当たり前のことですが、片付ければ部屋はきれいになるし、人に話せば話しかけられた人は耳を傾ける。
人に体当たりしたらその人は痛いし、急に泣き出せば周りは驚く。

自分が、人が動くと何かしら周りに影響を与えます。
それだけではさることながら、
昔「美人は居るだけで良い。周りが明るくなる」という言葉を耳にしたことがあります。何もしなくても空気感で人はなにかを感じ取るようです。


「周りに迷惑かけてないから」とか「勝手に周りが気にしてるだけ」とか「嫌なら関わらなきゃいい」とか「どうせ自分が何しても変わらない」とか、自分が良ければ良いというのは、やっぱり周りに与える影響はあるんだよなぁ。

だから、自分が何かすれば周りが喜ぶことをするのも可能で。
例えば、親がちょっと手抜きで作った朝ごはんだって子どもは喜んだ。好きなコーンスープとおにぎり。内心(えっ!こんなんで…むしろごめん笑)と思った。
逆に手の込んだもの作った時は喜ばなかったりするんだけどね(笑)そんな時は次に活かそうか。

些細なことでも周りが喜ぶ顔を見られることは嬉しい。


最近体調が優れず、朝方起きたらお腹がシクシク、キリキリ痛む。(たぶん産後帝王切開し癒着してるところ)
背中が押されると痛い場所がある。
左耳下の耳下腺?リンパ?が痛いことがある。(ものを食べると痛いのはときどきあったけど、しばらく痛みが続くことが増えた)

疲れやすい(のはもともとだけど)
などなど。

持病の薬の副作用かもしれないが、病院では直近の検査は問題ない。
健康診断に行かなきゃな。。

掃除を始めて満足いくほど完了したことは、片付けられないときはあまりなかった気がしますアセアセ

仕事でもなんだか同じことが言えるんじゃないかと思うようになりました。

私は当時、上司は任務を滞りなく完了させようとしていたことには気づきもしませんでした。
我慢ならんことに楯突いたりもしました。

あまり上司とうまくいかない時期、じゃあ、自分が上司の仕事をやるとしたら?最初から最後まで案件を滞りなく完了できるか??と自問自答したとき、今はできないなと思いました。

何度かやってみましたが、わからないことが多い。どうしたら良いの??そして上司に相談する。うーん。できないのに自己主張ばかりして、自分が困ったときは、聞いてないんだからできないのが当たり前じゃんと言わんばかりに相談する。相談の仕方も脈絡なく自己中心的な質問の仕方。

ほんとに自己中だなーとつくづく反省します。

いま教える立場になり、完了するまでに自己主張ばかりして進まない自分のことを思い出しました。
人に教えるのってとても大変。
実際に直面すると大変さがわかるものだなー。

わからないことは問題ない。すんなり理解してくれれば楽だけど、話があっちこっち行ってなかなか理解してくれない、理解したかわからない、とか、理解が早くても忘れる人もいるだろうし、なかなかうまくできてるのかわからない。どうしたものかな。
思えば自分も教えてくれてる人に対して、困らせていたのだろうなぁと思う。

いろんなタイプの人がいるので、その人に合った教え方をして、早く業務がうまく回ると良いな。
過去に何度もやる気をうまく削いでくる人たちに出会いました。

何度も「やってらんね〜」と思いました。

しかしやらないとあとあと仕事が残って自分が面倒なことになるので、そんな言葉にいちいち振り回されないようにするにはどうしたら良いかを考えてきました。

その後、やる気を落とさせない人との出会いもありました。その人はこちらがミスをしてもいつも「大丈夫」と言ってくれる。でもちゃんと対応策は取る人でした。
全然大丈夫じゃないのですが、申し訳ないなと思いこちらももうミスをしないようにしようと意識が働き、無駄な消耗はなかったのです。

私はやる気を削ぐ人は反面教師として、自分はそんな言い方をしないようにしようとただ思っています。人に教える立場になっても、馬鹿にしたような言い方はしない。

ただ教える立場になって初めて、やる気を落とさせずに覚えてもらうことの難しさもわかりました。

人間誰しも完璧ではない。みんな教えたり教えられたりするのは苦手なものなんだなぁと思いました。

ただあのとき大丈夫と言ってくれた恩人は今でも尊敬、信頼しているので、自分もそんな風にありたいなと思います。