カゲプロ想像小説リライト。第54話。支払う『代償』。 | 墜落症候群

墜落症候群

墜ちていくというのは、とても怖くて暗いことのはずなのに、どこか愉しい。

 第54話。支払う『代償』。



 オーロラをまるでスクリーンにするようにして、そこにカノの姿が浮かび上がった。



 カノがワンルームマンションのドアを開くと、「おかえり」という端的な言い方ながらも、充分に暖かみが込められた声が迎えてくれた。

 孤児院で暮らしている内に、自らの恋心を押し留められなくなったカノは、自分の気持ちを打ち明け、それはキドに受け入れられたのだった。あまり贅沢は出来ない暮らしだが、孤児院から離れてカノが下働きをすることにより生計を立てている。この世界では食料自給率は完全に満たされているし、餓死の心配だけはない。だから、カノの乏しい給料でも、キドとささやかな暮らしを送るには充分だった。

 孤児院から離れる時、ルリは涙を浮かべながら、「私のやることに意味はあった」と言ってくれた。今も定期的な連絡はあるが、昔ほど密な関係性はなかった。もうあの孤児院にいた頃が遠い昔のようにも想える。彼女は『白衣の科学者』の仕事に戻ったのだと聞いていた。

 カノはソファに座っていたキドの隣に腰掛けると、キドを自分の膝の上に座らせ、身体に腕を回すとその肩に頭を預けた。ちょっと匂いも嗅いでみたりもする。

「ちょっと変態くさいぞ、お前……それにしても、付き合ってみたらわかったけど、お前って結構一心不乱なタイプだよなあ……」

「そりゃあそうだよ。キドのことずっと好きだったからね」

「いつから?」

「初めて会った時から」

「ふうん……そうか」

 素っ気ないようでいて、嬉しさがたくさん詰まった声。カノは今では、昔よりももっとキドの感情を読むのがうまくなった。

 その時、チャイムが鳴った。

「ううん、せっかくのんびりしてたのに……誰だよ」

 キドが寝起きの猫を感じさせる動作で気怠げに立ち上がると、玄関に向かって歩いていく。カノはほんのりとした悪寒を感じるが、平穏に馴染んでしまった感性は、それだけでキドを呼び止めさせることをしなかった。

 キドがドアを開けたのが見える。このマンションはボロいのでインターフォンすらない。

「……はい。どなたですか?」

「『白衣の科学者』と申します」

 冗談みたいな状況だった。名刺を渡す場面なのにも関わらず「私はサラリーマンなんです」と自己紹介する類の違和感というか――カノがその漫画的なシチュエーションに困惑している中、速やかに『白衣の科学者』を名乗る男はキドの首筋にスタンガンらしきものを当てた。

 拉致されるキド。

 なんだそりゃ。

 カノは我に返って、これは夢じゃない現実なんだと必死に自分に言い聞かせ、『白衣の科学者』を必死に追うものの、彼はこの世界ではただの普通の男性に過ぎず、何の戦闘訓練も積んでいない。逆に『白衣の科学者』の連れていた『人造人間』に打ちのめされる。

 気絶から覚めた時には、「あなたの恋人は『終末実験』に選ばれました。――おめでとうございます! 彼女があなたの元に絶対にもう帰ってこないことを、私たち『白衣の科学者』が自信を持って保証いたします」と書かれただけの紙があり、それから半月、当てもなくキドを街で探し続け、しかし見つからず、更に『電脳世界』において『白衣の科学者』や『終末実験』について探るもそういった才能に恵まれなかったカノは、ネット世界での『第1層』レベルの情報しか得られず、何1つの真相を得られないままにキドを待ち続け、生涯彼女と再会することはなかった。



 オーロラが揺らめき、冗談みたいに『完』というテロップが表示され、また別の世界が映し出される。



 それは一目惚れだった。

「何であなたはいつもいつも自分のことばかりで家庭を顧みないの?! 会社や外で女でも作ってるんでしょう!」

「自分勝手なのはお前の方だろうが! 勝手に俺の金を使い込みまくりやがって……人間としてどうかしてる!」

「待って……お父さん、お母さん、仲良くして……」

 気弱げな瞳に揺れる、1つの光、必死に心と心を繋ぎ止めようと、どんなに自分がつらかろうと、人との繋がりを求める、その澄んだ瞳に、カノは一瞬で恋に落ちていた。

 来客に気付かない様子のその夫婦に、ルリは「落ち着いてください……」と近付いていこうとしたが、そこで父親が少女を、

「お前がいなければ……お前がこの家の1番の負債だ!」

 と叫んで突き飛ばした。

 少女は鋭角な本棚に頭をぶつけ、血は止まらず、床に広がっていった。瞬時に広がるその水たまりのような赤色に、カノはたった今、出会った少女を襲う悲劇なのにも関わらず、まるで丸ごと自分のこれからの人生を叩き折られたかのような気分になった。

 女の子はそのまま生命を落としたという。

 カノの自己中心的な性格はそれ以降、更に歪んでいき、ルリにも多大な心労を負わせた。彼はそれでもカノに対して優しさを注ぐルリが鬱陶しくなり、ついに孤児院を飛び出すと、ストリートチルドレンの一員となり、トニーという男がリーダーの人身売買のチームに加わった。

 しかし、そこでも馴染めず、少女の親のような権力的な存在、上から押さえつけていく存在への敵愾心と少女の赤い血の色がどこかで結び付いてしまい、気が付けばその組織のリーダーを刺し殺し、金を奪い、逃亡中にその短い生命を終えたらしい。



 オーロラが揺らめく。



 ジャンのことを一際、キドが気にかけているのはカノも知るところだった。しかし、最近、ジャンがマリーの元に通い続けている時のキドの溜息の回数の多さは流石にカノも密かなキドへの恋情を隠しているだけに看過できなかった。

 何となく聞きそびれている内に(そこにはキドの方から1番の幼馴染に相談してくれるかもという淡い期待もあって)、ジャンもマリーに会いに行くのは一区切り付けたようで、たまに出かけていくようになった。その頃から目に見えてキドがそわそわし始めた。

 ジャンの方を見てはそわそわして顔を赤くして俯いたりだとか、溜息を吐いて、ぼーっと宙を眺めていることが多くなった。それは仲間を守る為に私情を捨て、自らの能力を徹底的に上げてきたキドに似つかわしくないとカノは想った。

 しかし、唐突に目撃してしまう――『メカクシ団本部』の建物の陰で、キドとジャンが唇を押し付けあっているのを。

 カノは本当に笑い出したくなった。ああ、まあそういうことだよね――って感じで。『仮面』を付けた道化師は、ちょっと皮肉な正統派爽やか系には勝てなかった訳か、ああそういうもんだよね、拍手喝采。

「お前のこと、弟みたいに想ってたんだが――どうもそれは勘違いだったみたいだ。俺はお前がマリーのところに通っている間、どこか憂鬱だった……。でも、ちゃんとこうして帰ってきてくれたお前に、俺はやっと自分の気持ちが分かったんだ……」

 キドを観察し続けたカノには、彼女のそんな告白文句すら予想が付いた。

 それからカノは自分の素顔を『仮面』で隠すのをやめ、努力も疎かになり、キドも恋愛で心が満たされてしまったのか、積極的に指揮官としての力を高めていく訓練を怠った。

 結果、『白衣の科学者』のブラックボックスに対する1日遅れの『メカクシコード』としての新入の際、対神父戦にて敗北を喫した『メカクシ団』は、そこから更に『人造人間兵士団』を呼び寄せられ、その場で全滅した。



 オーロラが揺らめく。



 それは簡単なミッションのはずだった。地元の商店街の人たちが、近所の不良少年のグループをシメて欲しいと言ってくるようなノリの任務だった。

 勿論、油断していた訳ではないが、キドたちはそれぞれ訓練を積み、超能力をも獲得した一団だ。確かに『社会的弱者互助集団』ではあるが、アマチュアでもあるけれども、かなりプロに近いと、完全なる素人に遅れを取るつもりはないという自負があった。――あるいは、その余裕が致命的な隙を生んだとも言えるのかもしれない。

 不良少年たちは裏で違法な電子ドラッグに手を染めており、そのグループ全体が巨額な金の支払い不履行を出しており、ある暴力団に目を付けられていたという事実を、『メカクシ団』は調査し切れてはいなかった。あるいは調査を――怠った。

 その暴力団も、おそらく『メカクシ団』Bチームまで加えて、徹底的な『電子作戦室』の『情報収集』を加えた上で、真っ向から対峙したならば、敵わない相手ではなかったかもしれない。

 しかし、あまりにも不運なことに、不良少年をのしている間に、暴力団は襲撃を掛けてきた。『メカクシ団』メンバーも、彼らは不良少年の一団だと判断したのだ。

 そして、早い段階で流れ弾が彼女に当たったことが、当たってしまったことが、この場の命運を決めてしまった。

 カノは他の仲間をそっちのけで、キドを諍いの場から引きずるように避難させ、むしろ狙われやすいその体勢は、『トリックアート』で全力で誤魔化した。

 不良少年たちが根城にしていた、大きな地下駐車場の柱の裏に辿り着くと、キドの上半身を抱くようにした。

「……お、お前は……バカ、か……団長と副団長が同時に抜けたら……残りのメンバーは、どうなる……」

「そんなの関係ない! キドが1番重傷じゃんか」

 キドの左胸の下辺りを弾丸が通過していた。心臓そのものをぶち破るようなそんな奇跡的な悲劇は実現していないので、即死はなかったけれども、だけど、血が止まらない……。

「お、お前って案外、自分か、ってだよな……」

 キドはよしよしとするように、カノの頭の上に血まみれの手を載せた。血を大量に失ったせいか、彼女の意識も朦朧としているのか、不明瞭な言動も増えてきた。

 カノは残ったキドの左手を自分の両手で包んだ。もう、分かってしまっていた。あの着弾位置とこの出血量では、助からないってことを。

「キドが死んじゃったら、俺はこれからどうしたらいいんだよう……」

「な、情けないこと言うな、カノ、男の子だろ……。

 ああ――でも……死にたく、ねぇ、な……」

「キド、死なないでよ……! 俺は、君のことが好……」

 カノの腕の中で、もうキドの身体の全身からは力が抜けてしまっていた。

 その顔が、やけに安らかだったのが、憎らしくさえ想えた。

 キドはこうして死んだ。カノは泣いた。『メカクシ団』は名も知らぬ暴力団に潰された。



 オーロラが震える。



 その世界でのルリは、生まれたばかりの頃、「身の回りの平穏ほど大切なものはない」と誰かに囁かれたらしい。

 彼女はその世界でも穏健であり、『白衣の科学者』に付いていけないものを感じていたが、孤児院を始めたのは、自分も仕事で誰かを助ける仕事をしたいという前向きな気持ちからではなかった。彼女自身が心を慰めて欲しいからだった。

 キドとカノが孤児院に入り、しばらく経ってから『メカクシ団』が発足するが、これは本当に孤児を引き取りに回る類の活動で、そこには何らまるで特殊部隊みたいな、磨き上げられた洗練さはなかった。あるいは『白衣の科学者』への攻撃性をその団体は保持していなかった。

 『終末実験』が見過ごされ、『メカクシコード』も発動しなかった3年後、量産された『成功個体』のパッケージ化により、秒読み段階に入ったとされる、『白衣の科学者』と『超自然研究団』の全面抗争の緊迫感の中、しかし、カノは身に迫った危機感を抱くことが出来ていなかった。

 彼とキドは幼馴染で、幼馴染のままだった。告白しようかしまいか、そんなぼんやりとした生暖かい関係に浸りきっていたカノは、「もうこのままでいいんじゃないか?」とまどろみの中にいるみたいな思考でそう考えた。

 今のままでも充分楽しいし、キドはカノに優しかったし、何より気楽で――。

 カノは他の可能性に想いを馳せることはなく、カノとキドは離れることもない代わりに、結びつくことも永遠になかった。

 『全面抗争』が始まった後の世界で、ルリの作った孤児院は『白衣の科学者』の施設として『超自然研究団』に粉々に吹き飛ばされ、施設内全ての人間の存命は、絶望的だと言われている。



 そして、オーロラはふっと消え去り、その場には現実のカノの身体が残された。彼はこれ以上ないほどの精神の苦痛を味合わされた後だからか、顔にも生気がなかったが、辛うじて息はあるようだった。『メカクシ団』は揃って、安心の息を吐く。

 ――しかし、とキドは想う。

 オーロラに映し出された光景は、全て共通して、キドとの別れとそれにより破滅するカノを描いたもののように想えた。アウロラはカノをあのオーロラと化してしまう前に言った。「これが彼の全てだ」、と。つまり、あそこで暴露されていたのはカノの恋心と、キドを失った場合のどうしようもない彼の破滅性だ。キドも、対ヘッドノック戦にて、カノが自分に対して深い情愛を持っていることには気付いていなくはなかった。しかし、それが本当に明かされるのは、カノがカノらしくそれを告げられる機会を待つべきだったはずだ。

 仲間内とはいえ、それがカノの本質だとでも言うように、こんな風に悪趣味に暴露されていい内容では、それはきっとなかったはずだ。

 けれど、それでも、どんなことが我が身に振りかかるリスクがあったとしても、それでもカノは自らを犠牲にしただろう。自らの全てを以ってして、アウロラの心理的脆弱性を突き、その均衡を完全に破壊してみせただろう。

 だから。

 お前の意志は継いだ。

 キドは1度目を瞑り、開けてアウロラを真っ向から見据えた。

 全てに幕を引く時が来たようだ。