ビック氏は、世界のあらゆる富を自動的に吸い上げるシステムを希求する「ビッグな実業家」だった。
AWS上の堅牢なインフラを駆使し、巨大なPSQLデータベースに世界中の資金移動のログを蓄積させ、日経平均やTOPIXの乱高下を秒単位で予測する。彼は間違いなく世界の頂点にいたが、それでも不満があった。
「私が富を得るためには、市場を読み、決断を下し、部下を動かすという『労力(コスト)』がかかる。真にビッグな男には、何もしなくても、ただ座っているだけで世界の富が向こうからすり寄ってくるような、究極の引力が必要なのだ」
そんなある日、彼のオフィスに古びた水筒を持った奇妙な行商人が現れた。
「ビック様。これは『万物還流(ばんぶつかんりゅう)の水』です。自然界において、水は必ず高いところから低いところへ流れますね? この水を飲めば、あなたの肉体と社会的な存在は、概念的な【世界の最低地点】へと書き換えられます。結果として、世界中の富、才能、そして情報という『あらゆる流れ』が、まるで川が海へと注ぐように、自動的にあなたのもとへ流れ込むようになるのです」
「ほう、私が『富の海』になるというわけか。それは素晴らしいインフラだ」
至高のひとくち
ビック氏は半信半疑で、その無色透明な水をグラスに注ぎ、一気に飲み干した。
単なる水だと思っていたそれは、驚くべきことに、極限まで香ばしく焙煎され、冷たく冷やされた**「金のごま麦茶」**のような、深く心に行き渡る至高の味わいを持っていた。
――その瞬間から、世界は変わった。
ビック氏が指一本動かさなくても、競合他社のシステムが勝手に自滅し、巨万の利益が彼の口座へと滝のように流れ込み始めたのだ。
優秀なエンジニアたちは無給でもいいからと彼の会社に群がり、投資家たちは全財産を彼に委ねた。彼は茅ヶ崎の海岸沿いに、海を見下ろす巨大な城のような豪邸を建て、悠々自適の生活を送り始めた。
「はっはっは! 見ろ、すべてが私の思い通りだ! 私は世界で最も高い場所から、この富の海を見下ろす、最高にビッグな支配者なのだ!」
彼が豪邸のバルコニーで胸を張り、大声でそう高笑いした、その時である。
逆流する富
突然、スマートフォンのアラートがけたたましく鳴り響いた。
彼の所有するPSQLデータベースから、数兆円規模の資産データが凄まじい勢いで「流出」し始めたのだ。エラーログは真っ赤に染まり、AWSのパイプラインは逆流し、彼のもとに集まっていた富が、次々と見知らぬ人々の口座へと逃げていく。
「な、なんだこれは!? ハッキングか!?」
パニックになるビック氏の背後に、あの行商人が音もなく現れた。
「……お忘れですか、ビック様。水は『低いところ』にしか流れないのです」
「どういうことだ!」
「海に水が集まるのは、海が世界で一番【低い場所】にあるからです。あなたが先ほどバルコニーで胸を張り、『自分は世界で一番高い場所にいるビッグな男だ』と誇示してしまったせいで、あなたの概念的な標高が上がってしまった。だから、富はあなたより『低い』人々のもとへ、雪崩を打って逃げ出しているのですよ」
「な……! じゃ、じゃあどうすればいいんだ!」
「簡単なことです。あなたが世界中の富を独占し続けたいのであれば、物理的にも、心理的にも、社会的にも、常に【世界で一番低い底辺】であり続けなければならないのです」
底辺の王様
現在。
ビック氏は消滅することなく、今もなお世界経済を完全に牛耳る「絶対的な実業家」として、社会の頂点に存続し続けている。地球上の全資産は彼のデータベースに集まり、誰も彼に逆らうことはできない。
しかし、彼の姿はあの豪邸のバルコニーにはない。
茅ヶ崎の海岸のさらに下、海抜マイナス数十メートルの地下深く。
冷たくじめじめとしたコンクリートの地下室の床に、世界一の富豪であるビック氏は、文字通り「這いつくばって」暮らしている。
彼が少しでも立ち上がろうとしたり、心の中で「私は偉い」と自惚れたりした瞬間に、富はすぐに外へ流れ出そうとする。
それを引き留めるため、彼は24時間365日、床に額をこすりつける完璧な『土下座』の姿勢を崩すことができないのだ。
たまに清掃員のアルバイトが地下室に入ってくると、世界を支配する大富豪は、埃まみれの床に顔を押し付けたまま、半泣きでこう懇願する。
「お、お願いです……! 私のような価値のない、世界で一番底辺のゴミクズを、どうかお見捨てにならないでください……!」
彼がそうやって自分を徹底的に卑下し、誰よりも「低い姿勢」を取るたびに、世界の富は安心したようにチャリン、チャリンと音を立てて、彼の口座へと流れ込んでくる。
すべてを手に入れたビッグな男は、こうして富の重圧に押し潰されながら、永遠に立ち上がることの許されない「世界一惨めな王座」で、今日も地べたを舐め続けているのである。