短編小説 | ビックの部屋

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5分読み切りの短編小説
甘酸っぱい恋の4コマ漫画
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私はスニーカー。色鮮やかなファイヤーレッドが自慢の、最新型ランニングシューズだ。正確に言えば「右足」である。左足の相棒とは、工場で箱詰めされたあの日からずっと、文字通り二人三脚で苦楽を共にしてきた。


​私たちの持ち主は、小学六年生のわんぱく坊主、ケンタだ。


​私のシューズ生において、最高にハイになる瞬間。それはやはり、ケンタが全力疾走している時だ。


「位置について、よーい、ドン!」の合図で、私の裏側——特殊な波型パターンのラバーソールが、乾いた校庭の土をガッチリと掴む。蹴り出した瞬間に伝わってくる、強烈な反発力。風を切って走るたび、私の甲を覆う高機能メッシュ素材から新鮮な空気がスースーと通り抜けていく、あの爽快感!


​ケンタの体重移動に合わせて、私の内部に搭載された衝撃吸収クッションが絶妙に沈み込み、次の一歩を押し出す。左足の相棒と「右!左!右!左!」と息の合ったリズムを刻みながら、ライバルの背中を追い抜く瞬間の高揚感は、何物にも代えがたい。私とケンタが完全に一体化し、「風」そのものになる瞬間である。


​しかし、過酷な外の世界を歩くシューズの日常は、常に危険と隣り合わせでもある。


​まず悲しいのは、雨の日の翌日だ。じっとりとした湿気と、泥水が染み込んだ自分の体。通気性が自慢の私でも、さすがにあの「生乾きの嫌な匂い」はどうにもならない。暗い下駄箱の中で、左足と「俺たち、今すごく臭いよね……」と落ち込むのは本当に辛い。


​それに、道端でうっかり「吐き捨てられたガム」を踏んでしまった時の絶望感と言ったら!


アスファルトから足を離すたびに、靴底から「ネチャァ……ネチャァ……」と伸びるあの粘着物。私の美しいソールパターンにガッチリと入り込み、小石や砂を巻き込んでいくあの不快感は、思い出すだけで鳥肌が立つ。


​だが、そんなものはまだ可愛い方だ。私が一番怒りに震え、悲しみのどん底に突き落とされる行為。それはケンタによる「かかと踏み」である。


​友達に呼ばれて慌てて玄関を飛び出す時、ケンタは靴紐を解かず、私の大事な「かかと」を上から容赦なくグシャッと踏み潰して、サンダル代わりにして歩くのだ。


やめてくれ!! 私のかかとに内蔵された『ヒールカウンター』は、ランナーの足をブレから守るために緻密に計算された、高度な技術の結晶なんだぞ! それをこんな無残にへし折るなんて!


かかとを潰されたまま歩かされる屈辱たるや、スプーン一族が味わう米粒の比ではないと断言できる。


​さて、そんな波乱万丈な日々を送っていたある、よく晴れた日曜日のこと。


その日、お母さんが私たちをバケツのぬるま湯に浸し、専用の洗剤とブラシでゴシゴシと念入りに洗ってくれた。「くすぐったい!」と笑いながらも、こびりついた泥やガムが落ちていくのは最高のリフレッシュだった。


​ピカピカになった私たちは、ベランダの物干し竿に吊るされ、気持ちの良い日差しを浴びていた。


「いやあ、さっぱりしたな」「これでまた明日から気持ちよく走れるぜ」


左足とそんな会話を交わしながら、ポカポカとまどろんでいた、その時だった。


​上空から、巨大な黒い影がバサバサと舞い降りてきたのだ。


影の正体は、一羽の大きなカラスだった。カラスは鋭い嘴で、私の靴紐をガシッとくわえ込んだ。


​「えっ? ちょっと待って!」


言うが早いか、カラスは大きな翼を羽ばたかせ、私をベランダから乱暴に引きちぎった。


「右足ーーっ!!」


物干し竿に取り残された左足の絶叫が、遠ざかっていく。私はカラスにぶら下げられたまま、みるみるうちに空高くへと連れ去られてしまった。町が小さく見える。高所恐怖症の私は、ただただ震えるしかなかった。


​やがてカラスは、近くの公園にある一番高い木の、太い枝の上に作られた巨大な巣へと降り立った。木の枝やハンガーで作られた無骨な巣の中心に、私をドサッと降ろす。


(ああ、ついにつつかれてボロボロにされるんだ……私のハイテクメッシュが……)


​私は固く目を閉じた。しかし、カラスは私を攻撃するどころか、私の「かかと」のあたりをクチバシで器用に広げ始めた。そして、自分のお腹の下から、うずら卵より少し大きい、緑色に茶色い斑点のある丸いものを転がしてきた。


​コロン。


​それは、私のふかふかのインソール(中敷き)の上に、すっぽりと綺麗に収まった。


カラスの卵だった。


​カラスのお母さんは「カー、カー」と満足げに鳴くと、私ごと卵の上に覆いかぶさり、じっと温め始めたのだ。


​……それから三週間が経った。


現在、私はあの高い木の上にいる。私の内部では、先日無事に孵化した、黒くてフワフワの毛玉のようなカラスのヒナが「ピィピィ」と鳴きながら、快適そうに眠っている。


​どうやら、私の計算し尽くされた「衝撃吸収クッション」と、通気性抜群の「ハイテクメッシュ」、そして何より足を優しく包み込む「3Dフィット構造」は、卵を温め、ヒナを育てるための『最高級ベビーベッド』として、カラス界で高く評価されたらしい。


​時折、お母さんカラスがミミズを運んでくる時、私の靴紐にうっかり絡まって転びそうになるのはご愛嬌だ。


ケンタ、明日の秋の運動会、君と一緒に風になって走れなくて本当にごめん。でも許してほしい。君の右足のハイテクシューズは今、空に一番近い場所で、立派な『母』として新しい命を育んでいる真っ最中なのだから。