私の師匠である、心屋仁之助さんの新刊、『ゲスな女が、愛される-あっという間に思い通りの恋愛ができる』を読みました。
(Beトレ会員だと、自宅に送ってもらえるのです)
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私、夫には、いい感じに「ゲスく」いられてると思うんですよ。
この記事でもチラッと書いたけれど、私は専業主婦だけど家事もロクにせず、毎日やりたいことしかしてません。
料理、掃除は気が向いた時だけ。
洗濯はしてるけど、これは家事というより、仕事というか遊びというか。
『家庭内クリーニング業者』という設定(プレイ)で、洗濯物を納品したら、その都度、クリーニング代(お小遣い)をもらってます。
夫は、毎朝コーヒーを入れてくれるし、朝ごはんの準備もしてくれるし(私が手伝うこともあるけど)、食べ終わったら洗い物もしてくれる。
昨日は、飲み会で夜遅く帰ってきたのに、嫌な顔ひとつせず流しに置いてあったコップやらマグカップやら洗ってくれた。
私は、「ありがとう~(*^。^*)おつかれさま」ってお礼を言うだけ。
私が夫を喜ばせようとしなくても、夫は勝手に私を見て喜んでいる。
最初からこうだったわけじゃないんだけど、こうなってからの方が夫婦関係が前よりずっといいんですよ。
でも、私、夫以外の人に対しては、こんな風にできないんですよね。
誰に対してもこんな風にいられたら、めっちゃ楽そうなのに!
(何もしない、ということではなく、気持ち的な意味で)
夫に対してと、それ以外の人に対して、何が違うのかというと、
「安心」していられるか
だと思うんですよ。
私が好き勝手していても、相手を傷つけない、愛されている、大丈夫、という安心感。
私、夫以外の人に対しては、安心してないんですね。
正確に言えば、「安心」と「不安」を行ったり来たりしている感じです。
同じ人に対しても、「安心」モードの時と、「不安」モードの時があります。
「安心」モードの時は楽しくのびのびしていられるのに、「不安」モードの時は、「どうせ私なんて・・・」と、拗ねっ拗ね。
どうしたら、相手との関係において、「安心」できるかというと、
根拠なく、相手と自分を信頼する
ということではないかと、私は、思います。
「どうせ愛されてる」と思うということは、愛される存在である自分を信じるとともに、今目の前にいる人が、愛を与えてくれる存在であることも信じることなんじゃないかって思うのです。
私自身もそうだけれど、自分を信じてくれる人がいると、うれしくて、何かしてあげたくなっちゃう。
だから、ゲスい人は、愛されるんじゃないかと思うのです。
相手を信じていても、嫌われることもあるけど・・・
その時は、離れればいい。
私を嫌うのは相手の自由であり、私を嫌う相手を嫌うのは、私の自由。
まだまだ、うまくできないけど。
本の最後の方に、こう書いてありました。
適当に生きとったらええ。
はい、師匠、適当に生きます(^o^)/
なるべく。