「嫌い」に感謝 | もっとのびのびほんわか生きていい

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起業支援セミナーで、コバさんのお話を聞いて、考えたこと。



「嫌い」があるから、「好き」がある。

「嫌い」がなければ、全部同じになってしまって、「好き」がわからない。



「嫌い」とか「苦手」って、心地良い感情じゃないけど、

私の「好き」を教えてくれる存在だと考えれば、

ちょっとだけ、感謝の気持ちがわいてくる。



私が嫌いなあの人も、

私とは合わないだけで、

素晴らしい価値のある人なんだから、

私が個人的に嫌いでも、きっと何も問題はない。



そして、私が誰かに嫌われても、何も問題はない。

(悲しいことではあるけれど)





「好き」とか「嫌い」があるって、それに興味があるからだと思う。



例えば、私は文章を読むのが好きだから、文章に関しては、好き・嫌いが割とハッキリしている。

そこには、売れてるかどうかとか、有名な文学賞をとったとか、そういう、他人が決めた基準はあまり関係がない。


でも、例えば、私はEXILEにはあまり興味がないから、どのメンバーが好きとか嫌いとかは、特にない。


そんな感じ。




「好き」「嫌い」と、そのものの価値とは何の関係もないのだから、

「嫌い」に罪悪感や劣等感を感じなくてもいい。