あの日、春の雨の中で一つの傘に入ってから、ちょうど一年。
桜の季節が過ぎ、柔らかな風が若葉を揺らす五月の終わりの佳き日に、僕たちは結婚式の日を迎えた。
海が見える小高い丘の上に建つ、白亜のチャペル。
控室でタキシードに袖を通した僕は、かつてないほどの緊張に包まれていた。プレゼンや重要な商談の比ではない。今日、僕は世界で一番愛する人を、生涯をかけて守り抜くと神様と人々の前で誓うのだ。
「健人さん」
背後で控室のドアが静かに開き、聞き慣れた、けれどいつもより少しだけ震える声が響いた。
振り返った瞬間、僕は文字通り息を呑み、言葉を失った。
そこには、純白のウェディングドレスに身を包んだ夏実が立っていた。
透き通るような白い肌を際立たせる、繊細なレースとシルクのドレス。美しく結い上げられたブラウンの髪には、小ぶりで可憐なティアラが輝いている。少し恥ずかしそうに伏せられた長い睫毛と、ほんのりと桜色に染まった頬。
あまりの美しさに、胸の奥がギュッと締め付けられるようだった。
「……変、ですか?」
「いや……綺麗だ。本当に綺麗だ、夏実。言葉が見つからないくらい」
僕が素直な感嘆を漏らすと、夏実は安堵したように、あの太陽のような笑顔を咲かせた。
チャペルの重厚な扉が開き、パイプオルガンの荘厳な音色が響き渡る。
ステンドグラスから差し込む七色の光の中を、夏実は父親にエスコートされながら、一歩一歩、僕の待つ祭壇へと歩みを進めてきた。
ヴェール越しに見える彼女の瞳は、すでにうっすらと涙で潤んでいる。
その手を受け取り、祭壇の前に並んだ時、僕は彼女の小さな手が微かに震えているのを感じた。僕はその手を力強く握り返し、「大丈夫だよ」と伝えるように微笑みかけた。
『病める時も、健やかなる時も、これを愛し、これを敬い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?』
神父の問いかけに、僕たちは迷うことなく、はっきりとした声で答えた。
「はい、誓います」
永遠の愛を誓う指輪を交換し、僕は彼女のヴェールをゆっくりと持ち上げた。
祭壇の光を浴びて輝く彼女の顔を両手で包み込み、そっと唇を重ねる。列席者たちの温かい拍手と、祝福のウェディングベルがチャペルいっぱいに鳴り響く中、僕たちは夫婦としての最初の一歩を踏み出したのだった。
披露宴と二次会を終え、予約していたホテルのスイートルームに戻ったのは、日付が変わる少し前だった。
「あー……終わったね。緊張したぁ」
重たいドレスから解放された夏実は、備え付けのふかふかのバスローブに着替えると、ソファにパタンと倒れ込んだ。その無防備な姿すら、今の僕にはたまらなく愛おしくて色っぽく見えた。
「お疲れ様。本当に、今日は世界で一番綺麗な花嫁だったよ」
「健人さんも、タキシードすごくかっこよかった。……ふふっ、なんだかまだ夢みたい」
隣に腰を下ろし、僕が彼女の髪を優しく撫でると、夏実は甘えるように僕の膝に頭を乗せてきた。
「今日から、夏実は僕の妻なんだね」
「はい。健人さんの奥さんです」
『妻』『奥さん』という響きが、二人の間にくすぐったいような、けれど絶対的な安心感をもたらしてくれる。
「夏実」
僕は彼女の体を抱き起こし、その潤んだ瞳をまっすぐに見つめた。
夜景の見える大きな窓から差し込む月の光が、彼女の白い肌を艶やかに照らしている。
「みんなの前でのキスは、短すぎた。……続き、してもいい?」
僕が掠れた声で囁くと、夏実は頬を赤く染めながらも、僕の首にゆっくりと腕を回してきた。
「……私からも、お願いしていいですか?」
その誘うような甘い言葉が、僕の理性を完全に吹き飛ばした。
僕は彼女を抱き上げ、寝室の広いベッドへと向かった。
「んっ……健人さん……」
「愛してる、夏実。誰にも渡さない。君は僕だけのものだ」
バスローブの帯を解き、露わになった滑らかな肌に、僕は何度も何度も熱いキスを落とした。夫婦となって初めて交わす肌の温もりは、これまで以上に深く、濃密で、互いの魂を絡め合わせるような強烈な熱を帯びていた。
「あっ……健人さん、好き……っ、もっと……」
甘く蕩けるような彼女の吐息が、夜の部屋に響く。
これから先、どんな困難があろうとも、この愛と熱さえあれば乗り越えていける。
僕たちは互いの存在を確かめ合うように、夜が明けるまで何度も深く、情熱的に愛し合った。
祝福のベルの余韻と、甘く狂おしいほどの熱の中で、僕たちの新婚生活は最高に幸せな幕開けを迎えたのだった。