あまり予備知識もなかったこともあり、この映画を観るまで
単に50年前に生き分かれた(というか連れ去られた?)子どもを探して
見つけ出すというハッピーエンドの物語だと勝手に思ってました。
が、まったく想像していたストーリーとは違っていました。
そしてこれが実際にあった話だと知って、もっと驚きました。
2009年にイギリスで出版されたアイルランド人の女性、フィロミナの話
「The Lost Child of Philomina Lee」が原作なんだそう。
時は1952年。アイルランドのフィロミナは10代で未婚のまま
子どもを身ごもります。当時のアイルランドとしては(というか世界的に?)
キリスト教の教えにおいて、未婚のまま出産するということは世間的に
許されることではなかったため、フィロミナは家族に追い出され
同じような境遇の娘たちとともに修道院で暮らします。
やがて息子を産み、重労働のなか1日にたった1時間の息子との面会を
楽しみに過ごす毎日。
しかし、息子が3歳になったとき、修道院から息子は養子に出されてしまい、
それきり音信不通のまま50年が過ぎます。
(あとでこの修道院が、アメリカの富裕層に子どもをお金で売っていたという
衝撃の事実が明らかになります)
映画は、現代のフィロミナ(ジュディ・ディンチが無邪気で素朴な老婦人を好演)と
50年前の若きフィロミナを行き来しながら、アメリカに渡って息子を探す姿を
描いていきます。
その旅のお供が、マーティン。皮肉屋でキリスト教に対する信仰心のない
元ジャーナリスト。あるきっかけで仕事をなくしフリーでいたところに
フィロミナの娘からフィロミナの話を聴いて、取材して記事にしようと
いろいろツテを頼って情報を得、フィロミナに同行します。
この二人のアンバランスさが、シリアスな話を救ってくれるような
ほほえましい雰囲気をかもしだしています。
エリートである意味冷たいくらい冷静なマーティンは、
ものごとを合理的に進めていきたいタイプ。
対してフィロミナは純粋な10代の娘のように夢見がちな無邪気な女性。
なので、いっしょに旅する二人の話はかみあわない。
そこが観ていてほほえましい。
マーティンの情報網により、生き分かれた息子の消息がわかりますが、
残念ながらすでに亡くなっていました。
いったんは、悲しみに打ちひしがれるフィロミナでしたが、
思い直して生前の息子を知っている人を探し、息子の軌跡をたどります。
そのなかで今まで知らなかった衝撃の事実がわかり、
信仰心のないマーティンは修道院のシスターに対して激しい怒りを持ちますが、
フィロミナは逆にシスターを赦します。
その当時の修道院やシスターにとって、
未婚のまま快楽に覚れるのは神に対する冒とくであり、
許せないことだったので、未婚での出産の際には最低限の処置しかしないし、
若くして妊娠、出産したために命を落とした若い娘たちの墓も、
荒れ果てた庭に置かれたままにされていたのでしょう。
まるで、それが神に背いたものへの当然の罰だとでも言いたいかのように。
今のキリスト教はここまで厳しくないのではと思いますが、
当時の社会では致し方ないことだったのかもしれません。
でも、未婚で妊娠したからといって、ここまで虐げられるというのは
同じ人間として、また女性として心が痛くなる話です。
フィロミナは息子がアメリカに渡ってからも、自分のことや
生まれ故郷のアイルランドのことを覚えていたのかどうか
とても気にしていました。
そして、最後に息子が確かにアイルランドを愛していたという
証が見つかったとき、やっとフィロミナと息子がつながったように
感じました。
フィロミナが亡くなった息子の軌跡をたどり、息子との絆を確かめたことで
心が少しずつ癒されていくところに救われたような想いがしました。