第53話。『嘘』。
もう最後に残されたのは、カノしかいない。しかし、カノはすぐにアウロラの前に歩み出ることはせずに、内緒話をするように口元に人差し指を当てたのだった。『オーダー』を通じて、カノの声がキドの頭の中に響く。
(キド――ちょっと今から、俺の策を仕掛けてみるから。骨は拾ってくれる?)
(そういう時のお前は、大抵危ういんだ。本当に大丈夫なのか?)
(そこで簡単に「大丈夫」なんて言える策止まりじゃ、結局のところ、『爆弾で全滅オチ』なんて回避できる訳ないと想わない?)
(まあ――それはそうかもな)
しかし、全体の状況を冷静に俯瞰した上で、その上で自分がその中の1番重要な局面で犠牲になっても構わないと想っているところが、カノにはある気がする。アウロラは今、もう激昂の一歩手間といった状態だ。そこにカノはどう『策』をぶつけていくっていうんだ? キドは不安だし、心配だが、それをカノに伝えて心を乱すこともしたくない。
だから、
(気を付けて行ってこい)
まるで学校に行く子供を送り出すみたいな、そんな言葉をかけるしかないのだった。
それに対してカノも、
(うん)
と短く答える。
そうして、カノは歩み出し、そしてアウロラの前で立ち止まると喋り始める。
「さあじゃあ始めようか。最後の『問いかけ』だ」
「なるほど――お前は一応『問いかけ』という『前提』を守る気はあるという訳ね?」
「まあ、形だけはね。だって、最後を疑問形にした方が、相手を小馬鹿にしたみたいな印象が出るでしょ?」
「…………」
「アウロラ、君は――嘘を吐いているんじゃないか?」
「答えかねるわ。私が何について嘘を吐いているの?」
「全てにおいて」
時間が停止したかのようだった。アウロラは笑わなかったし、怒りもしなかった。ただ表情の消えた顔がそこにはあって、もう彼女は何も感じていないように見えた。
空気さえ動きを留めたかのような張り詰めた緊迫感の中、カノは軽薄な調子を保って話し始める。
「嘘を吐くのも『仮面』を被るのもお得意な俺だから良く分かるんだけど、君の話は実は穴だらけで、信じるに足る理由がどこにもないんだよ」
「じゃあ、この『世界』はどう説明を付けるというの……?」
深い怒りを滲ませてアウロラは言う。
「だって、俺たちだってさっき経験してきたように『可能性世界』? だっけ? 人間っていうか『白衣の科学者』とか『人造人間』にも、夢みたいな架空世界自体は実現可能なんだよ」
「コノハが聞いたと感じる私の声は?」
「そんなの、ただの空耳か、気のせいかもしれないよね。実際は全部フェイクで『白衣の科学者』の陰謀とかで、俺たちの意識がどこか現実とは違う世界に切り取られているだけで、理由は知らないけど、その中で神様気取りに扮した人間――つまりは君が、何らかの時間稼ぎをしているだけかもしれない」
「私を――私をッ! ただの人間と同列に扱うというのか! そして、時間稼ぎをしているのは、お前たちという『前提』が確かにあったはずよっ!」
「だから、信じるに足る理由を説明しろよ。何で『運命の女神』の割に頭の巡りがそんなにお粗末なんだい? 本当に世界全体を見渡して、『運命』を書き換えていくなんて奇跡みたいな行いが、アウロラ――お前なんかに出来るのか? 俺にはそれが疑わしい。疑わしくて仕方ない」
「それ以上、言葉を重ねるのなら……」
(カノッ、それ以上は!)
奇しくもアウロラの憤怒の言葉とキドの生死の呼びかけは重なり、しかし、カノは決定的な言葉を止めない。
「アウロラ。俺は『問いかけ』から始めて『断定』に終わらせよう――。
君は『運命の女神』なんかじゃない――ただの口の回らないお粗末な『詐欺師』さ」
「じゃあ『証拠』を見せる」
その瞬間、カノの姿がぱちゅんと弾けた。肉塊になって弾き飛んだようにも見えたが、より正確に記すのならば、カノという存在が一瞬で赤い水に変換され、かき消されたみたいだった。
「カノッ!」「カノさん!」「……ああっ!」
カノを一瞬で襲った惨事に『メカクシ団』全員が声を揃えて短く叫ぶ。カノがいた場所に彼らが駆け寄ると、そこには小さなオーロラのようなものが立ち昇っていた。
「そこにカノという彼の全てが集約されてるわ」
アウロラは顔を大きく歪ませ、これまでで1番醜悪なにぃい……という笑みを浮かべながらそう言った。
オーロラの中に、カノの姿が微かに浮かび上がったように見えた。