んだな、って思った。

 

 

昨日、嫌な出来事があって。

 

それに伴って

かなりヤル気をなくして。

 

 

電話をしながら

 

「人生に意味なんて、ない」

というところに行き着いて。

 

 

人生に意味がないのなら、

こんなことしてる意味もないんだ、って。

 

 

色々馬鹿らしくなってきた。

 

 

キラキラ、とかワクワクとか

そういうのもクソ食らえとさえ思った。

 

 

もし、意味がないのなら…と

シュミレーションをしてみた。

 

 

わたしはパリにいた。

 

毎日曇りのパリで、

橋の上でセーヌ川を見ながら、

油絵を描いている。

 

アパルトマンにはお花が飾ってあって

タバコを吸いながら

恋人に養われて暮らしている。

 

豪華でもなく

質素でもない。

 

希望や、

期待もない。

 

でも不満もない。

 

そんな日常の中で、

身寄りのない子供になにかしらの世話をしながら

でもそこに入れ込むでもなく

できる範囲で暮らしている。

 

そんな映像だった。

 

 

「アンニュイ」な気怠い感じだった。

 

心屋に行って

 

冷たいと思っていた私は

優しいところもあって

人のことが好きで、

人のために何かしてあげたいと思ったり、

 

そんなに興味がなかった海が好きになって

屋外が好きになって

晴れが好きになって

「明るい」が好きになったりした。

 

 

と、いうか、

忘れていて、思い出したのかもしれない。

 

 

そうしたら、

今度は、

「世のために」

「人のために」

「わたしがこの世でできることは何か」

「もっとトキメクものはないか」

「明るくキラキラしないところは嫌いだ」って

 

逆側へ振り切ってしまっていたかも知れない。

 

 

 

わたしは、もともと

計算高く、

自分にとって不利益なことは嫌だし、

他人にはあまり興味がない。

 

その人の立場になって、とか

マジで知らねーし

 

周りを感動させられるような人になりたい、って

何の疑いもなく言えちゃう同級生に

引いていた。

 

 

でもそれが眩しくて

羨ましくて

そうなれない自分が悔しくて

自分はそこにはふさわしくない存在なんじゃないか、って

苦しかった。

 

自分がそこにいていい理由、を見つけたくて

探しに行った。

 

 

そうして

何かと楽になって

またその場所へ戻りたい、と思ったけど、

 

なんか、

そもそも、

無意味、だった。

 

 

 

母のために、

父のために、

社会のために、

人のために、

 

そんな価値観を無意識に

握りしめて

進んでいたのかも知れないと思った。

 

 

そんなもの、いらない。

 

夢も、希望も、いらない。

 

 

わたしは極悪人の、がらんどうでいい。

 

かといって、

自己卑下して

悲劇に浸るつもりはない。

 

「がんばってるじぶん」に

酔う必要がない。

 

 

やりたいからやる

 

ただ自分がそうしたいから、そうする。

 

そこに意味なんてなくていい、のかと思ったんだよ。

 

 

 

そうして

あぁ、くだらない

くだらない、って

 

斜に構えて

冷めた気分で

今日1日を過ごしてみたけど

 

何故か朝起きて

着替えていつものように家を出たし、

 

飲みたいと思うものを買ったり、

注文していた靴が可愛くてハートが動いたり、

部屋を片したりしていた。

 

 

あぁ、人って結局

良くなろうとしかできないんだなって思った。

 

 

家から出れない、

休みたい、っていうのも

自分がそうすることで良くなる何かがあると思って

やってることだし、

 

過食したり、

拒食したりするのも、

そうすることで幸せを感じたいからやっているのだと思う。

 

 

アンニュイな気分に浸ったわたしは

今の暮らしが贅沢だと思ったし、

豊かな暮らしをしているとも感じた。

 

持ってるものが多い、とも

思った。

 

物質的なものだけでなく

情報も。

 

 

 

そんなに、いるかぃ?

 

 

欲しいと思ったものが

すぐ手に入れられるようになった便利な世の中。

 

豊かだね。

 

 

 

いらない、と思いつつ、

持つと便利なものに助けられて

それが出来るようになったきっかけに

思いを馳せてみると

トキめいちゃったりするような私は、

 

 

やっぱり

人はどうしたって良くなろうとしか

できないんだと思ったよ。

 

 

だから

絶望も

底辺も

無気力も

無関心も

 

ほんとはない。

 

 

もう既に持ってる自分自身のものは

どう足掻いたって変えられない。

 

 

その、

持ってるものがどんなものなのか、

 

世の中や他人という媒体を通して

知っていく。

 

 

そこに

思考やエゴで

焦ったり、怯えたり、足掻いたり、って

全然必要ないんだと思った、わ。

 

 

なんか

つれづれと

チラ裏のように

 

書く。