松尾祭(葵祭)は4月の卯の日に始まる神幸祭(おいで)と5月の酉の日で終わる環幸祭(おかえり)があります。

松尾七社と呼ばれる(大宮社・月読社・櫟谷社・宗像社・三宮社・衣手社・四の社)摂社が御神輿を担ぎ、桂川を船で渡り(船渡御)御旅所に数日間留まりまた戻ってくるという大掛かりな祭りです。

また、11月の上卯祭では<卯>は甘酒、4月の中酉祭では<酉>は酒壺を意味するとのことで、酒造祈願祭として酒造業者の厚い崇敬を受けています。

なるほど~。

現在では十二支の本来の意味や、東西南北や時間などを表す記号としての役割を感じることは殆どありませんが、実に面白いことが分かりますね。拍手

話は少し戻りますが、秦氏関連の神社には二葉葵の神紋が使用されていることが多いのですが、徳川家の家紋は三つ葉葵なのは何故かしら?と徳川家の朱印状を見ながらふと、何らかの関係性を感じたALMAです。

徳川家の家紋が三つ葉葵である理由は現在でも諸説あり、(松平家が加茂氏の末裔?)起源がはっきりとしていないようです。

ですが、歴代将軍が江戸からわざわざ朱印状を送るには、なんらかの理由があると考えられるような気がします。

また、伏見稲荷大社が東寺(教王護国寺)と関連が深かったのに対し、松尾大社は西寺(現在は跡地のみ)と関係が深く、度々、東寺と領地のことで諍いがあったようです。

最後の部屋では松尾大社の神像3体が展示されていました。

ほぼ等身大の老年の男神、壮年の男神、女神の3神です。

(主祭神のオオヤマクイの神とイチキシマヒメか?)

仏像ではなく神像ですので、人間のような容姿ではありますが、土地神のような絶対的な存在感が漂っています。

仏像は修復しても良いのですが、神像は後に修復してはいけないそうです。

この3神も平安時代(9世紀)のものですが、一度も修復はされていません。

新しい発見のあった展覧会でした。

お気に入りの寺社の展覧会でアップアップアップ

 

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