉などが並び、サクラ肉も40年の人生で初めて食した。
生肉があまり得意でなかった僕は今までこの手の食材を敬遠して来たが、ニンニクを沢山絡たサクラを口にするとマグロの大トロみたいな食感でたいへん美味であった。

夕食を堪能し、ほろ酔い加減で部屋に戻ると、部屋の窓には闇夜に包まれた平岡駅が映っている。
1時間に数本だけ訪れる車両からは、何人かの高校生や会社員が降車する。
このホームを利用し家路を急ぐ高校生の多くが、人生の岐路に立った時この限界集落を離れるのだろう。
この繰り返しで村が疲弊し、冷えて行くんだ。
日本という国家が抱える、過疎、人口減、高齢化、避けては通れない問題を、独り部屋ザケを煽りながら想い、いつのまにか眠りに就いた。

5月23日、目的地は現実社会、東京。
早朝、僕は乗車中の電車が警笛を鳴らし、ドアが開閉する光景を夢の中で見た。
夢の中から少しずつ覚醒状態に近づくにつれ、自分の置かれている場所や環境が少しずつ理解出来た。
「そうだオレは平岡駅に泊っているんだ」と。
宿泊している部屋の向こう側では、始発を待つ車両が運行前点検を受けているようだ。
その音が就寝中の僕の耳に入り大脳の中で再構成され、夢としてチープな映像が覚醒間際に上映されたのだろう。
昨夜の深ザケが少しだけ残っている感じがしたが、天龍村を囲む山々の樹木が放散した、出来たての酸素は最高の解毒剤になった。
「さあ、朝メシでも食べて東京に帰るか!」
朝食は1階にあるレストランに用意されていた。
地域の定番と思われる、赤味噌の「熱いみそ汁」を胃の中に流し込んだ。
現実逃避をする様に東京から出発した独り旅も終わろうとしている。この寂しさを同時に噛み締めながら朝食を頂いた。

「そうだ、帰りは中央道で直接帰らず、上信越道を通って関越に乗りゆっくり大泉まで帰ろう」
東京という現実の日常から少しだけ逃避する小さな器の自分がそこにいた。