今日は、数秘で観る人物をお届けします。

 

ピックアップするのは、絵本画家 いわさきちひろ さん!

8月8日は、ちひろさんの命日です。

 

今でも多くの人の心を掴んで離さない彼女の表現。

私個人も、大変な思い入れがあります。

 

幼少期から彼女の絵が好きすぎて、当時出ていたちひろさんの絵葉書を

お小遣いを貯めては、シリーズでコレクションしたりしていました。

 

大人になった今でも、年に数回はちひろ美術館を訪ねています。

 

 

 

先日、「いわさきちひろ ~27歳の旅立ち」(2012年)

 

というドキュメンタリー映画を2回続けて観ました。

ちひろさんの青春時代、第二次世界大戦が背景にあります。

 

このドキュメンタリー映画のエグゼクティブプロデューサーは、

なんと!山田洋二監督。黒柳徹子さんや、高畑勲監督のお話も。

 

ちひろさんの絵の、ふんわりした優しい雰囲気とは対極に、

ちひろさんの人生が、苦しい戦いの連続であったことは知っていました。

 

このブログ「33の扉」は、“数秘と人生”をテーマにしているので、

ちひろさんのチャートを書き出してみます。

 

 

 

1918年12月15日 生まれ

いわさき ちひろ  <画家>

 

●軌道数(人生のテーマ)  28/ 
●表現数(ライフワーク)   80/ 

●人格数(印象、雰囲気)   36/ 

●ハート数(魂の熱望・本質)44/

 

◎条件付けの数(古い信念・観念)   

 

 

このちひろさんのチャートを見た時、絵の甘い雰囲気とかけ離れた

 

 「時代を変革していく炎の旗手」

 

というイメージがやってきて、びっくりします。

 

でも、本や映像の中に描かれるちひろさんの生涯を知ると、

このチャートの意味に、深くうなづいてしまうのです。

 

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ちひろさんは、1918年12月15日、

岩崎家の長女としてこの世に生を受けます。

 

お父さまは、陸軍関係の建築技師。

お母さまは、教師をしていた、当時のキャリアウーマン。

 

何不自由ない、恵まれた裕福な家庭環境で、

ちひろは絵を描くのが大好きな少女として育ちますが、

母のコントロールが強く、長女としての重い責任感を背負い、

母の言うなりの少女時代を過ごします。

 

14歳から、洋画家の大家・岡田三郎助の教えを請い、

17歳の時、女流画家グループ「朱葉会」で、最年少で入選し、

将来を期待されるも、美術学校への進学を母に猛反対され、断念。

 

20歳の時、母の強い勧めで婿養子をとり、意に添わない相手と結婚させられ、

夫の赴任先である大連へ、なぜか「やすこ」と名を変えて、異国の地へ。

 

ですが、夫のことがどうしても好きになれず、2年間、身も心も彼を拒否。

そのことで夫は心を病んで、首つり自殺をしてしまいます。

 

感受性の強いちひろさんですから、どんなにショックだったことでしょう。

この時の体験は終生、完全に封印したいトラウマであったようです。

 

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数秘から見ると、ちひろさんの条件付けの数

 

条件付けの数は、幼少期から青年期にかけて植え付けられた

信念・観念を表します。(数秘リーディングでは欠かせない数の要素です)

又、もっと遡ると、前世の体験から刷り込まれた古いパターンとも受け取れます。

 

条件付けの数を持つ人は、

やむを得ず若い頃から大人びた感覚を身につける人が多く、

宗教、思想、介護など、家庭が複雑な事情を抱えている、

そんなケースが多いのも、私の実感です。

 

 

ちひろさんのお母様には溢れ出る愛国心があり、戦争協力に心血を注ぎ、

娘を模範的な婦女としてお国の期待に沿うよう、鼓舞していたのではないか…

 

若いちひろの結婚が、このように悲劇的な結末を迎えたのに、

ちひろの母は、まだ手を緩めません。

 

満洲へ若い女性を送る活動をしていた、ちひろの母。

“満洲開拓団の子女たちに習字を教える”という名目で、

母に説得され、25歳の時、再び ちひろは満洲に送られます。

 

事前に聞いていたのは全く違う、満洲でのひどい環境や状況に、

ちひろはたちまちやせ細り、心身を病んでしまいます。

 

見かねた上官の計らいで日本に帰国させてもらって、ちひろは命拾いします。

ちひろが引き揚げてすぐ、第二次世界大戦がはじまるからです。

 

満洲に残った仲間たちが、どんなにひどい目にあって、

残留孤児になったり、生き延びるために中国人の花嫁になったり、

苛酷な状況下で、死んだりしたことか。

 

ちひろは心の深い所で、仲間たちへの負い目から、

長い間、深い罪悪感に苦しんだようです。

 

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ちひろの母の過剰な思想的責任感から発した、この不自然な結婚の悲劇、

その後のちひろの、再度の満洲行きでの悲劇があるようにも思います。

 

1945年5月、東京大空襲で、東京・中野にあった ちひろの家が全焼。

 

1945年8月、ポツダム宣言を受諾して終戦。

 

第二次世界大戦の終戦と共に、すべてがひっくり返り、

ちひろの両親は「戦犯」として職を追われてしまうのです。

 

岩崎家は焼け出された後、長野県松本市に疎開していましたが、

1946年、27歳になっていたちひろは、ある朝。

 

 「画家になりたい!」

 

その強い決意で家出をし、電車に飛び乗り、一路 東京へ向かうのです。

 

母からの決別。

戦時下の辛い体験や想い出からの決別。

自立への燃えるような意志。

絵描きになる夢をかなえようとする、激しくほとばしる情熱。

 

ここから、ちひろ自身の人生へと、戦いの場が移っていきます。

 

ちひろ、自立への物語。

 

数秘で観ると、ちひろの人生のテーマは、軌道数

この人生の道のりのお話は、明日に続きます

 

次回へ続く…