カチリ、とタイムマシンのダイヤルを「西暦750年頃」に合わせる。
男の名はビック。歴史の教科書に載っている偉人たちの、教科書には絶対に書けない「生々しい本音」を暴くのが生きがいのタイムトラベラーだ。
今回の目的地は、唐の時代の中国。
お題は、中国四大美女の一人であり、唐の玄宗皇帝を骨抜きにした伝説の王妃、楊貴妃(ようきひ)である。
「『国を滅ぼすほどの美女(傾国の美女)』とはどんな人物か? 白居易の『長恨歌』に歌われた、あの世のものとは思えない美しさ……。さぞや神々しいオーラを放っているんだろう?」
ビック氏は、玄宗が彼女のために作った温泉離宮「華清池(かせいち)」へと忍び込んだ。もちろん、未来のステルス迷彩スーツを着用し、古代の衛兵など目ではない。
フゥー、フゥー、プッ!
華清池の奥、最高級の浴場から、何やら妙な音が聞こえてきた。
ビック氏が湯気の向こうを覗き込むと、絶世の美女が、湯船の縁に腰掛け、大量の赤い実(ライチ)を片手に、凄まじい勢いで口に入れ、そして……
「プッ! ……フゥー、プッ!」
種を凄まじい勢いで飛ばしている。
彼女こそが、楊貴妃その人であった。
イメージしていた、白玉のような肌に、憂いを帯びた表情の神秘的な美女とは程遠い、完全なる「ライチ種飛ばし選手権の現役王者」の姿がそこにあった。
「え、えっ?」
驚きのあまり、ビック氏は思わず声を漏らしてしまった。
「ひゃあ!? 誰によあんた!」
楊貴妃は飛び上がって驚いた。口元にはライチの果汁が少しついている。
「あ、怪しい者じゃありません。未来から来たビックと言います。あの……楊貴妃様、傾国の美女とお聞きしたのですが……」
ビック氏が恐る恐る尋ねると、楊貴妃はフッと鼻で笑い、手に持っていたライチを愛おしそうに眺めた。
「未来の人ねぇ。ねえ、あなた騙されちゃダメよ。この唐の時代がどれだけ大変か知ってる? 玄宗様は、私のことが好きすぎて、私のために、何千里も離れた南の地方からライチを最速の馬で運ばせるのよ! 毎日よ! おかげで、民は『貴妃のために馬が走る!』って、大迷惑してるらしいわよ!」
「なるほど、これが歴史に名高い『ライチ最速輸送便』の事実か……!」
ビック氏は感動した。史実通り、彼女のライチ好きは異常だ。
「でもね!」楊貴妃はさらにエスカレートする。「私はただ『ライチが食べたい』と言っただけ。それをあの方は、『玉(ぎょく)のような貴妃のために、最速の馬で運ばせよ!』って、大げさに指示しちゃって。そのせいで、政治が乱れたとか、安史の乱の原因だとか、私が責められるの。理不尽じゃない?」
「ええ、まあ、それは……」
「それに、この『四大美女』っていうのも、誰が決めたか知らないけど、プレッシャーなのよ! 毎日、美容のために温泉に入って、高価な蜂蜜を塗って、変な体操をして……。私は、ただ、このライチを心ゆくまで、誰にも邪魔されずに、種をプップッて飛ばしながら食べたいだけなのに! なんでこんなに生きづらいの、この長安!」
彼女の「食いしん坊・天然・意外と常識人」という性格が、激しい愚痴となって溢れ出てくる。現代で言えば、SNSの裏アカウントで社会への不満をぶちまけているタイプだ。
ビック氏は同情し、ポケットから未来のアイテムを取り出した。
「よし、これを持っていってください。未来の『ライチ』です」
「え? これ、ライチ? なんか、皮がないし、ゼリーみたい」
「ええ、現代では、ライチを加工して、いつでもどこでも美味しく食べられるんです。種がないので、種飛ばしはできませんが、濃厚な味がしますよ」
楊貴妃は恐る恐るそれを口に入れた。
「……!!! なにこれ、種がないし、冷たくて、ものすごく濃厚なライチの味がする! 美味しい!」
楊貴妃の目がギラリと輝いた。
「これがあれば、何千里も離れた場所から馬を走らせる必要、ないじゃない!」
「はい、そうですね」
「ビックさん、話を聞いてくれてありがとう。スッキリしたわ。私、このドロドロした感情を全部エネルギーに変えて、玄宗様に『ライチ輸送便』を減らすよう説得してみせる!」
「ええ、まあ、それは歴史的にどうなるか分かりませんが……」
ビック氏が微笑みながらタイムマシンのボタンを押すと、彼の体は光に包まれ始めた。
「あ、待ってビックさん! その『ゼリー』、あとダースで置いていって――!」
彼女の叫び声を最後に、ビック氏は現代へと帰還した。
後に残された華清池では、楊貴妃が「ライチゼリー」を楽しみ、生のライチへの欲求が少し減ったため、玄宗皇帝による「ライチ最速輸送便」の頻度が下がり、民の負担が少しだけ軽減した。そして、彼女が最後まで「種がないライチの謎」に執着したため、宮中では「貴妃様は、種のない不思議なライチを愛された」という別の伝説が生まれたというが――それはまた、別のお話。