カチリ、とタイムマシンのダイヤルを「西暦600年頃」に合わせる。
男の名はビック。歴史上の偉人たちが残した美談の裏にある「地獄のワンオペ現場」をのぞき見るのが生きがいのタイムトラベラーだ。
今回の目的地は、日本の基礎が作られた飛鳥時代。
お題は、お札の顔としてもお馴染み、日本の超天才プロデューサー、聖徳太子(しょうとくたいし/厩戸皇子)である。
「10人の話を同時に聞き分け、それぞれに完璧な返答をしたという伝説の『豊聡耳(とよとみみ)』。冠位十二階に十七条の憲法、遣隋使の派遣……。まさに神がかったマルチタスク能力を持つ、冷徹な超人なんだろうな」
ビック氏は、飛鳥京にある太子の政務室へと忍び込んだ。もちろん、未来のステルス迷彩スーツを着用している。
「あーーーーーー!!! 一斉にメンション(口頭)で話しかけるな!!! スレッドを分けろって言っただろ!! 脳内メモリが完全にクラッシュしとるわ!!!」
部屋の奥から聞こえてきたのは、神格化された聖人からは程遠い、完全にブチギレた男の悲鳴だった。
ビック氏が覗き込むと、頭に冠をのせた聖徳太子が、10人の高級官僚(蘇我氏の一派など)に360度取り囲まれ、文字通り「同時多発マシンガントーク」を浴びせられていた。
「太子様! 今年の予算案ですが!」「冠位十二階の色、紫が足りません!」「蘇我馬子様が仕様変更を要求してゴネてます!」「十七条の憲法の第3条の文言がコンパイルエラー(矛盾)起こしてます!」
太子は白目を剥き、両手で耳を塞ぎながら、高速で口を動かしていた。
「予算は来期へリスケ! 紫がないなら百均でマジック買ってこい! 馬子には『検討します(やるとは言ってない)』と返せ! 憲法はバグ修正して明日までに納品する!! はい次!!」
彼こそが聖徳太子。
イメージしていた優雅な天才政治家とは程遠い、完全なる「10個のチャットツールを同時に開きながら、クライアントの無理難題と現場の炎上案件をワンオペで捌いている限界ITプロジェクトマネージャー」の姿がそこにあった。
「あ、あの……太子様?」
ビック氏が思わず声をかけると、太子はバッと振り返り、手に持っていた笏(しゃく:あの木の手板)をキーボードのように激しく叩きつけた。
「誰だお前は!? 隋の国からの出向社員か!? 見ての通り、今10本並行のデスマーチ中だ! 案件を増やすならチケット(書状)を切ってから来い!」
「あ、怪しい者じゃありません。未来から来たビックと言います。あの……伝説の『10人聞き』って、ただの限界ワンオペの状況だったんですか!?」
ビック氏が恐る恐る尋ねると、太子はガタガタと震えながら、机の上の干し柿(糖分補給)をヤケ食いした。
「未来の人か! いいか、後世に伝えてくれ! 私はな、10人の話を同時に『聞きたくて聞いてる』んじゃない! こいつらが順番を守らずに一斉に喋りかけてくるから、とりあえず全部脳内ログに残して、テンプレ回答で爆速で打ち返してるだけじゃ! リフレッシュレートが追いつかなくて、毎日知恵熱が出そうなんだよ!」
「なんと……! 能力が優秀すぎて、周りが甘えきっているんですね……」
「そうだよ!」太子は涙目で訴えた。「あの『十七条の憲法』の第1条、『和を以て貴しとなす(みんな仲良く話し合いなさい)』な、あれの本当の意味を知ってるか? 『お前ら、進捗会議でマウントの取り合いすんな。仕様変更の押し付け合いをやめて、とっとと仕様フィックス(和解)しろ』っていう、私の切実なデスマーチ回避の願いだからね!? 美談にするな!」
さらに太子は、デスクの引き出しから1通の書類を取り出して頭を抱えた。
「極めつけはこれだよ。部下の小野妹子(おののいもこ)のやつが、隋の皇帝(煬帝)に送る国書(仕様書)の表現をやらかしやがった。『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや』だと!? 相手は世界最強のワンマン社長だぞ!? こんな煽り全開のパンチライン、一発で大炎上して一戦闘(イクサ)確定案件だろーが!!」
「あ、それ歴史の教科書で一番有名なシーンです」
「笑い事じゃないわ! 今から妹子を新幹線(馬)で追いかけて、国書を差し替えなきゃいけないんだ! なんでこんなに生きづらいんだ、この飛鳥時代!」
日本の夜明けを支えた超人は、あまりのマルチタスクと炎上案件の連続に、胃に穴が空く寸前だったのだ。
ビック氏はその社畜精神……もとい、偉大なプロ根性に深く同情し、ポケットから未来の最強ITガジェットを取り出した。
「よし、これを使ってください。未来の『AI搭載・10元同時リアルタイム文字起こし&自動要約スマートイヤホン』と、一瞬で脳にブドウ糖が行き渡る『超高濃度ラムネ』です」
「何じゃこれは……? この耳の穴に入れる小さな豆は……。おおっ!? 10人の役人の汚い罵声が、すべて文字に変換され、私の脳内で『〇〇の件:問題なし。〇〇の件:却下』と、完璧に箇条書きで要約されていくぞ……!」
太子の目が、最新テクノロジーに触れてギラリと輝いた。さらにラムネをボトルごと口に流し込む。
「……ッッッ!? 脳のメモリが128ギガから10テラに跳ね上がったような感覚! 思考の処理速度が光の速さを超えたぞ!」
「これがあれば、10人どころか100人の同時メンションも余裕で捌けますよ」
ビック氏が微笑みながらタイムマシンのボタンを押すと、彼の体は光に包まれ始めた。
「ビックとやら、感謝する! これで私は『全自動・飛鳥マネジメントシステム』を構築できる! 妹子の炎上案件も、このAIでマイルドな表現に書き直して……」
嬉々として役人たちに「承知」「テンプレ回答」を秒で送り始めた太子を最後に、ビック氏は現代へと帰還した。
後に残された飛鳥の宮廷では、聖徳太子が未来のイヤホンを髪(みずら)で隠しながら、10人の意見をわずか3秒で論破し、スマートに解決する「神がかった政治」を披露。後世まで「豊聡耳」の伝説として語り継がれることになった。
……ただ、小野妹子の国書に関しては、AIが「日出づる処の〜」の表現を「キャッチーで大変よろしい」と誤判定してしまい、そのまま隋の煬帝に届いてガチでブチギレられたのだが――それはまた、別のお話。