カチリ、とタイムマシンのダイヤルを「西暦1864年(元治元年)」に合わせる。
男の名はビック。歴史に名を残す偉人たちの、教科書には絶対に書かれない「誰にも言えない黒歴史」を覗き見るのが生きがいのタイムトラベラーだ。
今回の目的地は、前回に引き続き幕末の京都・新選組屯所。
お題は、泣く子も黙る新選組の「鬼の副長」であり、幕末屈指のイケメン剣士、土方歳三(ひじかたとしぞう)である。
「局中の法度に背く者は容赦なく切腹! 冷酷無比な策士であり、常に修羅場をくぐり抜けてきた男……。さぞや血の匂いを漂わせ、暗闇の中で刀の手入れでもしながら、次の粛清リストを作っているんだろうな」
ビック氏は、新選組の屯所の最も奥まった部屋へと忍び込んだ。未来のステルス迷彩スーツを着ているため、常に殺気を放っている副長の目も欺けるはずだ。
「……ああっ! 違う! これじゃあ季語が被ってる! なぜ俺はこうも『春』という言葉に頼ってしまうんだ!」
部屋の奥から聞こえてきたのは、粛清の密談でも、刀を研ぐ音でもなかった。
ビック氏が覗き込むと、そこには誰もが恐れる鬼の副長・土方歳三が、文机にかじりつき、筆の柄をガリガリと噛みながら、顔を真っ赤にして一枚の和紙を睨みつけていた。
「『しれば迷ひ しらねば迷ふ 恋の道』……うむ、このポエムは悪くない。だが、もうひと押し、何かこう、女子の胸をキュンとさせるような雅(みやび)な表現が……ああっ! 才能が! 俺の豊玉(ほうぎょく)としての文学的才能が爆発しないっ!」
彼こそが土方歳三。
イメージしていた冷酷な暗殺者とは程遠い、完全なる「深夜のテンションで激痛ポエム(俳句)を量産し、自分の才能のなさに悶え苦しむ、こじらせ文学青年」の姿がそこにあった。
「あ、あの……土方副長?」
ビック氏が思わず声をかけると、土方はビクゥッ!! と信じられないほど跳ね上がり、机の上の和紙(ポエム帳)を光の速さで懐に隠し、刀を抜いた。
「だ、誰だ貴様!! どこから入った!?……まさか今の『豊玉発句集(ほうぎょくほっくしゅう:土方の俳句集)』の朗読を聞いたのか!? 聞いたなら生かしては帰さん! 士道不覚悟で切腹しろ!!」
「あ、怪しい者じゃありません! 未来から来たビックと言います。あの……切腹の理由が『俺の恥ずかしいポエムを聞いたから』って、公私混同が過ぎませんか!?」
ビック氏が恐る恐るツッコミを入れると、土方は刀を下ろすこともできず、顔を耳まで真っ赤にしてワナワナと震えた。
「未来の者だと……!? 頼む、今の句のことは絶対に沖田(総司)や斎藤(一)には言わないでくれ! あいつらに俺のポエム趣味がバレたら、もう二度と鬼の副長として威厳を保てんのだ!」
「なるほど。あの厳しすぎる『局中法度』も、威厳を保つためのブラフだったんですか?」
「当たり前だ!」土方は刀を鞘に納め、頭を抱えた。「近藤(勇)さんは人が良すぎる上に、宴会で口に拳を突っ込むようなアホな一発芸ばかりやっている! 荒くれ者の浪人集団をまとめるには、俺が誰よりも冷酷な『鬼』を演じるしかなかったんだ! その極度のストレスを発散する唯一の手段が、この『俳句』なんだよ!」
幕末最強の組織を裏で統率していた鬼の副長の正体は、「激務のストレスを、匿名アカウント(雅号:豊玉)でひっそりポエムを綴ることで解消している、繊細な中間管理職」だったのだ。
「だがな……」土方は懐からシワシワのポエム帳を取り出した。「俺は致命的に俳句のセンスがない! 江戸の道場にいた頃から書き溜めているが、後から読み返すと恥ずかしさのあまり切腹したくなるほどの凡作ばかり! しかも、万が一この手帳を屯所で落としたり、隊士に拾われたりしたらと思うと、夜も眠れんのだ! 誰かに見られたら、俺は新選組を解散して実家の薬屋(石田散薬)に逃げ帰る!」
新選組の最大のアキレス腱は、長州藩でも薩摩藩でもなく、「土方歳三の黒歴史ノートの管理」にあったのである。
ビック氏はその涙ぐましい苦悩に深く同情し、ポケットから未来のアイテムを取り出した。
「よし、これを使ってください。未来の『指紋認証&パスワードロック付き・電子メモパッド』と、どんな凡人でもプロ並みの句が詠める『AI搭載・超解釈 現代歳時記(季語辞典)』です。それと……これ」
ビック氏が差し出したのは、未来の「ブルーライトカット&眼精疲労回復・極潤目薬」だ。
「何だこれは……? この薄い黒い板(タブレット)に、指の腹を当てると……画面が光った! なに!? 俺以外には絶対に開けない『絶対秘密のポエム帳』だと!? しかも、この辞書を使えば、俺の平凡な恋の句が一瞬で『京の都を泣かせる絶唱』にアップグレードされるだと!?」
土方歳三の切れ長の美しい目が、かつてないほどキラキラと文学的な喜びに輝いた。さらに目薬を一滴点す。
「……ッッッ!? な、なんだこの瞳の奥にまで染み渡る爽快感は! 深夜のポエム執筆で酷使した眼精疲労が吹き飛んだぞ!」
「これがあれば、誰にバレることもなく、完璧なセキュリティで一生ポエムを書き溜められますよ」
ビック氏が微笑みながらタイムマシンのボタンを押すと、彼の体は光に包まれ始めた。
「ビックとやら、恩に着る! これで俺は安心して鬼になれる! よーし、今日は徹夜で春の恋の句を100首詠んでやるぞ!」
嬉々として電子メモパッドにタッチペンを走らせる「こじらせ文学青年・豊玉」を最後に、ビック氏は現代へと帰還した。
後に残された歴史では、土方歳三は激動の幕末を最後まで戦い抜き、函館(五稜郭)で壮絶な最期を遂げる直前、小姓の市村鉄之助に遺髪と共に「あるもの」を託して故郷へ届けさせた。
史実ではそれが「豊玉発句集」だったとされているが、実はその中に、未来の「絶対に開かない黒い板(電子メモパッド)」が混ざっていたかもしれない。
「俺の生きた証(と黒歴史)を、誰にも見られずに故郷に届けてくれ……」
鬼の副長が最後まで守り抜きたかったのは、武士としての誇りと、恥ずかしすぎるポエムのパスワードだった――それはまた、別のお話。