普段、意識しないことが多いのですが、どちらでもない=どちらでもあるということと同意語になります。

これは極めて曖昧、且つ中途半端な状態であり、どちらかを選ぶことの難しさに苦悩することがあります。

分かり易い例だと、今ではハ-フ(半分)という言葉のニュアンスは肯定的なイメ-ジがありますが、ハ-フ故の苦しみ、葛藤、アイデンティ-を確立することへの悩みなどが、あることは容易に想像できます。

そんな中、先日のロ-ドショ-で<おおかみこどもの雨と雪>を見て、何度も泣けました。

特に出自に関しては自分自身でどうすることも出来ない、変えようのない事実ですから、そのことは非常に重大な意味を持ちます。

実際、国籍や、男女、いつ、どこの場所で、誰の子供として生まれるかは、自分では選べないわけですから、非常に困難な出自に生まれれば、ある種のハンディを生まれながらにして背負う訳です。

このアニメでは人間と狼(オオカミ)の間に生まれた青年と、彼を愛した人間の女性(はな)の間に生まれた長女=雪とその弟=雨の成長の過程を描いた物語です。

人間界を捨て、自由に自然の中で狼(オオカミ)として生きることを選んだ雨と、狼(オオカミ)の血脈を封印して人間として生きようとする雨。

どちらも、その選択は自分で決めたことですが、その決断は、どちらの道を選んでも苦労があります。

雪も雨もまだ子供です。

大人になっても決断することには勇気がいる中、二人は勇敢にも自分の人生を切り開いていこうとする姿に感動を覚えます。

そして、その翌日のロ-ドショ-も<アクアマン>という映画の主人公は灯台守の父親とアトランティスの海の女王との間に生まれた息子のお話です。

母は人間と交わったことで、処刑されてしまいます。(スト-リ-の後半で、実は母は生きていて息子と再会し、息子がアトランティスの王として人間界と海底界の統合と融和を図るというハッピ-エンドで終わるのですが。。。)

しかし、息子であるアクアマンは自分が産まれたせいで母親が処刑されたと思い込み、自分のことを愛せない孤独な人生を歩んでいました。

人間には正義や善悪、理屈では測ることの出来ないことがあり、どちらかを選んだり、どちらかを捨てたり出来ないことがあります。

 

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