アドラーの考え方がかなりしっくり入ってくる。まず、課題の分離が重要であることを説いている。他人がどう思うかは他人の課題であるとし、分けることが重要であるとしている。そして、他者への貢献が唯一幸せになれる方法であるとも言っている。昨今「自分が良ければいい」と考える人が多数いるので、この考え方はかなり刺さるものがあろう。筆者も昔はそう思っていたらしい。筆者もアドラーに感化された1人なのである。やはり本は良い。迷った時に、頻繁に読み返したい本の1つとなった。

 

 

 

 

結構良かった。半蔵が羨ましい限りである。かなり知らないキャラがたくさん出てきたので、インターネットで検索しながら読み進むことになった。

 

オッレルスというキャラがかなり強いことがわかった。御坂旅掛とアレイスター・クロウリーが繋がっているのが意外だった。御坂旅掛は一体何者なのか。気になるところである。坂島道端という謎のキャラも登場した。チャラい印象を受けたが、意外と学園都市の情勢も把握していることから結構優秀だと感じた。御坂美鈴と上条詩菜のプールサイドでの掛け合いも良かった。初春と工山規範のハッカー勝負もなかなかに面白かった。

 

1つのストーリーにつき10ページもないぐらいのページ数で物語が進んでいくので、テンポがかなり良い。原石というワードが今後の新約とある魔術の禁書目録の展開に大きく関わっていくのだろう。本書は『新約とある魔術の禁書目録』を読む前に、読了が必須といえるだろう。専門用語がかなり出てきたので、読んでいる自分からすると、かなり知的好奇心が刺激された。新約1巻を早速図書館で予約したので、とても楽しみである。やはり、紙媒体のほうが読んでいる感じがして好きである。

 

 

 

 

監督: 清水崇

 

思ったほど怖くはない作品でした。意外に日常パートが多く、ホラーテイストのシーンは少なく感じました。ホラー作品なので、「なぜそうなったのか」という論理的な考察は必要と思うので、感じたことをそのまま書き記したいと思います。

 

急に伽椰子や俊雄が出てくるかと思いきや、意外とヌルっと出てくるので、見ていて驚きはしなかったです。ただ、伽椰子や俊雄は本作の良いアクセントとなってはいます。

 

仁科理佳が既に伽椰子に取り憑かれていたというプチどんでん返しな展開もありました。伏線も張っていたので驚きました。呪怨メイクをしていると、意外に同一人物だと気づかないものです。徳永仁美がエレベーターで移動する際、俊雄がそれぞれの階の全てにいるのは笑ってしまいました。伽椰子は襲ってくるのですが、俊雄は襲わずにいるだけです。伽椰子は殺された恨みがあるけど、俊雄は特に何も感じていないことを示しているのでしょうか?そして、伽椰子の移動スピードはかなりゆっくりです。急にスピードを速めて襲ってくる方が怖い気がするのは私だけでしょうか?

 

なんだかんだ面白い作品でした。本作のシリーズを初めて見たので、視聴後はかなり新鮮な感じです。

 

今後もホラー作品を見ていきたいと思います。

 

 

 

 

原作 鎌池和馬

 

正義感の強い主人公である上条当麻が、様々な不幸な事件に巻き込まれるストーリーです。能力バトルが単純に面白いです。見ているときは面白い作品なのですが、特筆して考察すべき点もありません。

 
見どころとしては、「上条当麻 VS アクセラレーター」の対決です。レベル0の人間が学園最強のレベル5の人間に立ち向かいます。しかし、「幻想殺し」をレベル0とするのはいかがなものかとは思います。右手のみ魔術の効果を消せるのとはいえ、もっと学園都市側は彼の能力を評価すべきだと思います。そう考えると、能力の評価基準がかなり杜撰であることがわかります。アニメ『魔法科高校の劣等生』でも同じことがいえます。
 
上条当麻はいつも「不幸だーーーっ!」と嘆いていますが、御坂美琴に好かれインデックスと生活を共にしているので、私からすると羨ましくて仕方ありません。
 
アクセラレーターは御坂妹たちをたくさん殺したので、打ち止め(ラストオーダー)を救おうとします。失敗からしっかりと学んで行動にうつしています。アクセラレーターは非常にひねくれた性格をしており、素直ではないです。だからこそ、彼の成長は見ていて気持ちが良いものです。

 

悪くない話である。本編ではあまり見られない飯テロシーンが見られる。普通にパスタを食すより、戦場でパスタとワインを嗜む方がはるかに美味しいだろう。

 

ヴィーシャが第二〇三魔導大隊の緩衝材でありムードメーカーなので、意外と重要な人物である。ターニャは基本的に孤立している。そのターニャのもとへ、いつもヴィーシャは話しかけにいっているのである。職場ではヴィーシャのような存在は貴重である。

 

個人的にはヴァイスが好きである。真面目な性格であり、いじられキャラである。非常に好感が持てるキャラである。

 

一人ひとりの個性が強い作品であり、ストーリー構成もしっかりしているので、見ていて気持ちが良い。そして、EDが最高である。EDの人選もかなり絶妙であり、ダークファンタジーの香りをさらに引き立たせている。BGMも同様である。

 

よって、幼女戦記は最高のアニメである。

 

 

 

 

 

 

テーマ:復讐することの無意味性

 

狡噛は武装ゲリラから守った難民から、宝石付きの指輪をプレゼントされたが、「やりたいことやっただけなんで。」と爽やかに断る。己の正義に忠実に生きる狡噛にはリスペクトを送りたい。テンジンの父親はこう言っていたらしい。

 

「見返りを期待してはいけない。やりたいことをやって後悔のないように。たとえ、自分が損することになっても」

 

「テンジンの父親と狡噛は似ている」と発言したテンジンには共感できる。ただ、この思考は自己犠牲ギバーの考え方なので、このセリフ通りに行動するのは良くないだろう。狡噛はいつも自分の体を鍛える。例えば、テンジンと共に走ったり、建物の横棒で筋トレを行ったりしている。この行為は脳にもいいので、素晴らしい試みである。

 

ガルシアが「死んだ人間は帰ってこない。生きた人間ができることは前にすすむことだけだ。」と発言している。良くも悪くもありきたりな発言だが、いくつもの修羅場を乗り越えてきたガルシアがいうことに意味があるのである。過去との決着が前へ進む鍵である。ガルシアは善人側と悪人側に分かれて戦争を起こし、その依頼金によって稼いでいたという。「部下を食わせる意味がわかってない」とか、「奪い取るだけじゃ無理」だとかガルシアは戯言をいっていたが、全部自己正当化の発言にしか聞こえなかった。

 

狡噛の過去の精算は終わったのだろうか。狡噛は自分のことを忘れて欲しがっていたが、それも過去は過去のものとして忘れるためだったのだろう。

 

ツェリン・グルンの「雨に濡れた男の話」も面白かった。しょんべんをもらしたのを隠すために踊っていたらしい。ツェリン・グルンも結構いいキャラをしている。そして、「狡噛が犯人ではない」と察知した上で、狡噛のすみかに来ていたので、洞察力と行動力があるといえる。

 

テンジンによる復讐物語とおもいきや、結局狡噛さんが事件を解決した。改めて狡噛慎也という男の信念を見せてもらった。狡噛はガルシアに対して、敵意をむきだしにはせず、「うまいやり方だ。」と冷静に相手の美点を認め、その上で殺している。クレバーでありながら、けっして感情的にならず、冷静に淡々と行動したり、体を鍛えたり、バトルを仕掛けたりするところは尊敬すべきであるといえる。相変わらず、無駄のない男である。ただ、ゲリラの子供に情けをかけて、死にかけるあたり甘さもあるといえる。狡噛の職業は優しさが仇となる職業であるといえる。

 

 

 

 

 

 

テーマ:時を超えた愛

 

長門の感情が見れた作品。後半の朝比奈さんのタイムリープの説明が難しく、理解が追い付かなかった。そのシーンをスムーズに、なおかつわかりやすく説明しないと、視聴者と作品との間に微妙に距離ができると感じる。それ以外は、完璧である。

 

 

 

 

 

原作者:臼井儀人

脚本:原恵一

制作会社:シンエイ動画

 

●1度目の視聴の感想

 

テーマ:過去にとらわれない

 

全映像作品の中でのオールタイムベストワンである。本作のいいところは、悪役の気持ちもわかり、また現代社会に対して訴えかけるものがあるからだ。「現在の日本は汚い金とゴミが散乱している世界だ。昔が良かった。」と嘆くケン。しかしながら、現在社会に愛想をつきて自殺をするのはよくない。

 

「今を生きる」をモットーに私は生きているが、その言葉を野原一家も無意識的に抱いていたのであろう。ただ、「昔が良かった」と感じるのはバラ色の回顧による影響も多分にあるので、一概に「昔が良かった」とは言い切れない。

 

ラストシーンで大人はエレベータで楽に上がっていくが、しんのすけは階段を使い、ひたすら根性で走っていく。「大人たちはなにか大切なことを忘れてしまっているのではないか」と言わんばかりのシーンである。現代社会とかは特にAIの発展により、楽に生活ができ作業できる環境にいる。2023年に生きているからこそ、しんのすけの精神は忘れてはいけないと感じる。

 

自分が思う本作最大のポイントは、階段を使って必死に駆け上がるしんのすけという子供と、エレベータを使って楽に移動するケンやチャコといった大人たちや、テレビでその様子をボッーと見る大人たちの対比である。このシーンは、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリによる小説である『星の王子さま』にも通じるところがある。

 

「大人になって忘れていることはないか?」

 

そう問いかけているのである。ケンとチャコは、物にあふれる現代社会を嘆きながら、エレベータという現代社会の技術によって生み出された産物で移動しているのも皮肉である。そして、みさえが初め高いところにきたとき、怯えていたのに、悪役の組織が追ってきた時、悪役達に背中から突っ込んで、ケンとチャコを追う役目は息子のしんのすけに任せたのである。これこそ母親のあるべき姿ではなかろうか。この日本では毒親の割合が7割いると言われている。子供に失敗させないように挑戦という権利をとりあげる。「子供を真に信頼する」ということは、みさえが行動して示してくれたのではないか?

 

ぜひ日本全国の皆さんに本作は見てほしい。

我々はなにか大切なものを見逃しているのである。

 

●2度目の視聴の感想

 

テーマ:今に焦点を当てて生きることの大切さ

 

無駄が多いように感じた。序盤のバーのシーンや、カーチェイスでの抗争も蛇足な気がする。しかしながら、ひろしの回想と階段のシーンは素晴らしいものがあった。風間くんの「懐かしいってそんなにいいのかな?」というセリフもいい。バラ色の回顧があるので、かなりバイアスがかかっているのが現実である。電気が消えたことで、瞬時に電気や水道の管理をしているオトナがいなくなったことを悟るところからみても、風間くんは相当聡明な人物だといえる。

 

しんのすけはよくも悪くも真っ直ぐである。だからこそ、20世紀の匂いに染まった大人たちを感動させる階段のシーンを紡ぎ出せたのだろう。子どもたちだけで生活をする中で、しんのすけだけが「オトナっていいな」とニヤニヤ笑うシーンがある。単に、逆境に強いというわけではなく、今の状況から楽しめることを探し出す能力は抜群である。悲観的な状況下でも「今を楽しむ」ことに焦点を置く。尊敬すべき性格を保有している。私も見習いたい。だが、しんのすけは長期的視点がない。風間くんは長期的視点がある。風間くんとしんのすけ。お互いの長所が短所であり、短所が長所なのである。だからこそ、映画『クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』では、しんのすけと風間くんの友情が浮き彫りになったといえる。

 

現在に希望を見いだせなくなったケンとチャコは、自殺しようとするが、鳥の家族に救われる。しかし、ケンとチャコの間には子供がいないのである。この部分の対比も素晴らしいといえる。

 

現在令和なので、平成を懐かしむときがあるだろう。それでもなお、しんのすけを見習って今を楽しむことに焦点を当てて生きていきたいと思う。

 

 

 

 

監督 塩谷直義

 

1期と比べて魅力は落ちています。しかし、面白いです。

 
1期のラスボスである槙島聖護と比べて、2期のラスボスは鹿矛囲桐斗です。悪いとはいいませんが、ラスボスの魅力が落ちたのが本作の世間の低評価に繋がったのだと思います。槙島聖護は圧倒的な悪だったのに対し、鹿矛囲桐斗はそうではありません。むしろ、被害者です。202人の同級生の生体部位をつなぎ合わせることで誕生しているので、生まれたときからマイナススタートです。正直なところ、事件を犯してもおかしくない境遇です。
 
本作ではシビュラシステムの欠陥部分を実例ありきで示しています。人工的に生み出された免罪体質者である東金朔夜ですが、結果的に犯罪係数769というPSYCHO-PASS史上最高の犯罪係数の数値を叩き出しています。生体部位をつなぎ合わせて誕生した鹿矛囲桐斗もサイマティックスキャンに反応すらしません。こうした例により、シビュラシステムが絶対的ではないことは示されたのです。
 
しっかりと考察すれば悪い作品ではないように見受けられます。視聴して損はないと思います。
 

 

原案 虚淵玄
総監督 本広克行
監督 塩谷直義

 

犯罪を犯していなくても、犯罪係数という犯罪を犯す確率が高い人はドミネーターという銃で殺されるというディストピア作品です。設定だけでもワクワクします。

 
本作のテーマは「シビュラシステムの是非」です。槙島聖護は自らが免罪体質のため、シビュラシステムに疑問を持ち、社会全体に対して抗争を仕掛けます。主人公の常守朱もシビュラシステムに疑問を持つのですが、槇島と違うアプローチでシビュラシステムと対峙します。常守は人間が作る法を前提としてシビュラシステムを利用すればいいという立場です。私も常守の立場に近いです。ただ、犯罪を犯していないのに対象を排除するのはやりすぎだと感じます。
 
自分に適性のある職業をシビュラシステムが推薦してくれたり、服を見繕ったり、食事を提供したりといった部分に関しては、シビュラシステムを使用していいと思います。反論として、人間の意思決定能力が下がるというものがありますが、おすすめされたものの中から自分が選べば良いので、意思決定能力に悪影響はないと考えます。
 
ラストシーンはサリンジャーの小説である『ライ麦畑でつかまえて』が引用されています。『ライ麦畑でつかまえて』では、主人公のホールデンが以下のセリフを吐きます。
 
「ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとうになりたいものといったらそれしかないね」
 

誰をつかまえるかは、『ライ麦畑でつかまえて』で子どもたちだと言及しています。つまり、このセリフをPSYCHO-PASSの登場人物に当てはめてみると、「槙島=子供」「狡噛=ホールデン」という図式が成り立ちます。槙島は高い能力を保有していながらも子供っぽいところが存在することをラストシーンで示していると思います。ホールデンは『ライ麦畑でつかまえて』で、文句をずっとたれながら、人生を何とか生きようとします。『ライ麦畑でつかまえて』を読んだらもっとPSYCHO-PASSの理解が深まるでしょう。